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19112102
いくつか。

ストレスがあったり悩んだりした時私はブログに考え事を書く。もちろんこのブログの主要な用途はマンガのアイデアを出したり練ったりすることなんだけど自己セラピーのような用途でも使う。
最近感じたのはブログに悩みを書いてるととても癒やされるということだ。
こんな個人ブログでもアクセス解析を見ると毎日数十のアクセスがあり、その何割かは自動巡回ロボットだとしても数人は読んでくれている人がいるらしい。でも自分の実感としてはブログに書く作業は人に聞いてもらうというよりは自分との対話という印象だ。なにかあったらまず自分と対話する。

今朝の気づき。
自分の内部にはいわば二人の自分がいて役割と発言力の強度とが違う。
1. 感情:ディレクター。どう動くか予測も制御もできないが意思決定権を持つ。
2. 思考:アシスタントディレクター。このブログを書いてる時の脳。制御できるが意思決定権がなく感情の決定・命令に対応して働く。

つまり考え事をしたところで結論が決断にはならない。
物事を決めるのは感情で、思考はそれを手伝うのに過ぎない。

例えば最近だと、感情が下した命令は「転職するかもしれないから下調べしておいて」だ。だから思考担当は現状分析をしたり、転職方針を考えてこのブログに書いたりする。
しかし思考には意思決定権はない。これを理解するとかなり気が楽になった気がする。つまり、頭で考えて「転職すべきかどうか」を結論し、決断し、その決定に従って行動しなくてはならないと思いこんでいた。
続けるなら続けるという結論を出してそれに決意する。
転職するなら転職するという結論を出してそれに決意する。
仮に転職すると結論して行動を開始したとして、その時点からの仕事が意外と順調で転職意欲が落ちたとして、じゃあ前に下した転職するという結論はどこに行ったのかという話になる。

「引くにしても押すにしても考えて結論を出して決断して行動に移さねばならない」というプレッシャーがあり、これが気を重くさせていたように感じる。これが悩みの構成要素のひとつだったと。

しかし、ディレクターは感情で、思考はアシスタントディレクターに過ぎない、思考ADに決定権はないんだから結論→決断→行動に責任を負わなくて良い、と解釈することで、このプレッシャーからの解放を感じる。

転職なりその他の重要な行動なりを起こす際、ゴーサインを出すのは感情である。
思考の役割は、そのゴーサインを受けて行動を具体化する際の舵取りだ。感情が「職種を変えて転職せよ」と命じるのなら求人サイトをあさって最も自分に向きそうな求人を見つけて応募するのが思考の役目。
思考は感情の後を追いかけるのに過ぎない。

なので自分の感情の状態を観察する精度を高められるといいね。
| 雑記 | 23:43 | - | - | permalink |
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