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20051101
リングフィットアドヴェンチャーを手に入れるのがめんどくさいからダウンロードで買えるフィットボクシングを購入して遊び始めた。
楽しく運動できる。運動不足が解消するといいなあ。

新紀元社の『日本神話』のオオクニヌシ関連を読んでての気づき。
オオクニヌシによる国造りの事業がだいたい一通り済んだ後、天照大御神は「じゃあそろそろあの良さげな国はうちらの方で治めさせてもらおうかな」と動き出す。国譲りのくだり。
で、何人か死者をよこす。
最初に来た使者アメノオシホミミ(天照大御神の長男)は、地上のオオクニヌシの国を見て「まだ全然カオスじゃねえか」と失望する。
本によると以下のような様子であるらしい。
* 自然の精霊も悪神も入り混じって自分勝手に活動するといった混沌状態
* 夜にはたくさんの神々が蛍火のような光を発しながら不気味に飛び回る
* 昼は昼でこれまた多くの悪神たちがまるで大群のハエがブンブンとうなりを上げるような勢いで騒ぎ立てている
* あらゆる草木までが勝手に言葉を発する

で、これは解説によると「エネルギーや生命力そのもの」だと指摘している。

つまり、天照大神を始めとする天津神の目指す社会はもっと中央集権的で秩序だっている。一方でオオクニヌシの国は国民がより自由で権力の集権化が進んでないということなんじゃないか。
で、これを「単一民族国家」「多民族国家」に読み替えてはどうだろう。天津神勢力の目指す国は現在の日本がそうであるように多様性よりは統一性を目指している。異民族や異分子を排除する傾向。一方でオオクニヌシの作った国は多様性を受け入れる国風であると。
すると、今回のはなしでタケミカヅチ対オオクニヌシの戦いは異分子への不寛容対寛容という構造になる。これなら今までの作品と照らしても統一感がある。
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