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19122702
考え事。

作中のヒロインと自分の分身キャラとをくっつけないぞという方針について。

自分の投影キャラを他のキャラと関わらせないという意味ではない。
ヒロインとの絡みをマイナスしたところでその空白に補填すべき別の要素があるわけではないので、この減算を実施しても内容のさらなる貧困を招くだけだ。
だからそうではなく、HOWのところを改善していく。関わり方をヴァージョンアップさせていく。
で、くっつけない。詳しく言うと恋愛的に成就させないということだ。恋愛成分を抜く。これは減算で良い。

マッドマックス怒りのデスロードが見本になると思う。
マックスはフュリオサと共鳴し、共闘し、戦いを終えると去っていく。
いわば公私を分ける。公=作中で解決すべき問題に対処すること。私=個人的な友愛面。いや、別に友愛面でも良好な関係になるのは良い。ただし恋愛的なニュアンスになってくるとちょっと違ってくる。結局この線引きの話になってくるんだな。

なのでだから二次創作なり自分の創作なりで今後どう描いていくかというところの具体的な話。
一言で言えばヒロイン→自分の投影キャラの恋愛感情を抱かせない。うーん、これ今までもちゃんとやってるな。これをやっていた時期のほうがむしろ遠いし例外になってくるか。
まあでもヒロヴィラと邪竜の翼はヒロインと主人公との距離が近すぎる。今後似たようなのを描くならお話の最後で彼らは解散すべき。仮に続編を描くにしても次なる舞台で再会して最後にまた別れるというふうにするのがいい。

独立した個人と独立した個人との関係にすること。

あんま変わんない気がするな… いやそうじゃないな。オリジナル短編であるなら途中までだいたい同じような展開でも最後に主人公とヒロインを解散させるというところが具体的には異なるのか。次の短編で実践できたらいいが。



この実践のキモはヒロインのキャラ造形そのものにあるのか?
例えばシャニマスの白瀬咲耶さんのように寂しがりのキャラとして設計するとする。するとヒロインの自律的行動として「常に一緒にいてくれる相手を求める」というのが発生する。
そうではなく、マッドマックス怒りのデスロードのフュリオサのようにキャラを作ったらどうだろうか。自らと仲間を不当な支配から解放して自由を得るために戦う女性。こういうキャラならベタベタした展開は避けやすい。

「シャニマスマンガで白瀬咲耶さんを登場させつつベタベタした感じにしない」という課題を考えるとして、以下の2つの方向がある。
* そもそもキャラ造形がベタベタさせやすい設計をしているんだから運用でカバーしようという方針が間違っている。
* どんなキャラであろうがベタベタさせないように描くことは可能。

前者だと思考放棄でもあるし一次創作向けの戦略だな。後者の立場に立脚してアイデアを探してみよう。今回考えてる方針の実践練習になる。
白瀬咲耶さんの私的側面ではなく公的側面に注目するとどうなるか。彼女にとっての解決すべき課題。彼女の関心は「他人を喜ばせる」というところにある。すると喜ばせたい相手がいて、最大限のパフォーマンスで応えたいという課題。プロデューサーはそれに協力する。
つまり咲耶さんのキャラ性の知識が増えた際に「寂しがり」というポイントに注目するというこの目の付け所が悪いんだな。俺がその寂しさを埋めてやる!という下心があるからそこに反応してしまうのだ。そうではなく彼女自身の能動的な美挙の方向に注目すべきなのだ。

「恋愛」や「依存」ではなく「共闘」という角度にアンテナを向けると。
マックスとフュリオサが従事したのは共闘だ。
ルークとレイアも共闘した。
アルスと拳王ヤオも共闘した。
アイマス二次創作で言うなら、アイドルをプロデュースするというのは本来共闘であるはずだ。同じ目的のために力を合わせる。観客を喜ばせる・観客を救うということだ。

すると、咲耶さんをネタにするなら咲耶さんと組んだ場合ならではのチームプレーを発揮してアイドル活動を充実させるというネタであるのが理論上は望ましい。

この観点でネタを探してみるかな。

一旦ここまで。
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