Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

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18112801
アイデア練り。

ゾンビから離れようという流れ。
どうも自分が描きたい方針とゾンビとは相性が悪い気がする。

お話で悪役を描く場合、その悪役が象徴するものに対する攻撃になる。
だから作者自身が現実世界において悪であると考えるものを悪役にすべきだ。
味方や仲間に銃を向けるべきではない。

ゾンビを描くとゾンビが象徴するものに対する攻撃になってしまうのを感じる。何も象徴しないスタンドアローンゾンビだったら描く意味はないし。
で、ゾンビが象徴するものはやはり「大衆」になる気がする。
ゾンビが象徴してきたもの。移民だったり、違う人種だったり、違う世代の人間だったり。
自分にとっての「異者の集団」が「怖い」となり「ゾンビ」として描かれる。

ゾンビを描く際の心情の基礎には「理解できない集団が怖い」というのがあるんじゃないか。
それは悪として認定しづらい。

あ〜わかったかも。私は「怖い-怖くない」軸で評価しようという気がゼロなんだな。しかしゾンビはこの軸で位置づけなくてはならない。
私が見ようとしている軸は「善-悪」軸なんだな。ゾンビを測るのには不適切な基準だ。

要するにゾンビは悪とみなし甲斐がない。
私にとって戦うべき敵ではないのだ。だから盛り上がらないのではないか。

じゃあ私にとって戦うべき敵は誰かという話。
路線はふたつある。
* 普遍的な「乗り越えるべき相手」。
* 負の自己実現をした自分
* 「父」なるもの。ルーク・スカイウォーカーに対するダースベイダーのような。
* 自分の上位存在。Vガンダムに対するV2アサルトバスターガンダムのような。
* 抑圧者
* 国民を抑圧する権力者
* 富を独占する金持ち
* 子供を支配しようとする親
* 従業員を搾取する経営者

私のイメージする悪はひとことでいうと「金持ちの権力者」なんだけど、金持ちであることと権力者であること自体は実は悪の要素ではないな。
弱者を抑圧することが悪である。金持ちの権力者は抑圧をしがちなだけでそれ自体が悪の構造ではない。

まあでも要するに悪役化するなら金持ちの権力者であるほうがやる気が出るということだ。
ゾンビは金持ちの権力者の象徴ではない。

なんだけど、ゾンビに抑圧者の象徴を見出すことは可能な気がする。「世間」「世論」「ネット叩き」だ。
日本の場合は世論みたいな空気的な圧力が強く、これがひとびとを抑圧しているとみなすことはできる。その抑圧的空気感をゾンビで表現するというのは無しではないんじゃないか。

なんだけどゾンビにとらわれるのはよそう。
敵対者を考えるのなら金持ちの権力者ベースで行くべきだ。

抑圧・不寛容が悪であると。

ゾンビをむしろ「抑圧されたひとびと」として考えてみる? するとゾンビを治すことが抑圧からの解放になる。すると人々をゾンビ化して支配する権力者が必要。
しかし、現在の日本で、「一部の特権者が抑圧し、大衆を愚民化させている」という現象を見いだせるかというとそうではない気がする。
たとえば階級社会で下層階級に生まれた大半の国民はろくに教育も得られない、みたいな社会であれば抑圧されたゾンビを描くのにふさわしい社会状況かもしれないが、現在はそうではない。

やはり「スマホばかり見ていて自分の意見がなく、デマに踊らされるアホな愚衆」みたいな象徴になってしまう気がする。いま日本の社会でゾンビに象徴させるとしたら。
ゾンビは昔から大衆の風刺だった?


別に大衆の風刺をしたいわけではないはずだ。
原点に帰れば「生きるのにあたって消耗するエネルギーを供給したい」というのが目標のはずだ。

うーん。あんまり考え事へのアプローチの角度がよろしくない気がする。
が、次の土日にゾンビ映画数本借りて見ようと思っているのでそれまではゾンビをキーワードにぐねぐね考えるのもいいだろう。ゾンビモードを維持して高いモチベーションで映画が見られたほうが勉強になるはず。
| マンガについての考えごと | 21:48 | - | - | permalink |
18112701
アイデア考え。

ゾンビ設定をもう少し考えよう。ゾンビというキーワードがやはり強い。
ゾンビ周りの設定を考えて、うまくまとまってきたらさらにそこに私好みのいい感じのプロットを適用し、必要であればプロットの都合に合わせて設定を修正するという手順を一旦念頭に置いておく。

ゾンビを「愚かな大衆の象徴」ではなく「恐怖」として描く心がけ。
大衆=読者=ゾンビという図式で念頭に置いてしまうと、良く言えば問題提起とか批判精神とか風刺とかと言えるかもしれないが、やっぱり基本的には「バカにしている」。せっかく読んでもらっても気分を悪くさせると思う。
だからそうではなく、我々(作者である私もそうだし読者もそう)にとっての恐怖の対象というふうに外側の存在としてゾンビを解釈する。
だから、読者=叩くネット民という想定ではなく、読者=いつ自分も炎上して叩かれる側になるかもしれないと内心怯えを持っているネット民というふうに考える。
炎上すると叩かれて怖いよねと言い合えるような相手を読者として想定する。



ゾンビは炎上案件に群がって襲ってきたり火炎瓶を投げてきたりする存在。
何が炎上するかわからない。

ふたつの選択肢。
* 炎上=ゾンビはコントロールされているとみなす場合
* 炎上=ゾンビはコントロール不能とみなす場合

コントロール可能ゾンビだったらコントロールする人物が登場する。どうやって操る?
* 薬物(ゾンビ化原因物質)
* 電波的なもの
* SNS(ゾンビはスマホを見る習性を持つ)

コントロール不可能ゾンビだったら何をきっかけにしてターゲットを決める?
* やはりSNS。ただし何が炎上するかはわからない。
* 通常のゾンビのように手当たり次第襲う。


着想。
ゾンビを操ることができると豪語している人物がいて、ネット上でのけっこうなインフルエンサー。
世論を操り、ゾンビを操る。お話の中盤まではコントロールがうまくいく。
しかし後半でコントロールに失敗し自らがターゲットにされてしまい、ゾンビに殺される。

炎上案件たたき勢力を分析する。
* 叩きたがっている
* しかし、叩くための理由が必要
* 叩くための大義名分を求めている

ゾンビでいうと?
* 襲撃したがっている
* 通常のゾンビは生きてる人間に無差別に襲いかかるが今回のゾンビは襲いかかるための理由が必要
* 大義名分があってはじめて襲いかかる

ゾンビにとっての大義名分、正義、とはなにか。
こう考えるとやっぱり「命令者の命令」があることが一番楽なんじゃないかと感じる。
お墨付きを与えてくれる「これにだけ従ってれば安心判断者」がいるのが一番いい。
だから「権力」なんだな。天皇は象徴化していて権力とは別の文脈になってしまっているので、安倍首相がそのポジションに近いんじゃないか。
ポピュリズムということか。ヒトラーもトランプもポピュリズム的。

ネット叩きという現象と、権力者が人気のある現象、整合性がある。
なんだけど、ネット叩き勢力の全員が安倍首相支持派かというとそれは怪しい。
いや、でもここは単純化しても良いのか?

ゾンビをコントロールできると豪語する人物がおり、「ゾンビは攻撃する大義名分を求めているから、それを示してやるだけでいい」と賢しらにいう。
で、コントロールにかなりうまくいくんだけど、どこかで失敗し、自分自身がターゲットになる。つまりある程度コントロールできるが本質的にはコントロールできない存在であると。

何をきっかけにしてゾンビになるのか。感染?
ネット叩き民の共通の行動様式が原因だといい。それはネットではないのか? 特定のサイトにアクセスすること? ネットギークが好むような飲料(モンスターエナジーのような)に特別な薬品が入れられていた?


今日はここまでにするか。「ゾンビのコントロール」にアイデアを出すのが重要そうだ。
| マンガについての考えごと | 22:41 | - | - | permalink |
18112601
アイデア練り。

課題。

以下のふたつの交差点を見出す。
* 自分の好みのお話の筋
* 社会の状況を象徴した設定

ネット叩き民をゾンビに象徴させるという着想が気に入った。
のでそれを芯にしてより気の利いた設定を練ろうとしている。
なんだけどうまく設定が考えついたとして、それをうまく活かせて且つ自分好みであるプロットが見いだせていないと。

設定を頑張って考えると、その設定を説明するためだけのお話になってしまい、つまりお話がつまらなくなる。
したらやっぱりお話から考えてそこに必要な最小限の設定だけ考えればいいかな。順序の問題。

挑戦失敗者、成功者、弁護者、非難する大衆、煽り屋、の役割分担ベースで考えていたやつがお話側だな。

非難する大衆をゾンビとして表現する。
で、このゾンビはネクロマンサー的な存在に作られて操られるというふうに単純化してしまえばどうか。
すると煽り屋ポジションのキャラが実は黒幕でゾンビ使いであるというオチになるかな。


失敗者が最初に試みるのはどこか遠い国で蔓延したゾンビ現象の解決。
これはうまく行かず、何らかの副作用があり、帰国後に人々から叩かれる。
で、大衆を煽動して叩きに誘導していた人物がおり、その人物が配っていたノベルティか何かが罠になっていて叩いていた連中がゾンビになって操られる。つまり異国の地で倒されそうになったゾンビ使いがやつだったのだ。

やっぱりファンタジーじゃないと描けなさそうだな。SFに耐えうるリアリティレベルで発想することが私には難しい。

---
象徴を活かした設定を考えるとして、しかしそれを厳密にやろうとするとキリがないしお話がつまらなくなる。
するといま設定を頑張って考えようとしているが順序がおかしい。

主人公が行動を選択するシチュエーションに置かれること。
挑戦失敗者が肯定され、力を取り戻すこと。

お話の側で今回やりたい事のポイントはなにか。
善を行おうとして挑戦に失敗した人物が世間に叩かれているのを弁護したい。これかな。
読者をどの位置に想定しているのか。
* 読者を叩きたがりの大衆として想定する→読者に対して批判を突きつける内容になる→嫌な読感の作品になる
* 読者を挑戦失敗者として想定する→主人公はその人物を支持する→こっちのほうが良い

読者に、挑戦失敗者に感情移入してもらう。
ということは想定読者が… 想定読者は誰だ?
「人間の、誰にでもある部分」に向けて描けば良いのではないか。

「挑戦が怖い、なぜなら失敗するとバカにされるし叩かれるから」という感情を人物化する。

ま、とりあえずそんな事を考えておこう。

あんまり考え事に集中できてないな。ツイッター見ちゃうし途中でフォールアウト76やってたし。今日はここまで。
| マンガについての考えごと | 00:47 | - | - | permalink |
18112503
ゾンビアイデア練り。

ネットの叩きたがりをゾンビとして表現する。
では炎上(叩きのターゲッティング)はどう表現するのか。
炎上案件に群がるネット叩き民はまるで○○に群がる○○のようだ。妥当な例えはないか。
死体に群がるハゲタカ?
果物に群がる蟻?

炎上案件にも出発点がある。
まずニュースやツイートなんかによる最初の情報発信がある。
それがたまたま炎上したら叩きのターゲットになっていく。

どんな案件が炎上するか?
炎上したら叩きが群がるという解釈を少しさかのぼって、「○○なことをする(→炎上する)→叩きが群がる」という風に考える。
出る杭は打たれる。少しでも目立つと叩かれる?

あー
スニークアクションゲームをヒントに。
「ゾンビに気づかれると襲われる。」
ゾンビたちはイナゴのようにワーっとやってきてすべてを破壊していく。なにがターゲットにされるかわからない。うーん。

日常生活をしていて、自分自身やその身近に炎上案件が発生することは非常に稀。私には経験ない。
日本の何処かで、みたいに、一週間/国で数件みたいな数だという認識。
ただ、ゾンビの襲撃だと「理由不明」だけどネットでの炎上案件は「これこれこういう経緯で炎上」というふうに理由がわかるんだよね。しかもそれが大事。その理由が妥当かどうかは別として。

ゾンビとして表現するよりむしろ「天罰」という概念に近いんじゃないか。
ネットで叩いている側からすると、「こういう理由でこいつが悪いから叩いて良い」ということになる。叩くべき理由がある。つまりそれは罪に対する罰なのだという意識ではないか。
ゾンビパニッシュ。罰するべきだという判断はどこで行われている?
これはゾンビではなく新興宗教の教団の武装兵士みたいな表現にすべき?

戦場ジャーナリストが遠い外国で戦争の取材をしてくる。遠い世界での災難。
それをゾンビにしてはどうか。ゾンビは遠い世界の話であってやばいのは知ってるけど自分たちは当事者ではないと。
ジャーナリストは外国でゾンビ問題に取り組んで失敗する。
帰国するんだけど、ゾンビウイルスが持ち込まれたらどうするんだ!と叩かれる。
ゾンビウイルスが、ジャーナリストを叩いている側の責任で持ち込まれてしまう。実はウイルス感染ではなくSNS経由での洗脳が原因だったり?

うーん、大したアイデアは出ないな。

今日はここまで。
| マンガについての考えごと | 00:48 | - | - | permalink |
18112502
考え事。

私自身が持つテーマ性というか「これがないとダメ」というのに気付いたのでメモ。
物語の構造について。
「経済か詩かを選択する」。

むむ、とは言ってもこれを明確にやっているのは邪竜の翼くらいか? ヘッドショットでもやってるか。

---

ゾンビモノでもう少し考える。

ジョージ・ロメロ監督の『ランド・オブ・ザ・デッド』では、世界にゾンビが蔓延していて、人間は防護壁の中で暮らしている。街には高所得者向けの高層マンションと低所得者向けのスラム街とがあり、スラムの住人はゾンビとの戦闘をやらされており、高層住宅の住人はそれを高みの見物している。社会の格差を表現しているのだという。
911テロをきっかけにしてブッシュ政権がイランと戦争をはじめ、実際に戦争に行って死んでいったのは貧乏な若者たち(教育も職もない貧乏な若者たちは兵隊になるくらいしか選択肢がない)だったと。なので貧乏人がゾンビと戦わされる世界として表現される。

ゾンビモノだからって立てこもらなくて良いんだな。いや、これは都市に立てこもっているとも言えるか。何にせよもっと柔軟に考えて良い。

『デイ・オブ・ザ・デッド』ではゾンビの世界だが人間側の描写では軍人がやたらとえばっている風に描かれていたという。これは当時のレーガン政権がタカ派だったのを表現しているという。

『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』はSNS社会になって誰でも情報を発信できるようになった現代を象徴しているという。

あー

ロメロ監督関係ないけど猿の惑星シリーズも当時の社会状況を象徴して作られていて、私はそこが好きだ。
「社会状況を象徴した設定」が好きだ。

なんだけど、お話というか主人公の行動にも象徴性がないとイヤらしい。
ゾンビ映画の登場人物というと個性はあんまりなくて人間の典型としての行動をしているように感じる。

* 社会状況を象徴した設定
* 主人公の詩的な行動
この2つを上手く融合させられると私的には満足度が高いらしい。

これを一応試みたのはドラクエの二次創作、ドラゴンクエストMOBSだ。
* 難民問題を象徴させている。
* 主人公は難民に肩入れする。

ゾンビモノにするのならさらにその先に主人公の行動の選択でカチッとハマるアイデアが必要。
例えばゾンビはその世界では兵器化されていて、ターゲットを指示すると攻撃する。デマ情報拡散によるアオリ屋と、ネット炎上たたきとを象徴させる。
で、主人公がたまたま何かのきっかけでその操縦権を手に入れる。ゾンビを操って何かを攻撃するのか、それとも違うことをするのかという展開になる。
とかかな?

一旦区切り。

| マンガについての考えごと | 20:23 | - | - | permalink |
18112501
アイデア練り。

例によってGitHubを利用してアイデア練りを始めたがあんまり進んでおらず。
フォールアウト76を金曜日に10時間位やったが電脳ダメージ蓄積値が臨界点を超えたらしく土曜日は少しゲームするだけですぐにグロッキー状態になりプレイできるコンディションではなかった。今後はプレイを減らそう。


スマホ中毒のジャスティスゾンビの着想をもうちょっと追ってみよう。
今回のそもそもの発想である戦場ジャーナリストのニュースから出発する作品とは別の作品という枠でも良い。

既存のゾンビモノ作品で私が好きな作品はあるだろうか。
実は、無い。私は別にゾンビジャンルが好きではないのだ。
じゃあ無理にゾンビモノ描こうとしなくていいな。でもま、脳への刺激にはなりそうなので考え事だけしておく。

ゾンビモノの基本パターンというと?
主要登場人物の日常から始まる。
周辺ではゾンビが出現し始めている。
いつの間に周辺がゾンビだらけになっている。
ゾンビから身を護るために立てこもる。
ゾンビとの攻防。
オチは?

そういえばゾンビモノってオチがどうなったかあんまり覚えてないな。
『ドーン・オブ・ザ・デッド(邦題『ゾンビ』)』では、立てこもったショッピングモールから脱出する。ゾンビ問題が解決するわけではない。
『アイ・アム・レジェンド(原作の方)』では、もう社会はゾンビのほうが多数派になっていて、ゾンビ社会に適応できてない人間の主人公のほうが異質な存在に成り果てているということが示される。
ゾンビモノをパロディにした『ショーン・オブ・ザ・デッド』では、立てこもったパブから脱出し、軍に救出され、友人がゾンビ化し、でも確かゾンビと共存する社会になっていくんじゃなかったかな。
ゾンビモノの基本的な文法を定義した『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』では、立てこもった民家から脱出した際、捜索隊にゾンビと間違えられて射殺される。

ゾンビという大きな状況が解決することはほぼ無い。
ゾンビが小さな問題であることは少ない。全世界的な問題になっていることが多く、不可逆的に広がっている。
ゾンビ化の原因がはっきりしていることは少ない。『バイオハザード』では確か科学的に作られたウイルスが原因だったんじゃないかな。
まあでもどうもゾンビモノではゾンビの原因と解決にはあんまり重要ではないらしい。

ゾンビモノのお話の基本的な構造を以下のように理解しよう。
* 主人公の周辺にゾンビの驚異が波及してくる
* ゾンビから逃げる
* ゾンビと戦うために立てこもる
* 状況が絶望的になる
* 立てこもり場所から脱出し、逃亡する

ゾンビとの遭遇→立てこもり→脱出。

ゾンビが「その時代で恐怖されているものの象徴」だとすると、立てこもりはどういう象徴だろうか。
ナイト・オブ・ザ・リビングデッドでは民家。
ドーン・オブ・ザ・デッドではショッピングモール。
ショーン・オブ・ザ・デッドではパブ。
「普段そこにいる場所」に立てこもるらしい。
現代日本で言えば引き込もり、つまり自宅?

いや、「ゾンビ化への抵抗」が象徴されるべきだと考えてはどうか。
今回念頭に置いているゾンビの象徴は「フェイクニュースに染まって扇動されるひとびと=いわゆる情弱」なので、それと対立する概念=正しい情報・客観的な事実に係る場所だな。
* 図書館
* 歴史博物館
* 新聞社(新聞が完全に信頼できるかどうかは怪しい気もするが)

ゾンビとの攻防は「自分はゾンビになりたくない=ゾンビに象徴される驚異に自分自身がなりたくない」という抵抗を表現する。
ラストの展開は?
* ゾンビが治るのなら、その驚異は解消されるという意味
* 主人公もゾンビになるなら、その驚異に染まってしまうだろうという諦念
* 脱出して当面の間安全だというなら、現状維持でいくしかないだろうという感じ

ああしかし、やることにひねりはないな。お話の展開にひねりはない。主人公が何を選択するのかという分岐点を設けにくい。お話の展開は一本道になる。

ゾンビモノかつ、お話にひねりをもたせる。可能かな? ここでいうひねりというのは、主人公が行動の選択のシチュエーションに遭遇し、どっちを選ぶのか視聴者に予想できない(どっちもあり得ると思わせる)ということ。で、行動の選択によって主人公の思想を表現する。
ゾンビモノだったら、「ゾンビになったほうがずっと利益がある」「ゾンビになるか、損をしてまであくまでゾンビ化に抵抗するか」ということ。
つまりゾンビになることがいかに楽で幸福で利益があるかということを示せると良い。


一旦ここまで。ゲームやるだけの電脳HPないし、映画でも行こうかなあ。
| マンガについての考えごと | 11:59 | - | - | permalink |
18112301
アイデア練り。

ゾンビモノにするという着想の検討。
ネットで炎上案件に群がる叩きたがりたちをゾンビとして表現する。
別にスマホをそのまま使うのでもいいな。ドーン・オブ・ザ・デッドでゾンビたちは生前の行動を繰り返すということでショッピングモールに集まる。同様に現代のゾンビたちはスマホでツイッターをチェックする。
流石に電話の契約が切れてるだろうということで電波はWi-Fi。充電は生前の記憶に従って普通にやる。
ってかやっぱり現代モノやSFは設定がめんどくさいな。現代モノやSFでの設定は科学的なつじつまを合わせる必要があり、象徴だけ考えれば良いわけではない。
なんだけどチャレンジすべきとも感じる。

ゾンビモノにしたとして、当初の目的である象徴の構造に破綻はないだろうか。

ええと
* 善を行おうとして失敗したものが非難される
* 社会的地位のある有力者も非難する
* 主人公は弁護側につく

作中で「善を行おうとして失敗した者」がゾンビたちのターゲットになる。
有力者のキャラがいて、実はゾンビだったと判明する。いや、作中で登場時は人間なんだけどゾンビの襲撃のターンになるとゾンビ化しているという感じかな。

ネット叩きをゾンビとして表現する場合有利なのは「自分もゾンビになってしまう」という恐怖だ。
思想の問題なんだから知性が後退するゾンビとして表現するのは適切じゃないんじゃないかとも感じたが、象徴的表現なのだからむしろ正しいという風に感じるようになった。
社会的地位のある偉大な(偉大だと思われている)人物がネット叩き側に回った際に感じる失望を、まともな人間だと思っていたのに気付いたらゾンビになっていたという衝撃に象徴させるとする。妥当な置き換えだと思う。

もしゾンビモノとして作ることができたら映画に近づける気がする。映画の世界はゾンビモノが大好きだ。
で、B級(上映時間の分類ではない方の意味)映画っぽいいい加減でバカな設定とノリができたら楽しい作品になるんじゃないか。


お話の構造。
* 何らかの善を行おうとして失敗する(失敗者)
* その件で世間から非難が集まる
* 主人公が失敗者側に肩入れする
* 社会的地位のある大物が失敗者非難の側につく
* 失敗者に私的制裁を加えようとして大衆が襲撃する
* 主人公が失敗者を守る


問題。
ファンタジーの際はオチとして「失敗者が大衆を救う」というのを構想していた。
ゾンビモノだとゾンビは救済の対象ではない。ゾンビを治してやったとしてもゾンビのときの行動の責任は免除されるだろうからオチにならない。いや、なるのか?

ファンタジーの構想の時念頭に置いていたのは「読者はむしろ失敗者を叩く大衆の側に近い心情を持つようにする」というものだった。ゾンビモノとしてしまうと読者の感情移入の側が主人公陣営になってしまう。その意味ではゾンビモノとして表現するのは意図に対して不適切である。うーーん。


読者誘導の構想。
* 作中で失敗者に対して非難の気持ちを持たせる
* 失敗者に肩入れする主人公に対して、「いやそれは間違いだろ」と感じさせる
* 作中の偉大な人物が非難を表明するのに対して「こいつはわかってるな」と感じさせる
* 作中で失敗者が自分を攻撃していた大衆を救うのを見て、ひるませる

オチで衝撃を与えるという設計になっている。
するともしゾンビのようなモンスター表現をするなら主人公側のほうがふさわしい。
読者が大衆側に感情移入しやすく主人公側に違和感を感じるような設定にできるとよい。

「失敗者を非難するか擁護するか」という点について「自分はどっち側だろうか」と読者が自然に考えてしまうようだとよりよい。

一旦ここまでにするか。フォールアウトが呼んでいるので76。
| マンガについての考えごと | 10:15 | - | - | permalink |
18112201
メモ。
ゾンビモノにしてはどうか。
ネットで叩かれてる人物が発生したら群がって襲ってくるゾンビ。
するとゾンビたちが何らかの手段で情報に接してる必要がある。
たとえば未来の世界でスマホのような情報端末が脳内にインプラントされておりゾンビでもSNSにアクセスできるとか。
原子力スマホが普及しててゾンビたちは普段ずっとスマホを見てるとか。

ゾンビの表現はその時代で恐怖されているものが象徴されているそうなので、ネットたたきを表現する。題名はジャスティスゾンビ。
他の要素との整合性考えながら検討していこう。
| マンガについての考えごと | 07:21 | - | - | permalink |
18111902
アイデア練り。

宗教裁判モチーフ。
裁判を別の形で置き換えたい。

有罪か無罪かを決めるプロセス。
有罪を求める主張と無罪を求める主張とを論理的に戦わせるのが裁判。
決定プロセスを変更すれば置き換えられる。
例えばコインで決める。少なくとも結論は出る。
例えば魔女裁判では被告人の足に石をくくりつけて水に放り込み、沈めば無罪(溺死するが)、浮かべば魔女である証明になるので死罪というメチャクチャなこともやっていたらしい。
だから例えばライオンと戦わせて勝ったら無罪とか、ベイブレードで戦って勝ったら無罪とかで、要するに何でも良い。

んだけど、今回やろうとしているテーマに沿ってるだろうか。
キリストやジャンヌ・ダルクのお話に似た要素があるから裁判に注目したけど、今回のお話の焦点はそこではない気もする。

お話の骨子を考える。
召喚士が民衆からデマ混じりの情報によって悪者扱いされてリンチの危険にさらされるという流れ。
有罪か無罪かという判定のところよりも後ろのところに焦点があるし、冷静な判断を経ていない思い込みが怖いという話なのだから、なんらかのきちんと根拠のある判断がどちらに傾くかどうかというところは重要ではない。
裁判のような正式なプロセスすら経てないのに有罪であったり悪人であったりということを決めつけることが問題なのだ。

だから既存の映画のシーンに見本を求めるなら裁判のシーンではなく『アラバマ物語』で群衆が留置場にいる被疑者をリンチしようと集まってくるところだな。アティカスが立ちはだかる。
キリストの話で言えば… 姦淫婦のはなしのところじゃないか。キリストの受難のところではなく。姦淫婦に民衆が石を投げる。キリストが「君らの中で罪がない者がいるなら石投げればいいよ」といい、誰も石を投げなくなる。責められている存在がいて、キリストが弁護してやる。すると主人公のポジションはキリストなのだ。
召喚士も受難者という意味でキリストで、主人公は弁護する者という意味でキリストなのだ。

姦淫婦石投げストップシーン。
調べると通称は「姦通の女」というらしい。
民衆が女に石を投げつけているところにキリストがたまたま通りかかって、というふうに記憶していたけど違うんだね。例によってユダヤ教の律法学者がキリストを陥れるためにひっかけ問題を出す。
「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか。」
で、イエスは、例の「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」をいう。
リンチを止めたわけではないんだな。

連想を働かせて思い出したのは浦島太郎の冒頭、子どもたちが亀をいじめているのを助けてやるシーンだ。
姦通の女と違って亀には落ち度はないが、みんなから寄ってたかって叩かれるという共通点がある。で、救われる。
浦島太郎も今回のお話の下敷きになる。


召喚士が何らかの種族を救おうとして難しい召喚にチャレンジし、失敗し、代償を払う(怪我?)。
召喚の失敗によって生じた事態の収集のために何らかの損害が出た。
召喚士の失敗を責める論調。
「○○を救おうとしたというのは嘘で、本当は召喚士は魔王を召喚しようとし、世界征服を企んだが召喚が失敗したのだ」というデマに発展する。
帰国した召喚士はデマに踊らされた民衆にリンチで殺されそうになる。
主人公が助ける。別に民衆の目を覚まさせるわけではない。助け方が主人公のジョブにまつわる方法だと面白い気がする。ニンジャだったら変わり身の術とか。ゾンビだったら身代わりになって無限に攻撃を受けるとか。

浦島太郎やキリストだったら、その場で注目を浴びる人物だった。特権的立場。
今回の主人公はそうではないだろう。制御不能の民衆がおり、彼らに影響力を振る舞うことは不可能である。なので最大の危機の回避は問答無用で(理屈で説得するプロセス無しで)行われるべきだろう。どういう表現になるか。


うわっ こんな時間。
ここまでにするか。
| マンガについての考えごと | 01:22 | - | - | permalink |
18111901
メモ。
メキシコでのデマ殺人、日本にも同じケースがあった。関東大震災におけるデマをきっかけとした朝鮮人虐殺事件だ。

すると3つの出来事を下敷きにするようだな。
* 邦人ジャーナリスト拉致→解放事件
* メキシコでのデマによるリンチ殺人事件
* 関東大震災における朝鮮人虐殺事件

下敷きになる過去作品や史実
* キリストの裁判
* ジャンヌ・ダルクの裁判
* アラバマ物語

裁判制度自体をマンガのネタにするという手もある。
例えばその世界では裁判の代わりにベイブレードやカードゲームやラップバトルの勝負で白黒つけるとか。そうすると裁判に至った経由や事件ではなくその裁判代用素材がそのマンガのメインの関心であるかのように偽装されることになる。ベイブレードやカードゲームのマンガだと表面上は見える。

裁判の代用になるような行事。なんか無いかな。これも画策や民話や史実から下敷きを得られると良いんだが。
| マンガについての考えごと | 07:17 | - | - | permalink |
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