Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

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20071201
なんか考えよう。

自主制作映画の方針は一旦保留にしよう。目処がつかん。
ただ、極限まで制作条件を絞っても残る要素が自分の描きたいものの核の部分だなということはわかった。
その内容は、邪竜の翼でのクライマックスシーンと同じものだ。つまり、救うべき・もしくは滅ぼすべき対象がおり、主人公は救うか滅ぼすかの行動の選択を迫られ、救う方を選ぶというもの。

で、なんか作りたい。
マンガでもいいし映画でもいいしその他のものでも良い。
練っている構想から離れて内容を変えた超短編映画でも良い。
ストーリー性のない創作でも良い(やる気が刺激されるなら)。

ストーリー性がないものはモチベーションを刺激される度合いが非常に小さい。
例えばプラモデル。たまに買う程度には好きだったはずだけど最近はほしいとすら思わなくなってきた。作るのがめんどくさいし飾ってても邪魔に感じてしまう。
高校生〜大学生の頃は一応、アルミワイヤーで工作したり帽子を手創りしたりなど、立体造形も多少やっていた。歳を取るにつれてそっちのスキルツリーはリセットされたようだ。
いまなにか、ストーリー性のないもので多少とも作りたいと感じるものあるかな…
日常使いできる食器。別に自分で作らなくて良い。
アパレル。同上。
自分のマンガのキャラのフィギュア。スケブみたいな感じで得意な人にやってもらえばいい。

ストーリー性無いものを作るという方向に光を感じないな。

軸足の位置を変えて、ストーリー性のあるもので、マンガ以外のものに目を向けたらどうかという話。
映画(実写の想定)には憧れるがハードルが高い。自分でも撮れるアイデアが浮かんだら実現したい。
演劇。映画以上に無理。現実的でない。
ゲーム。うーーーーん。マンガを作る労力よりも数倍手間がかかる。だったらマンガでいいじゃんとなる。
アニメ。これもマンガより手間がかかるが、アニメなら映画になるな。
小説。うーん。まあありではあるが。マンガを作る際の作業工程の一部になってるな私の場合。小説が描けるほどの構想があるならそのままマンガにできる。

結局、マンガが自分にとって最も優れたメディアだという結論になる。
* ストーリーが描ける
* ビジュアルがある
* 一人で全部作れる
* 作品にするまでの手間が映像に比べて圧倒的に少ない

じゃあマンガでいいじゃん。

どんなマンガが描きたいか。今描ける着想はないか。いつもどおりのこれを問い続ければいいか。



あっ 一個思いついた。
最近Skebのリクエストを出したんだけど(受領はされて、納品待ち、先客がたくさんいるようなのでまだしばらく掛かりそう)、今回は描き手さんの脳を借りる度合いが少なく、画想はこちらで用意して技術だけを絵描きさんに振るってもらうという感じにした。なので指示書をきちんと作った。この指示書を作るのは結構楽しかった。
「ひとに作業してもらうための指示書」というのはいいかもしれない。最終成果物のアウトプッターは私ではなくなるが。
Skeb納品を受けて自分がどう感じるかを確認してから検討するかな。でもこれで得られるものってほぼえろえになると思う。

もう一個思いついたな。
マンガだが、ストーリーのないもの。
* 1ページギャグマンガ(いつものやつ)
* 何らかの内容を説明するやつ(グラレコ=グラフィックレコードとかエッセイとか政治的主張とか)
ギャグのを描くのは好きなのでネタが出るならそれで全然OK。
説明のやつは舵取りを失敗するとプロパガンダとかアジテートみたいに不純な動機に毒されていくのであんまり積極的にはやりたくない。

あー

結局作るものの枠組みは今まで通りだな。まあいいや。いつもどおり描くべき内容を探そう。
| マンガについての考えごと | 11:52 | - | - | permalink |
20071101
考え事。

映画のアイデア。

「この者はこれこれこういう罪を犯しました。好きに罰してください。」と書かれた看板と、鎖に繋がれた存在(詳細未定)がいる。
主人公は看板を読み、道具を探しに行く。なので納屋なりホームセンターなり、道具を探しているんだなとわかる舞台が必要。
視聴者には「主人公はあの罪人を罰するための道具を吟味しているのに違いない」と感じさせる。
道具を決定して戻ってくる。
看板と鎖を破壊して罪人を解放する。

問題。
この着想そのままだと役者が必要。役者を使わないで済むアイデアと混ぜたい。

拘束に使っているのが鎖ではなく棺桶や箱というのでどうか。中に人が閉じ込められているらしい。でもそうすると「罰するってどうやって?」となる。
カカシのような人形を罪人としたらどうか。しかしその場合、鎖を切ったらダメな気がする。盗難防止用かもしれないので。

箱状のものに閉じ込められている路線が良さそう。
で、こういうふうに罰してねという指定が看板によってなされている?
例えばボタンが3つあって、「熱湯」「氷水」「電気ショック」と書かれている。この場合「道具を探しに行く」という必然性が出てこない。
箱に閉じ込められてて頭だけ出ている状態で、頭に袋がかぶせてある? これなら人間を使わなくて良い。
あっわかった。箱詰めではなく袋詰にすればいいんだ。これなら鎖につなげる。

看板に「道具を各種用意しましたのでお好きにお使いください。持参した道具をお使いいただいても結構です。」と書いてあり、道具箱が置いてある?
で、ペンチとかムチとかの嫌な感じの道具が置いてある。ただしその中に鎖を切れる道具はない。
主人公は道具箱では飽き足らずに道具をさらに探しに行く。

道具箱は大中小のみっつあり、それぞれアクセスするのに金を取られる?
百円/千円/一万円みたいに。要検討。

主人公が最終的に実行する行動は「看板を壊す」「罪人を解放する」なんだけど、必要なアイテムがバラけるのが良くないな。看板を壊すにはハンマーやバットや斧が向いてる。解放するのには鎖を切る道具だろう。鎖を切る道具は用途が限定されすぎていて、主人公がそれを手にとった瞬間に先の展開が読めてしまって意外性がなくなる。
看板を壊す必要はない。
何によって拘束されているのか、というところを工夫すれば解放のためのアイテムを変更できるのではないか。
ロープなら刃物で良い。
手かせ足かせのようなものなら… 鍵? 金属を切れる道具?

道具から逆算すべきではないか。
斧かハンマーかバットがしっくり来る。暴力的な連想を呼びやすいので。
ハンマーやバットで拘束から解放するのはやりにくそう。

拘束の仕方に「こういうにしたくなるでしょう」という誘導がある?
たとえば首のラインに切り取り線が引いてあるとか、指が一本だけ台に固定されててハンマーで潰したくなるようになってるとか。
で、それを実行するのに沿った道具のアンロックには高めの値段が設定されている。
やっぱり斧だろうなあ。すると斧を使いたくなるような拘束レイアウトが工夫されているべき?

首吊り…

遠隔レイアウトでどうだろう。
柵があり、首吊台があり、縄がかけられた罪人がいる。
柵のこちら側にロープがあり、これを切ってねと看板がある。ロープをたどると、それが切れると罪人が台から落ちて首が締まって死ぬようになっている。(具体的にそういう仕掛けをどう作れば良いのかは思い浮かばなかった)
切るための道具のアンロックにお金がかかる。…いや、刑を実行してくれたら報酬を出すというふうになっているべきだな。
主人公は斧を手に入れ、それを投擲し、罪人の首にかかっているロープを切る。うーん。


一旦仕切り直そう。
| マンガについての考えごと | 19:31 | - | - | permalink |
20071001
考え事。
マンガのアイデアが出そうにないので別の考え事。
いつか映画が撮りたい。
自主映画に興味がある。
スモールスタートということでごく短い短編映画を自主制作できないだろうか。
構想。
「自分でも撮れる映画」という工夫のアイデアを積み重ねていく。
同時に、その範囲内で描ける物語を模索する。もちろん物語なんだから自分の描きたいような内容であるべき。

撮れる工夫と描きたい物語とがうまく交差すればその交差点で作品ができるのではないか。

構想。
カメラはスマホ。
サイレントにする。
映画『ハードコア』のように一人称視点で展開する。これならカメラと主人公とが一致するのでひとりで映画作るのに向いてる。

人間を出さない工夫(人間を出そうとすると役者を雇わなくてはならないので)。
* 笠地蔵でおじいさんがお地蔵さんに笠をかぶせるシーンのように、モノを相手にしたシーンにする
* 人が閉じ込められた箱とかぬいぐるみに変身させられたひととか、人間の姿を隠蔽・もしくは変更されたものを出す
* 電話やメールなどの通信相手としてのみ人間が登場する

他に雑多メモ。
* ピストルなり斧なり、用途が明らかな道具を持たせると視聴者に主人公の未来の行動の予測を立てさせることができるので良い。
* 持たせた道具を最後に意外な使わせ方をするなどでヒネリを入れられる。
* 変なアイテムを持たせればそれ自体が主人公のキャラ付けないし作品のテーマになる

物騒なアイテムを持たせるというのは出発点になり得るアイデアだな。一人称アクションゲームで見慣れているだろうから画面の中央に映るものに対して主人公がそれを振るうだろうと視聴者は予測する。予測のレールが引かれるからこそそれを裏切ることができる。

笠地蔵的なお話がいい。
主人公は斧かハンマーか銃を持っている。
作中で何かと出会う。笠地蔵で言えばお地蔵さん的なもの、浦島太郎で言えばカメ的なもの。
で、主人公がそれに対してどういう関わりかたをするのかということがお話の中心的関心事になると良い。
その対象は何らかの欠乏を抱えていて助けてあげるべきであるという面もあるし、なんらかの悪を持っていて成敗するべきであるようにも見える。主人公は救済と討伐とのどちらを選ぶのか?というサスペンスになってくれると良い。
手に持ったアイテムが意外な使われ方をするというオチだとなお良い。

眠いので一旦ここまで。
| マンガについての考えごと | 00:13 | - | - | permalink |
20070701
マンガの考え事を略してマンガエゴトとしてはどうか。

哲学的なテーマで描けないか。
手塚治虫のマンガに、主人公が突然窓から皿を投げると割れる音がしない、という始まり方をする作品がある。
「この世界は目に見える範囲のすぐ外側で誰かが操ってるんじゃないか」という仮説に基づく作品だった。たしか蝶が出てきた。
この世界の当然のあり方を疑う哲学的作品だった。

哲学的な着想でなんか描きたいものあるかな。
… ない!
この話題はここまで。

何も考えつかないし映画を見るには遅いのでうちの本棚を物色して目についた手塚治虫の『ブッダ』を読んでいた。
どうも私は「僧」という存在がとても好きらしい。
* 「求めているもの」がある
* 基本的には善に属する
* 哲学的である
* 思想に基づいて生きている

僧侶に思いを馳せることでアイデアにつながらないかな。そういえばグラブルでも最近取得したモンクばかり使っている。いかに僧的存在が好きかという話。
| マンガについての考えごと | 00:53 | - | - | permalink |
20070602
考え事。

優しくするシーンについて。

誰が誰に優しくするのかという構造の設計が主張になる。
これはやはり戦いを描くのに似ていて、誰が誰を倒すのかによってメッセージになるのと同じ。

戦いを、権力者が弱者を倒すものとして描くなら権力側に与する主張になる。
つまり戦いにおいては善悪、正義のメッセージが物語を通して発生するということだな。
私としては弱者が権力者を打倒するという物語が良い。

で、優しくするシーンの設計と主張。
誰に優しくするべきかというのがまず主張になる。
たとえばホームレスの人物が出てくるとする。

鬱屈を抱えた主人公がストレス発散のためにホームレスを襲撃する
→ ホームレスを人間扱いしていない。

ホームレスを「怠け者め」と罵る
→ 自己責任論の主張になる。

ホームレスの人物が売っているビッグイシューを買い、お釣りは受け取らない
→ ホームレスへの支援は価値があるという主張になる。

うーむ。
優しくするというシーンを描くだけで常に善いメッセージになるのではないだろうか。相手が誰であれ。
愛と平和というヒッピー的なメッセージに常につながる。
だから優しくするシーンを描きたいなら欲望のままにそれを描いているだけでも一定の価値があると言えるんじゃないか。

で、社会的メッセージを込めるなら…
世間では非難されているけどその非難は不当であって我々は彼らに寄り添うべきだ、という対象をターゲットにするといいんじゃないか。
優しくするシーンの対象とすることで、そのマンガ世界はその対象の側に寄り添っているのだというメッセージを発することができる。
世間に蔓延する自己責任論が私は私は嫌いなので、失敗者に寄り添うというのがまず考えられる。
そんな感じで列挙すると…
* 失敗者
* よそ者(在日外国人)
* 低賃金労働者
* 敵(敵を愛せという教え)

映画『JSA』では南北朝鮮の兵士同志の友情が描かれていてぐっと来た。敵を愛せというのは社会的テーマ…というよりは哲学的テーマだ。
敵というと…
権力者。これはNOだな。「権力者に媚びる」という図式になる。
ネトウヨ。これはありだと思う。ネトウヨというのは結局思想ではなくて寂しさの表現であるケースがあるんじゃないか。孤立感があり、一体感を求め、ネトウヨという渦に身を任せる。

うーん。

眠くなってきた。ここまで。
| マンガについての考えごと | 00:56 | - | - | permalink |
20070601
なんか考えよう。
怪獣に味方する怪獣の着想はモチベーションが下がった。昔SNSで見かけたマンガに、仮面ライダーの悪の組織の雑魚戦闘員が主人公で、仮面ライダーを冷酷非道な存在として描くやつがあったと思うんだけど、結局発想がそれと同じだ。私はあのマンガあんまり好きではなかった。

怪獣を守る怪獣を出すには、怪獣を怪獣だというだけで殺そうとする存在が必要で、それは最近のウルトラマン(をパクったもの)になるだろう。しかし、それは結局ヒーローを中身を悪役に入れ替えて描いているだけなのでマッチポンプ的である。
ちゃんとコスモスのときのように、怪獣との共存をテーマにしたシリーズもあるのだから、ウルトラマンを怪獣虐殺者として描くのは恣意的すぎる気がする。フェアでない。

それに、とにかく怪獣をデザインするのが難しい。
図鑑を見たり過去のウルトラ怪獣を見たりしてデザインしようとするんだけどハードルが非常に高い。
女体と違って怪獣は造形的に好きで描きたいというわけではないのでビジュアライズは非常にしんどい。

でも怪獣を出す時は怪獣側のキャラを描くのが私の基本スタンスらしいのでまたやるだろうけど一旦撤退。

別のことを考えよう。

どんなマンガを描きたいかと基本の問に戻る。
* 美挙が描きたい
* 優しくしているシーンを描きたい
これも以前からの基本。
邪竜の翼がこの路線でかなりうまく行った例。

この路線で新しい発想出ないかな。
最近見た映画で「自分だったらこうするのに!」って感じたものなかったかな。

優しくしているシーンを描くのがマジで好きで、最近の国津神マンガなら例えばこれ。


ただ、こういうのは、描いて気持ちの良いシーンを存分に描きたいというモチベーションなので、方向がポルノになってくる。
優しくするというシーンに真面目な意味付けを与えてうまく象徴の手法にうまく落とし込んで利用できればポルノに行かずに発展させられるかもしれない。

優しくするシーン。
* オオクニヌシがイナバノシロウサギに傷の癒やし方を教える
* 笠地蔵でおじいさんがお地蔵さんに笠をかぶせる
* 浦島太郎が亀をこどもたちによる迫害から守る

優しくするという行動自体がなにかの象徴になるわけではないな。
優しくすることがどういう結果をもたらすのかという、理(ことわり)を表現するのがそのシーンの機能になる気がする。
笠地蔵ならお地蔵さんに優しくすることで恩返しとして財を貰える。
鶴の恩返しでも、鶴が恩返しで奉公に来る。

優しくするという行動は物語の世界では良い結果をもたらすという法則がある。

あー

物語は本質的に「解決」に向かう。解決すべき問題があって、解決に向かう。
解決させる手法は主に闘争で、敵対者に勝つことで問題が解決される。
優しくするというイベントは、問題解決の流れにおいて使いやすい。問題をズバリ解決することもあるし、問題解決のためのフラグを立てるのにも使える。

だから実は普通にお話を描こうとするとだいたい一箇所は優しくするシーンを入れるのは容易にできるということだ。

と、いうことは、普通のお話を描こうとすればいい。その解決の道程の中に自分へのご褒美的に優しくするシーンを入れれば良い。これはバトルを描くのが好きな作家がバトルの豊富なマンガを描くの同様の現象である。「あの作者はバトル描写にこだわりがある」みたいな感じ。
優しくするシーンをバトルのように描けばいいのだ。

あんまり役立つ発見じゃないな。うーん。

一旦区切ろう。
| マンガについての考えごと | 21:46 | - | - | permalink |
20070401
考え事。

今日は映画を3つ観た。
* ソニック・ザ・ヘッジホッグ(これは映画館で観た)
* JSA(韓国映画)
* フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ

ソニックは普通に面白かった。エンターテイメント。

JSAは南北朝鮮の兵士たちの間の友情の話。期待していたより面白かった。

サンダ対ガイラは創作意欲を刺激された。
やはり怪獣が好きらしい。
今朝、テレビでウルトラマンZを観たんだけど、ゴモラが殺されていた。ウルトラマンの世界では怪獣であるというだけで殺されるという不条理がある。
また、最近のウルトラマンはちゃんと怪獣を描いてないというか、怪獣は昔のシリーズからいるやつの使い回しが多いので怪獣については新しい情報がなく尺を割いて説明されることがない。一方でウルトラマンの側はいつも新要素がある(新しいウルトラマンであったり新しいフォームであったりする)ため映像の尺はそっちに取られる。怪獣の扱いが薄いのだ。
そこにフラストレーションを感じた。
その欲求不満が原因となってサンダ対ガイラを観たくなったのだ。

怪獣の登場が作中では謎として扱われ、登場人物たちがその謎を解いていくという展開が好きだ。なのでサンダ対ガイラは心地よかった。

怪鳥以津真天現るから引き続いて怪獣をキーワードにしてなにか描けないか。

怪獣に味方する存在を描きたい。
オオクニヌシが怪獣に変身する?
守護獣的な怪獣を作り、別の怪獣を守らせる?
ウルトラマンアラズを登場させ、怪獣を守らせる?

怪獣の味方は怪獣の姿をしているべきである気がする。じゃあアラズは無しかなあ。
オオクニヌシが怪獣に変身するという場合、結局怪獣性が薄れてオオクニヌシというキャラになってしまう。ヒーローズアンドヴィランズで怪獣人間を出したときにも感じたが、怪獣が人間と互換性を持っていたらそれは怪獣ではなくなってくる。

「怪獣に味方である怪獣」を新キャラとして作りたい。それはオオクニヌシやウルトラマンアラズとは別の存在だが、私のマンガ世界の中では彼らは同志の関係になるんじゃなかろうか。
守護獣。『ゴジラ・モスラ・キングギドラ、大怪獣総攻撃』におけるバラゴン・モスラ・ギドラのような存在。神秘の獣。

どんなデザインがふさわしいかな。
* 沖縄のシーサー
* 神社の狛犬

番犬というくらいだからまず犬は候補になるだろう。
聖なる属性の動物というと…?
十二支。黄道十二宮星座。四聖獣。桃太郎のお供、金太郎のお供、浦島太郎のお供。
亀、鳳凰、龍、虎、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥、犬猿雉、熊、亀…

怪獣が人間と相容れない最大の点は人間世界に居場所がないことだ。必要な食料も巨大だ。飼育することができない。
だから、怪獣は死なないのならば空に消えるか海に消えるか地中で眠りにつくかくらいしか落とし所がない。
ゴジラは海に帰っていくし、ウルトラマンは空に消えていく。
私の怪獣の好みから言うと空は飛ばないでほしく、人間型ではないほうが良い。空に消えるのではなく海に消える。

モチーフとなる動物の選定からだなあ。
| マンガについての考えごと | 01:24 | - | - | permalink |
20063001
マンガの考え事。

* お話と社会的主張とのバランス
* 正義を振りかざすお話は癒やされない


お話と社会的主張とのバランス。
私は自分のマンガに社会問題なんかをテーマとして入れたがる。
現実世界と全然関係ないところで終止するお話が嫌なのだ。だからネトフリのアニメ映画のゴジラシリーズはキツかった。
なんだけど、一方で、小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』のように、政治的なり社会的なりの主張だけでできたマンガも好きではない。自分が描くものがそういうものであるのは嫌だ。
きちんとエンターテイメントを志したお話があり、そこではテーマとして社会問題なりの現実世界と噛み合う要素がある、というのが良い。
お話と社会要素とのバランスが本質的に大事である。


正義を振りかざすお話は癒やされない。
私は常にツイッターに張り付いているのでいろんな意見をツイートで見かける。
最近感じるのは、いや、最近でもないな、つねづね感じるのは、右傾化と分断とが進んでいるしそれらが煽られているということだ。
在日外国人を叩くとか、生活保護受給者を叩くとか、弱者がより弱い立場のものを攻撃するという図式を感じる。
それは首の締め合いであって、我々の生活を向上させるという目的に対しては効果がなく、むしろ逆効果である。
だからそういう、弱者を攻撃したりヘイトを煽ったりするのは間違っているぞ!というのが主張になり得るんだけど、じゃあそうやって描かれたマンガを想像すると、どうも内容が殺伐としていて読みたいと感じられない。
正義とか義憤とかから出発するのは上等ではないかもしれない。
ヘイトを煽るような愚者たちに着眼するのではなく、抑圧されている人々に注目し、彼らを応援したり彼らに寄り添ったりするという心情を出発点にするといいのではないか。『マッチ売りの少女とデッドプール』とか『メフィストフェレスのアイドル』なんかはその系統だったはず。

あー


ヒーローと戦う。
『怪鳥以津真天現る』におけるタケミカヅチのポジションは通常のニチアサ的ヒーローのものだ。
オオクニヌシたちの戦う相手は基本的にそういうスタンダードなヒーローになるのではないか。
ウルトラマンとか仮面ライダーとか、露骨にモデルが判るヒーローキャラを出して、オオクニヌシたちをそれと戦わせる?

うーん。一旦区切り。
| マンガについての考えごと | 21:43 | - | - | permalink |
20062901
そろそろ次のアイデアを考え始めよう。

『怪鳥以津真天現る』は自分でも気に入った作品だが、あれは自分がマンガに求めるものをガチガチにはめ込んでいってうまく行ったものだった。ハードルを下げてゆるくやろうという試みのほうがかえってうまく行かなかった。

当面はガチガチめに考えてみよう。

すると社会問題から出発するのが良い。
気になる社会問題をピックアップする。
→それについての自分の主張を整理する。
→自分の主張を物語の形で象徴的に表現する。

今気になる時事問題。
ブラックライブズマター運動。私は運動を応援する立場。
香港の民主化闘争。私は思想の左右で言えば左寄りらしいんだけど、世間的には左翼=中国(中国共産党)シンパという先入観があるらしい。私は最近知った。どうも朝日新聞あたりがその典型とみなされているらしい。
私は中国共産党は少数民族への人権侵害とかやっているから基本的に悪だと思っている。なので香港の民主化闘争も応援してる。応援してると言ってもそういう立場だよというだけで資金とか物資とかを提供しているわけではないんだけど。

BLMと香港に共通しているのは権力との対立ということだ。
抑圧された者たちが権力に対して抵抗している。私はそういうの好きだ。

あとええと…
最近ツイッターで見かけてイラついた画像があった。移民が増えると日本人の雇用が奪われるという、在日外国人へのヘイトを煽る内容のもの。イラつくのでリンクは貼らないが。
移民が増えると元からの住民の雇用が減るというのは実は科学的根拠が無いそうで、アメリカでのアカデミックな研究では「移民が増えても雇用の悪化にはつながらない」という結論のものが多いそうだ。

それらのソースへのリンクは貼ろう。
「移民が仕事を奪う」という根拠なき感情論
移民流入なら日本人の雇用はむしろ増える

で、要するに、在日外国人へのヘイトを煽るような振る舞いは私には邪悪に見える。わざわざそれを画像を作成してまで煽ってるツイートを見て非常な邪悪を感じた。

私にとっての基本的な邪悪観は権力に基づくものなんだけど、この「分断やヘイトを煽る」というのも邪悪認定できる。
すると次の悪役は分断を煽るもの?

いや、怒りを根本の原動力に置くべきではないかもしれない。

別の出発点を探そう。

ウルトラマンアラズ(私のオリジナルウルトラマン)をオオクニヌシの一味に加えるという着想がある。具体化できるかな。また怪獣を出さなくてはならないな。
怪獣は「虐げられた者たちの爆発」だという解釈。
そうだ、BLMも香港抵抗運動も怪獣的だという話をした。そのへんからアイデアを膨らませられないかな。


まあすぐにアイデアが出るわけではないか。徐々にブログモードに脳をシフトしていこう。

| マンガについての考えごと | 23:40 | - | - | permalink |
『怪鳥以津真天現る』反省会
怪鳥以津真天現る』が自分でもすごくお気に入りになったので自画自賛反省会をしよう。

今日、山田洋次監督の映画『馬鹿が戦車でやって来る』を観た。
中盤まではノリがちょっと苦手で観てるのがしんどかったけど戦車が登場してからは目が離せなくなった。
感じたのは、この戦車は怪獣だということだ。
つまり、私にとっての怪獣観は『虐げられた者が抗議のために爆発的行動を起こしたもの』で確定したようだ。
この戦車は最後海に消えるのでまさに怪獣そのものだ。
だから、いま世界中で巻き起こっているブラックライブズマターのプロテスターたちも、いわば群衆型の怪獣なのだと言える。

私はバンプレスト的日本のヒーロー(ガンダム、仮面ライダー、ウルトラマン、戦隊、プリキュアなど)ではウルトラマンが好きだったんだけど、お話を描くのを通して怪獣への理解が深まるほど、好きではなくなってきた。
というか今はむしろヒーローは自分の敵なのではないかとすら感じるようになった。今回の怪鳥以津真天現るにおけるタケミカヅチを描くことを通して。

怪獣が好きだ。
怪獣への理解が深まった結果怪獣が好きになった。
水木しげるやクエンティン・タランティーノやギレルモ・デル・トロといった怪獣好きたちは、おそらく生来のものだ。水木しげるはゴジラになりたいあまりどうすればゴジラになれるのかを真剣に考えたという(うろ覚え)。つまり、怪獣に自己同一化する人々なのだと思う。
私はどうも、そのタイプではない。しかし、怪獣好きのメインストリームはそういう自己同一化系統だと思う。

なんにせよ私なりの道筋を経て怪獣が好きになった。
で、私自身は怪獣そのものではないんだけど、怪獣の側に立ってそれを応援したい。怪獣弁護士、怪獣使い、怪獣応援団の立場だ。
だから、今回のオオクニヌシがまさにそういうポジションだったので、非常に満足している。

今回のオオクニヌシ、複数の点で現時点での私にとっての理想のキャラになっていると感じる、
* やさしい
* 昔話に由来がある
* 怪獣使い
* 体制と対立する

私の描きたいシーンはいつも「困っている相手に優しくする」シーンだ。
美しいシーンの見本として念頭に置いているのが「笠地蔵でおじいさんが地蔵に笠をかぶせる」「鶴の恩返しで鶴を罠から助けてやる」であり、オオクニヌシがイナバノシロウサギを助けるという古事記でのシーンはこの系統のエピソードの日本における最初期の例のはずだ。もちろん世界中の神話に類型のあるシーンなので文字で記録される以前からあるものなのだろうが、日本において文字で残されたお話では最初期のもの(もしくは最初のもの)だろう。
つまりオオクニヌシは日本における「優しいキャラ」のルーツであると言える(と思う)。
今回のオオクニヌシも、怪鳥以津真天に同情して彼を手助けしている。優しいシーンなのだ。

私はよく昔話や神話を元ネタにする。
マンガでは説明事項が少なければ少ないほど良いと思っている。読みやすくなるので。なので、読者がすでに持っているであろう知識に乗っかれるように設定を作る。そうすると少ない説明で多くの情報を読者が理解してくれる。
で、日本の神話といえば共有度が高いし、パワフルな元ネタだ。神話なら世界的な普遍性がある(集合無意識の領域で理解が得られる可能性がある)ので、昔話を下敷きにする手法が発展すると神話に行き着くと思う。

怪獣使い。上記で書いたもの。

体制と対立する。
どうも私は、社会的な題材が好きらしい。
例えば映画を観て、悪役が登場する。その悪役が結局偏執的な個人の暴走に過ぎない場合、がっかりする。つまらない。
また、犯罪組織や悪の組織みたいなのが敵である場合もやはりイマイチだと感じる。悪役にするために作られたフィクションに過ぎないと感じる。
権力に結びついた現在の体制が悪であるという設定のとき、満足度が高い。作中で描かれる問題が現実に存在する問題と対応しているのを求めている。
なので、権力や体制と対立する存在が好きだ。
神話でいうと代表的なのが堕天使ルシファーだ。神に戦いを挑む。
で、オオクニヌシ。オオクニヌシはせっかく中つ国を支配してスクナヒコナと協力して国作りに励んで国内を整えたのに、その成果を天津神たちに横取りされる。国譲りのエピソードだ。
国譲りのくだりは国津神VS天津神の戦いであり、上からやってくる天津神が権力者であると言える。オオクニヌシも権力と戦う反体制的ポジションなのだ。


国津神たちのお話をもっと描けないだろうか。
現実世界に存在する社会的問題に注目し、それに対応する神話や妖怪などの象徴を探し、オオクニヌシたちに関わらせる。
昔描いた『フレンドプリキュア』での悪役も似たようなことをやっていたので私の得意なパターンではあるはずだ。
ブラックライブスマターもいわば怪獣だという解釈を得ているのでそれをそのまま発展させればマンガにならないかな。うーん。

| マンガについての考えごと | 00:49 | - | - | permalink |
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