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19112301
残業こそ続いているが精神は通常の状態に戻ってきた。
精神に余裕が出て初めてマンガに脳が割けるようになる。
マンガのことを考えよう。

ふたつ。

1.
小島プロのゲーム作品『デス・ストランディング』をプレイしている。当初あんまり面白く感じなくてプレイやめようかと思ってたんだけど船に乗ってレイクノットシティに着いたあたりから面白くなってきた。
この作品では「物を運ぶ」という現実世界ではありふれたアクションが神聖化されている。物を運ぶことが偉大で尊い事業になっている。そのために世界が分断されてたり移動が困難だったりするようなSF設定が整えられている。
この作品を通して、現実世界での配送業にも偉大さを感じるようになりつつある。現実世界の見え方に良い影響を与える作品だ。
デスストの手法を応用すれば現実世界にあるありふれたアクションを魅力的に感じさせるようにできるだろう。「家事」「介護」「ガチャ爆死」など。
デスストから、現実世界でのアクションをテーマ・出発点にして作品を作るという手法を学べる。
応用できないかな。仮に私がタクシー運転手に転職したら「人を運ぶ」ということをテーマにしたマンガが考えられるかもしれない。映画だとタクシードライバーや運び屋が主人公というのは結構ある。運転手はプログラマよりも物語向きの職業なのだ。ひとを運ぶなら自動車でなくてもいいし運ぶのは人でなくてもいい。

2.
涙腺が緩い。
中年になってから、というともう10年くらい経つ気もする。最近というほど最近の現象ではない。
知ってる歌を口ずさんでても歌詞に感動して涙腺に来たりする。
デスストでもBB(赤ちゃん)をあやすアクションをすると泣けてきたりする。
マンガや映画で父親がこどもや妻に向かって「絶対に守ってやるからな」というシーンがあるとたいてい涙腺に来る。このブログのこの行を書いてるだけで涙腺が緩んでいる。
そういう、自分が涙腺を刺激される場面を核にしてマンガを作れないか。「父親が我が子の赤子に『守ってやるからな』という場面」が中央に来るだろうな。
| マンガについての考えごと | 17:16 | - | - | permalink |
19112201
昨日感じた安らぎというのは考えてみると「考えなくていいという安らぎ」「自分を超越したものに従う安らぎ」なので近代的自我を持つ個人としてはやばいのではとも感じた。
自分で考えるのがめんどくさいから人に決めてもらおうと。奴隷の安寧。
今回の私のケースでは従う対象は「自分の感情」だけどこれが「日本」「安倍政権」「世間」みたいになってくると危険になってくる。
ま、自分の感情を観察しつつそのへんも認識していこう。
| 雑記 | 07:06 | - | - | permalink |
19112102
いくつか。

ストレスがあったり悩んだりした時私はブログに考え事を書く。もちろんこのブログの主要な用途はマンガのアイデアを出したり練ったりすることなんだけど自己セラピーのような用途でも使う。
最近感じたのはブログに悩みを書いてるととても癒やされるということだ。
こんな個人ブログでもアクセス解析を見ると毎日数十のアクセスがあり、その何割かは自動巡回ロボットだとしても数人は読んでくれている人がいるらしい。でも自分の実感としてはブログに書く作業は人に聞いてもらうというよりは自分との対話という印象だ。なにかあったらまず自分と対話する。

今朝の気づき。
自分の内部にはいわば二人の自分がいて役割と発言力の強度とが違う。
1. 感情:ディレクター。どう動くか予測も制御もできないが意思決定権を持つ。
2. 思考:アシスタントディレクター。このブログを書いてる時の脳。制御できるが意思決定権がなく感情の決定・命令に対応して働く。

つまり考え事をしたところで結論が決断にはならない。
物事を決めるのは感情で、思考はそれを手伝うのに過ぎない。

例えば最近だと、感情が下した命令は「転職するかもしれないから下調べしておいて」だ。だから思考担当は現状分析をしたり、転職方針を考えてこのブログに書いたりする。
しかし思考には意思決定権はない。これを理解するとかなり気が楽になった気がする。つまり、頭で考えて「転職すべきかどうか」を結論し、決断し、その決定に従って行動しなくてはならないと思いこんでいた。
続けるなら続けるという結論を出してそれに決意する。
転職するなら転職するという結論を出してそれに決意する。
仮に転職すると結論して行動を開始したとして、その時点からの仕事が意外と順調で転職意欲が落ちたとして、じゃあ前に下した転職するという結論はどこに行ったのかという話になる。

「引くにしても押すにしても考えて結論を出して決断して行動に移さねばならない」というプレッシャーがあり、これが気を重くさせていたように感じる。これが悩みの構成要素のひとつだったと。

しかし、ディレクターは感情で、思考はアシスタントディレクターに過ぎない、思考ADに決定権はないんだから結論→決断→行動に責任を負わなくて良い、と解釈することで、このプレッシャーからの解放を感じる。

転職なりその他の重要な行動なりを起こす際、ゴーサインを出すのは感情である。
思考の役割は、そのゴーサインを受けて行動を具体化する際の舵取りだ。感情が「職種を変えて転職せよ」と命じるのなら求人サイトをあさって最も自分に向きそうな求人を見つけて応募するのが思考の役目。
思考は感情の後を追いかけるのに過ぎない。

なので自分の感情の状態を観察する精度を高められるといいね。
| 雑記 | 23:43 | - | - | permalink |
19112101
昨日の所感。
職種を変えるべき:0pt
職種を維持して職場だけ変えるべき:0pt
今の仕事でもやってけそう:+1pt

行動の意思決定をするのは私の場合思考ではなく感情なので、ここで理屈で考えて結論を出して決断し行動しなければならないわけではなく感情がしきい値を超えたら自然に行動するだろう、という着想を得てなんだか少し気が楽になった。
それともここ二日間は仕事が比較的穏やかだったから多少気持ちに余裕が生まれただけかもしれない。
| 雑記 | 07:18 | - | - | permalink |
19111902
心が寂しいのでテレビでも見るか!と思ってニチアサと金ロー以外でめったに見ないテレビをつけたらNHKのクローズアップ現代で車上生活者の取材をやっていたので見ていた。
今の日本は些細なきっかけで誰でも貧困に転落すると思っている。他人事ではない。
で、27歳で元製造工だった人が取材されていて、彼は今の生活から抜け出すためにプログラミングを勉強していた。そう、プログラミングってそういう位置づけだよなあ。
手に職!と考えた時の有力選択肢になる。

自分は一応プログラミングという領域では「手に職がついている」と言えるんだな。だから今は比較的生活が安定している。しかしうーん。職業上の不安が消えるわけではない。でもスペイン人だったら不安を感じないかもしれない。なんか私の中で脳内スペイン人が育ってきた。スペインのどこ在住っていう設定にしようかな。聖地モンセラットか、オレンジジュースの美味しかったバレンシアか、バルセロナからちょっと離れた労働者のための村か… スペイン行っといてよかったな。

高齢者で貧困に陥っている人は「ドライバーだったけど職を失って」というパターンが多い気がする。さっきクローズアップ現代で取材を受けていた60代後半の男性もそうだった。
しかし、だからドライバーが仕事として不安定ということでもないか。20年後には「プログラマ/システムエンジニア/Webデザイナだったが仕事を失って」というケースがバンバンでてくるかもしれない。そういう仕事は三十年前にはほぼなかったんだから、我々世代が高齢者になってみないとどういう位置づけになるかはわからない。

あー

せっかく考え事がノッているのでもうちょっとなんか書くか。
職業観を更新しなくてはというテーマ。
私は独身でこどももいないので精神がおとなになりきれていないと思う。だから若い頃の延長線上で特にモードが切り替わらずに精神が継続している。
で、子供の頃の職業についての考えというのは上昇志向だ。
* これこれになりたい
* これこれがしたい
* これこれができるようになりたい
* こういう仕事がしたい
* 仕事を通してこういうことを達成したい
みたいな。
「将来マンガ家になる!」「いつか名作ゲームを作る!」「映画作りに関わる!」みたいな。

しかし、十何年も労働してきて、職業にそういう上昇を求めなくなった。仕事にポジティブな期待を抱く余地がなくなったと。
なんだけど、転職時に求められる志望動機って基本的に上昇系じゃないだろうか。
今後は上昇を念頭に置いた転職はありえないと思う。「成功したい」「いつか成功したい」「いつかの成功のためにこれを身に着けたい」「いつかの成功のための第一段階としてここから入りたい」というのがもう転職で獲得したい価値の中に含まれない。「いつかのゴール」がないからだ。私にとってのかつての「いつかのゴール」は「仕事としてマンガを描きたい」「仕事としてゲームを作りたい」「仕事として映画を作りたい」とかの創作系だったんだけど、私にとっては創作は趣味でやるからこと価値があるという結論を得たのでそれらは職業文脈から消滅した。

40歳も過ぎて、職業人生の中盤に適応した横方向の転職パターンを構想し、身につけるべきだと感じる。
生きるために仕方なく働いてやる、という方針の時、職業になにを求める?
* 場所。住まいからの近さ。これはスペイン人も重視している要素らしい。来世はスペイン人に生まれたい。
* 残業が少ないこと。スペイン人は残業しない。来世はスペイン人に生まれたい。
* 作業そのものがそれなりに楽しいこと
* ひとを使わないで済むこと

ストレスなく気楽に働いてプライベートに余力を残し、余力を趣味のマンガにつぎ込む、マンガの到達点が人生の到達点、というのが理想。
なんだけど、上記の動機を述べても職は得られないだろうな。その都度応募する職種について自分の適性をアピールしなくてはならない。うーん。

しかしスペイン人は仕事も進学先も実家から近いところを最優先で選ぶらしい。素晴らしい生き方だ。来世はスペイン人に生まれたい。スペインに旅行に行って、正直景色にはドイツやベルギーのほうが感動の度合いが強かったんだけど、ひとびとの気質についてはスペイン人に惹かれているようだ。
| 雑記 | 23:29 | - | - | permalink |
19111901
本日の所感。
職種を変えるべき:0pt
職種を維持して職場だけ変えるべき:0pt
今の仕事でもやってけそう:+1pt

今日は比較的穏やかだった。

自分が些細なことで悩んでいてうっとおしいのでスペイン人の職業観など検索していた。若者の失業率60%! なのにみんな楽観的! 生きるために働いているのであって働くために生きてるのではないという哲学! 残業絶対しない! 素晴らしい国だ。スペイン人になりたい。アイカツでも紅林珠璃ちゃん推しだったし。
でも大空あかりちゃんの話を思い出すと涙腺が緩む。彼女はスターライト学園の入試に一度落ちてるんだぞ! アイカツブートキャンプ!

そういえばスペインでは飲食店の店員さんがよく舌打ちしているのを目にした。それでいい。

ジメジメ悩むこの傾向は我ながらイヤだな。スペイン人のようにカラッと明るくいたい。だがスペイン人が全員そんなふうに明るいだろうか。暗いスペイン人もいるはずだ。ステレオタイプに判断してはならない。

だが、感情の動きというものは制御できない。好むと好まざるとに関わらず心は動くのであり、我々ができるのはせいぜい理屈で追いかけて解釈することだけだ。我々は感情の奴隷なのだ。


性格診断やると意思決定を思考で行うか情緒(感情)で行うかという項目があり、ブログにいつも理屈を書き付けている私は自分は思考タイプだと疑っていなかったんだけどその後の実感では物事の決断はいつも情緒が決め手になっている。「理屈で考えるとこれこれこうするほうが正解なんだけどなんか心がついていかず、心の向く方に行く」というのが原則になってる。以前一度フリーランスで絵で食えないかと試してみるために会社をやめたことがあるけどそれが典型的な行動。

なので自分の性向を把握した上で予測するなら、今回の繁忙期を経て今検討中の転職を実行に移すかどうかは今後の感情の動きに決定権があると思う。
繁忙期が終わるまでの間にストレスたまることが続いて「これはもうここでは長く続けてらんねえな」という感情の高まりがしきい値を超えたらGOの方向で行動を開始するだろう。
残業こそあれ、あまり社内で衝突せずに開発を区切りのいいところまでやりきれてまた穏やかな期間に入るのなら、喉元過ぎれば熱さ忘れるで私の感情暴君もしばらく引っ込むだろう。
感情任せなので、やってみないとわからない。仮にいま理屈で考えて「よしじゃあ年始から転職活動始めよう!」と決断したとしても、意外とそれまでに仕事が穏やかに進むのであれば転職に必要なモチベーションやエネルギーは萎えていくだろう。

生きるために働く! 可能であれば労働なんて存在しないほうがいい! 仕方ないから働いてやっている。そうだよ「仕方ないから働いてやっている」というつもりなら、応募可能でちょっとやってみたい仕事があるならそれだけでアドである。運転を仕事にしてみたいというのはちょっとある。

仕方ないから働いてやっている。
| 雑記 | 21:58 | - | - | permalink |
19111802
本日の所感。
職種を変えるべき:+1pt
職種を維持して職場だけ変えるべき:+0pt
今の仕事でもやってけそう:-1pt

プログラマというのは繁忙期とそうでない時の落差が激しい。
通常時の平穏さは繁忙期にツケを回すことで成立している。だから「通常期には平穏なんだからそれを享受するために繁忙期ちょっと我慢すればええやろ」と考えて適応することができれば望ましい。
なんだけど、繁忙期はみんな余裕ないから職場の雰囲気が最悪になる。
平穏期に楽して繁忙期にツケを濃縮して積み立てるような職種より、一年を通して平板にしんどさが割り振られるような職種の方がいい。もちろんそんなものはないのだろう。客商売なら年末年始や連休が繁忙期になる。飲食店なら一日の間でもランチタイムの殺人的忙しさとアイドルタイムの暇さという落差がある。
でも落差の大きさの大小というのはあるんじゃないか。
要点を言うと私はいつもこの、システム開発の繁忙期という存在に恐怖している。今後この世界に耐えていけるのかという問いに悲観的な見通しを持っているということだ。


コードを書くのが楽しいという資質への評価を過大にしすぎているんじゃないかと考え始めている。
「○○するのは楽しい」というのはもっとありふれた現象であってコードを書くことだけを特別に貴重なものと考えるとバランスが悪いのではないか。
コンビニで言えばおでん作るのは楽しかった。デジタル雑用で言えば画像をパスで切り抜くのは結構好きだった。
日常の家事でも、包丁で野菜を切るのは結構好きだ。
あー

悲観的になってきたな。私は末端労働者志向がある。管理職になって作業させる側よりも作業者になって末端の作業をするほうがいい。しかし世間的には年齢が上に行くに従って本来は管理側の役割が求められるし、末端の作業者はみんなやりたがるので競争率が激しい。すると、若い人間のほうが有利だ。
うーん。

いや、スペイン旅行に行った時添乗員さんが言っていた。スペイン人はたとえ仕事がなくても借金してとりあえずバカンスに行ってしまうと。それだけ未来に楽観的なのだ。自分のこの暗くて悲観的な気質は情けない。じめじめしている。からっとあっけらかんとしていたいんだけど。

箒で掃いたり包丁で切ったり車を運転したりという「作業」は基本的に好きなはずだ。なんか末端アルバイト志向だよなあ…


逆に仕事でやったことがあって嫌いな事業は何だったかを考えてみたらどうか。
商社の仕事。ダイエット食品なんかのビフォーアフターでモニターの人をカメラで撮影する(静止画)。商品撮影や人物撮影がちょこちょこあったけどこれらはしんどくて嫌いだった。
特に人間を撮影する場合がしんどかった。やはり人間要素はマイナスになっている。
思い出してきた。付け爪とかヘアアクセサリとかの撮影の際はたいてい、社内の女性スタッフに声がけして協力を依頼して撮らせてもらう。これが非常にしんどかった。「人を動かす」ことに大きなストレスを感じるといえる。

そういえば介護職でも基本的に「ひと(ホームの入居者)に動いてもらう」ことが仕事だったな。「薬を飲んでもらう」「水分をとってもらう」「リハビリしてもらう」。それらはやっぱりしんどかった。

プログラマで以前いた会社ではほんの僅かの回数だけど客先に挨拶に行くことがあった。これもきつかった。やはり人要素。
営業系は絶対ムリ。

というか「作業でないもの」がしんどいと言えるんじゃないか。
でも前の会社で新人プログラマにものを教える機会があった際はかなりやる気が出た。ものを教える。人相手だし作業というわけでもないのに楽しさを感じた。法則がよくわからないな。

この歳になってもまだ適職診断みたいなものをやろうとしている。自分の職業については一生フラフラと悩みそうだ。ここしばらくは安定感があったんだけど崩れてきた。転職の予感を抱いて覚悟しておいたほうがいいだろう。
| 雑記 | 23:41 | - | - | permalink |
19111801
転職考え事続き。
岡田斗司夫氏は自身の悩み相談でこういう事を言っていた。
悩んだら個々の問題に分解してみる。手を打つことが可能な問題と不可能な問題とが混ざってごっちゃになって考えている時、それが悩みになる。個々の問題自体は手を打つのが簡単であったりする。
たとえば「部屋が寒い」「なぜ人類は環境を破壊するのか」という2つの問題を混ぜて考えてしまうとする。
前者に打つ手は暖房を入れること。
後者には手を打てない。
混ぜて考えている限り答えが出ない。分けて考えることで暖房を入れてスッキリできる。

現在の自分の問題。
* 仕事が繁忙期で残業が続くだろうという見通し
 →仕方ない。残業して対応する。一時間が基本で、一日あたりの残業時間が二時間を超えると経験上体を壊す確率が跳ね上がるのでそれはなるべく避ける。
 →マンガを描く余力についてはなくても構わない。
 →ストレス解消のために工夫する。甘いもの食べるとか。
* 職場の人間関係
 →今は忙しくてみんな精神に余裕がない。
 →基本的に衝突があると覚悟すべきで、一時的なものだと諦める
 →険悪な結果を引きずらないこと
* 職場が遠い
 →今に限ったことじゃないし気にならない時期もある
 →射程範囲の遠い問題
 →これにとらわれているのが悩みの原因
* 転職願望がある
 →今に限ったことじゃないし気にならない時期もある
 →射程範囲の遠い問題
 →これにとらわれているのが悩みの原因


射程範囲の近い問題と遠い問題があり、ごっちゃになって考えているのが原因。
直近の問題に対処することだけ考えると、「体を壊さないように残業する」。以上、となりシンプルな結論だ。
しばらく人生の我慢の局面だ。

---

この繁忙期をなんとか乗り越えつつ、「この会社で続けていけるのか」「この職種で続けていけるのか」を考えていき、繁忙期が終わる頃に暫定の結論を得よう。
転職意識がフェードアウトしていくなら継続。
「会社は無理だけど職種は大丈夫」なら同職種で転職活動。
「職種も無理」なら別職種で転職活動。
一旦の方針。

| マンガについての考えごと | 06:51 | - | - | permalink |
19111703
職業について考えるのはかなりしんどい。精神が消耗する。しかし自然と考えてしまうのでやっぱり書きつけて整理する。

自分とプログラマという職種との相性について。
ここのところの考え事では「自分はプログラマに向いている」というのを疑いようのない前提としてみなしている。これを疑う。

確かに向いている面はある。
* コードを描くこと自体は楽しい
* 自分なりに工夫できるとそれが一種の自己表現になるのでそこに面白みを感じる。自分なりの工夫の余地がある
* ひとりで黙々と作業できる
* 高度なことをやっているという感じがし(コードだけに)、自尊心が満たされる

ひとりで黙々と作業できるけど開発自体は本質的にはチームワークだな。だから「ひとりで」要素はプラマイゼロかもしれない。

一方で、自分はプログラマに向いてないんじゃないかという観点で考えてみる。
第一に向上心がない。これ以上勉強したりしてまで最新の技術についていくためのコストを払いたくない。これはプログラマとしては「悪い」傾向である。
厳密性がない。いつも詰めが甘い。コードをレビュー(上司や同僚に自分の書いたコードをチェックしてもらうこと)に出しても、つねに「細かいところまで目が届いてない」。
システム作りのプロセスが長くて複雑なのがきつい。案件受注から案件定義、設計、実装、テスト…というふうに、何ヶ月もかかって複雑なことをする。そのしんどさにいつも怯んでいる。ゲーム会社にいた時、ひとつの案件が終わってそろそろ次の、というタイミングで、「ちょっと自分のスキルじゃついていけないな」と感じたのは事実。だからしんどさに直面する前に逃げるように転職したという面がある。
繁忙期がしんどい。納期間際や納品直後は開発のリソースが足りなくなったりバグ対応が多くなって残業が増える。単純にしんどい。これをいつも恐怖している。

つまり「コードを書くのが楽しい」という仕事の末端のところにポジティブさがあるだけで、総合的に判断すると決して「良いプログラマ」ではない。
「草野球するのはは好きだけどプロとしてはやっていけない」「絵を描くのは好きだけど仕事としてやるにはしんどい」とかそういうものの類だとみなせるんじゃないか。

「向いている」という言葉を「少ない労力で大きな成果を出せる」と解釈するとして、私の場合「(残業がない限り)作業は苦じゃない」けど「大きな成果が出せているわけではない」。下手の横好き。言うほど向いてないのでは?

あ〜こう表現したらどうか。
コード書くのには向いている。楽しめるので。
仕事としてプログラマするのに向いているわけではない。能力的に高いパフォーマンスを出せるというわけではない。


と、このように自分のプログラマ適性にケチをつける哲学を構築していくと、職種の幅を広げた転職には有利かもしれないけど現在の仕事を続けるのにマイナスに働くのが大きな問題だ。私は明日も普通に会社に行ってプログラマの仕事をしないといけないのだから。自らを苦しめている。

「末端の作業が楽しい」ということをもって「向いている」と判定するのであれば、「コードを書く」というアクションは交換可能なはず。例えば私は刃物を研ぐのが好きなので仮に刃物を研ぐだけで仕事になるならその仕事は「向いている」。ただし優れた研師になれるかどうかは別問題。うーん。

コンビニはなぜ5年も続いたんだ?いや何年やったんだっけ。まあいいや5年で。
向いていたと言うほど向いていたわけではない。好きな業務塗装でもない業務があった… というか「能力的にできたから続いた」だけだな。おでん作るのはかなり好きだった。レジ打ちや接客は好きでも嫌いでもなかった。

ああそうだ。「将来性」をキーワードに考え事をしようというのもあったんだ。
プログラマ(エンジニア)としての向上心がない。テクノロジは進化していくのだから今後プログラマをやればやるほどジリ貧である。プログラマを続けるには技術についていく努力が必要。その労力を払ってまでプログラマという職種に執着しているか? してない気がする。
一方で、社会は進化していくんだからプログラマに限らずどんな職業だって変化についていく努力は必要である。
プログラマだったら具体的には新しいライブラリを使うとかJavaScriptを新しい中間言語で書くとかになる。これは仕事上では日常的にやっていて、じつはそこまで苦にしてはいない。新しい知識がはいることで「自分は高度なことやってる」感を感じて自尊心が満たされている、というのはあると思う。

自分はプログラマとしては三流である。三流でも仕事にしていくためには「才能ある人より人一倍努力しないといけない」といえる。じゃあそのコストを払ってまでプログラマを続けたいか。ノー。結局向いているか向いてないか問題は自分が望むか望まないかという意志に依存してくるのではないか。志望する動機が薄れたのならその時点では「向いていない」と解釈すべき?

うーん。胃が痛くなってきた。これから年末年始にかけて繁忙期なのにこんなので耐えきれるだろうか。
もっと自分はプログラマ職でHAPPY!ということを考えてバランス取らねばならない。
クラスをやメソッドやインターフェイスを具体的に考えるのは楽しい。
自分が書いたコードが動くのが楽しい。
あれ、なんか自分で書いてて白々しく感じているな。自分の今後の人生において別になくても構わない程度の面白さでしかない?

マンガを描いて得られる楽しさや達成感は換えがたい。これは一生モノの価値だし交換不可能な重要事項だ。

仮に「コードを書く」のと同程度に価値を感じることのできるアクションが見つかるならリプレイスしてしまって良い。
いや、そもそも「それをするという末端のアクション」に価値の基本を置こうとしている事自体が視野が狭いかもしれない。学術論文を書くのもインチキ宣伝メルマガを書くのも「書く」という切り取り方をすれば「書くこと」で同一にみなすことができる。しかし両者は本質的に異なる。

「コードを書く」を別の切り取り方で解釈してみる。
* ものを作る
* ロジックを組む
* 自分の工夫を入れる

「自分の工夫を入れる」というのは私には重要な要素であるように感じる。ということはマニュアル通りにやってそれから逸脱しないことが求められるような仕事ではキツイだろうと予測される。今私は(自分でも謎だが)タクシー運転手の職を念頭に置いていて、その仕事はこの観点でいうと向いているだろうか?
近所のタクシー会社は結構古い会社なのですでに決まったやり方を守らねばならない保守的なところである可能性はある。一方でタクシーは多くの時間をひとりで働くので自分の工夫がしやすいのではないかとも感じる。さらにその反面、業務に工夫の余地があるだろうかとも感じる。いや、どんな仕事であれ工夫の余地はあるか。うーん。

そろそろ打ち切っておくか。しんどい。
軽く結論を出しておこう。私の言う「自分はプログラマに向いている」の正体は「コードを書くのが楽しい」程度のことでしかない。別の職種の別の職能においてそれにリプレイスできるものはそんなにハードルが高くないのではないかと考えられると。「お湯で皿を洗うのが楽しい」程度のもので交換できるのではないかとね。だからそこまで執着するほどの重要事項ではない。

---

追記1。
これから年末年始にかけて繁忙期だし、現在の仕事だろう。ここは生存だけを目標にしよう。マンガを描くなどの高度な目標は立てなくてよい。日常的な残業を飲んでとにかく凌ぐことだけ考えよう。

---

追記2。
自分はエンジニア(システムエンジニア)タイプではない。
ツイッターの相互フォロワーさんにエンジニアタイプの人がいて、そういうひとはツイッターでRTする記事がテクノロジの話題に寄っている。
* VRチャット
* Unity
* ロボットテクノロジ
* 3DCG など
そういうふうに興味関心の方向性自体にまずエンジニア向けかどうかというのがあると感じる。デジタルの新しもの好き。自分はそのタイプではない。その意味でもプログラマ適性に疑いを感じる。

「この先もプログラマで続けていくのにあたって楽観的な予測がしにくい」という指針は得られるんじゃないかな。しんどくなっていくよと。たぶん今のこのしんどみはその第一歩なのだ。じゃあ何に向いてる?

---

もっとあっけらかんと単純に考えればいいんじゃないか。
* 遠くまで通勤するのが嫌だから近所で働きたいよね
* 繁忙期に残業三昧になるのが嫌だから残業のない(少ない)仕事が良いよね
* 別にプログラマじゃなくてもいいんだよね
蓋を開ければこの程度のことなのだ。
| 雑記 | 23:08 | - | - | permalink |
19111702
デス・ストランディングを五時間ほどプレイしたので休日を休日として消費したとみなそう。
もうちょっと転職の話題を考える。

職業選択において「こういう仕事が良い」というイメージは過去の記憶と結びついて導き出されている。
コンビニ店員時代に感じた「座ってパソコンに向かってできる仕事が良い」。
デジタル雑用時代に感じた「じっくりひとつのものを作ってスキルが深まる仕事が良い」。
上記ふたつから導き出された職種がプログラマであり、上記の記憶があるから自分にとってファイナルアンサーな究極の職業という印象がついている。
これを批判したい。

第一に、理想の形は変わる。状況や経験に合わせてゴール自体が動いていくというのが私の哲学だ。だから「座ってパソコンに向かってじっくりスキルを伸ばしながら物を作れる仕事」というゴールは「以前のゴール」にすぎないと考えられる。
介護職だってコンビニ店員時代に比べれば「専門性があってひとの役に立ち、正社員で働けて求人の多い仕事」という理念に照らせばそれを満たしていると言える。
デジタル雑用時代も「座ってできるパソコンの仕事」の時点での理念形は満たしていたと言える。

だから次の職業理念系にアップデートすべきなのだと考えられる。
場所のフレキシビリティは重要。すると最初の要素は「職場の融通が聞きやすい仕事が良い」。
例えばタクシー運転手を本当に検討するなら「ひとに接する」「ひとにサービスする」ということにポジティブな態度を持っているべきだが自分はどちらかと言うと人と接しないほうがいい。しかし、コンビニ店員や介護職をやっていたときも仕事としてひとと接する事自体は別に苦ではなかった。介護職が無理だったのは認知症ケアがしんどいからで、あれはどんな人間がやっても消耗が激しいと思う。
ひとに対して感じよく接する事自体は自然にできると思う。向き不向きで言うと可もなく不可もない感じ。その程度の意識で仮にタクシー運転手職に応募したとして受かるのか?
いやでも、「地域を支える」という角度から見てみたらどうだろう。海外旅行の際に帰ってくる時、駅から自宅までタクシーを使う機会があった。地域住民を支える足としてのタクシー。しかし私は逆になぜこんなにタクシー運転手に肩入れしているんだろう。職種を変えるにしてもタクシー運転手はひとつの候補に過ぎなかったのではないか?
ま、いいや。予め考えておいたことが役に立つかもしれないし考えてると不安が紛れる。

地元、というか「好きな土地」で働きたい→「好きな土地」の構成要素として貢献したい…貢献したいと言うとなんか胡散臭く聞こえるな。「好きな土地に根ざしたい」こうかな。で、どの土地にも仕事がある普遍的な仕事。やっぱりタクシードライバーが念頭から離れてないな。
コンビニのバイトした時、店長に志望理由を「自分はマンガ家を目指しているのでフリーターの期間が長くなると思う、なので仕事の基礎力として様々な業務を内包するコンビニから始めようと考えた」というようなことを言った記憶があり、それは店長からも理解を得られた。

うーん。

まとまってないな。「アップデートされた『こういう仕事が良い』観」について考えるという課題を得た。一旦区切ろう。

---


メモ:
仮に最寄り駅でプログラマの仕事があったとして、ということを考えてみてはどうか。

| 雑記 | 20:49 | - | - | permalink |
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