Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

Love & Comic 本サイトへ戻る

<< CtS擬似任務自主コミックリプレイ04 | main | CtS擬似任務自主コミックリプレイ05 >>
Catch the Sky〜地球SOS〜紙芝居


今回はニコニコにアップしてからのチェックでよく間違いが見つかりました。
ニコニコから削除⇒データ修正⇒アップし直し、というのを二回も繰り返してしまいましたよ。

やっぱり女の子が登場すると描きやすいし描いていて楽しいですね。えりかさん投入すべきかなあ…
兵舎紹介紙芝居制作後の反省会。

女のコを描くというのはやはり圧倒的に楽しい。
特に、プレイヤーキャラという裏付けのある女の子というのは、「根拠のある架空の存在」「2.5次元」という稀有なポジションの・現実とヴァーチャルとの狭間にいる存在であり、それを描くということは強く官能を刺激しますね。
詳述します。

二次元の女のコは魅力的であり、それはヴァーチャルな存在だからです。自分に対して異を唱えることのない「他者性の無い存在」であるということも心地よいのでしょうが、それよりもヴァーチャルな存在であるということそのものが重要な気がします。

ヴァーチャルな女のコは愛しやすい。

けれど、二次元の女の子は、マス・プロダクト的なキャラ(えろげのキャラなど)の場合は「情報」でしかなくその由来や根拠に人間を感じさせないため、空虚な感じになります。というかわたしは空虚さを感じます。なので思い入れを強くしにくい。

マンガのキャラみたいに、そのキャラを生み出したものが誰なのかがはっきりしている場合は、その二次元少女の根拠はその作者となります。だから、男性作者の描いた女の子キャラはどうにもわたしには男由来ということを感じてしまい、愛しにくさを感じてしまいます。

わたしなんかは自分で自分の好みのヒロインを描いてマンガに登場させますが、その少女はわたし由来の女性なので、やはり根拠として適切さを感じられないのですね。「異」性であるからには自分の外側にそのキャラの根拠が欲しい。

そこでオンラインゲームでのプレイヤーキャラが登場するわけです。
オンラインゲームでのプレイヤーキャラ(=アバター)は、プレイヤーによって根拠付けられているわけです。
わたしが・自分で考えた女性キャラを描くときはそこに他者性はないのですが、ほかの方のプレイヤーキャラを描くならば、そこには他者性が混じるわけです。
しかもそれは、わたしがペンを執って描いているのだから、その他者性はわたしによって飼いならされた・錯覚としての他者性に過ぎないものになります。
プレイヤーキャラクターの女のコを描くというのは、ヴァーチャルとリアルとのいいとこ取りをした「2.5次元」の女のコを描くということであり、よってとても官能を感じるわけですね。

わたしが自分の持ちキャラのヒロインを使って脱衣シーンを描いてもそれは徹頭徹尾男としてのイシイタケルから発せられるものなのでわれながら気持ち悪さを感じます。
ところがプレイヤーキャラとしての女性キャラで脱衣シーンを描くのなら、それは、脱いでいるのは女性なのであってわたしではない。わたしはただそれを描きとめているだけという立場になります。わたしが女性を生み出しているのではなく、女性を生み出すのはわたしではないプレイヤーなのであり、わたしはそれを対象として描いているだけということになるわけですね。よってわれながらの気持悪さを感じなくて済む。

プレイヤーキャラの女性を描くというのを通して上記のような「錯覚」を感じることができるわけです。
それがわたしには、官能的ですね。
| キャッチザスカイ | 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) | permalink |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。
トラックバック
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES