Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

Love & Comic 本サイトへ戻る

<< 19111702 | main | 19111801 >>
19111703
職業について考えるのはかなりしんどい。精神が消耗する。しかし自然と考えてしまうのでやっぱり書きつけて整理する。

自分とプログラマという職種との相性について。
ここのところの考え事では「自分はプログラマに向いている」というのを疑いようのない前提としてみなしている。これを疑う。

確かに向いている面はある。
* コードを描くこと自体は楽しい
* 自分なりに工夫できるとそれが一種の自己表現になるのでそこに面白みを感じる。自分なりの工夫の余地がある
* ひとりで黙々と作業できる
* 高度なことをやっているという感じがし(コードだけに)、自尊心が満たされる

ひとりで黙々と作業できるけど開発自体は本質的にはチームワークだな。だから「ひとりで」要素はプラマイゼロかもしれない。

一方で、自分はプログラマに向いてないんじゃないかという観点で考えてみる。
第一に向上心がない。これ以上勉強したりしてまで最新の技術についていくためのコストを払いたくない。これはプログラマとしては「悪い」傾向である。
厳密性がない。いつも詰めが甘い。コードをレビュー(上司や同僚に自分の書いたコードをチェックしてもらうこと)に出しても、つねに「細かいところまで目が届いてない」。
システム作りのプロセスが長くて複雑なのがきつい。案件受注から案件定義、設計、実装、テスト…というふうに、何ヶ月もかかって複雑なことをする。そのしんどさにいつも怯んでいる。ゲーム会社にいた時、ひとつの案件が終わってそろそろ次の、というタイミングで、「ちょっと自分のスキルじゃついていけないな」と感じたのは事実。だからしんどさに直面する前に逃げるように転職したという面がある。
繁忙期がしんどい。納期間際や納品直後は開発のリソースが足りなくなったりバグ対応が多くなって残業が増える。単純にしんどい。これをいつも恐怖している。

つまり「コードを書くのが楽しい」という仕事の末端のところにポジティブさがあるだけで、総合的に判断すると決して「良いプログラマ」ではない。
「草野球するのはは好きだけどプロとしてはやっていけない」「絵を描くのは好きだけど仕事としてやるにはしんどい」とかそういうものの類だとみなせるんじゃないか。

「向いている」という言葉を「少ない労力で大きな成果を出せる」と解釈するとして、私の場合「(残業がない限り)作業は苦じゃない」けど「大きな成果が出せているわけではない」。下手の横好き。言うほど向いてないのでは?

あ〜こう表現したらどうか。
コード書くのには向いている。楽しめるので。
仕事としてプログラマするのに向いているわけではない。能力的に高いパフォーマンスを出せるというわけではない。


と、このように自分のプログラマ適性にケチをつける哲学を構築していくと、職種の幅を広げた転職には有利かもしれないけど現在の仕事を続けるのにマイナスに働くのが大きな問題だ。私は明日も普通に会社に行ってプログラマの仕事をしないといけないのだから。自らを苦しめている。

「末端の作業が楽しい」ということをもって「向いている」と判定するのであれば、「コードを書く」というアクションは交換可能なはず。例えば私は刃物を研ぐのが好きなので仮に刃物を研ぐだけで仕事になるならその仕事は「向いている」。ただし優れた研師になれるかどうかは別問題。うーん。

コンビニはなぜ5年も続いたんだ?いや何年やったんだっけ。まあいいや5年で。
向いていたと言うほど向いていたわけではない。好きな業務塗装でもない業務があった… というか「能力的にできたから続いた」だけだな。おでん作るのはかなり好きだった。レジ打ちや接客は好きでも嫌いでもなかった。

ああそうだ。「将来性」をキーワードに考え事をしようというのもあったんだ。
プログラマ(エンジニア)としての向上心がない。テクノロジは進化していくのだから今後プログラマをやればやるほどジリ貧である。プログラマを続けるには技術についていく努力が必要。その労力を払ってまでプログラマという職種に執着しているか? してない気がする。
一方で、社会は進化していくんだからプログラマに限らずどんな職業だって変化についていく努力は必要である。
プログラマだったら具体的には新しいライブラリを使うとかJavaScriptを新しい中間言語で書くとかになる。これは仕事上では日常的にやっていて、じつはそこまで苦にしてはいない。新しい知識がはいることで「自分は高度なことやってる」感を感じて自尊心が満たされている、というのはあると思う。

自分はプログラマとしては三流である。三流でも仕事にしていくためには「才能ある人より人一倍努力しないといけない」といえる。じゃあそのコストを払ってまでプログラマを続けたいか。ノー。結局向いているか向いてないか問題は自分が望むか望まないかという意志に依存してくるのではないか。志望する動機が薄れたのならその時点では「向いていない」と解釈すべき?

うーん。胃が痛くなってきた。これから年末年始にかけて繁忙期なのにこんなので耐えきれるだろうか。
もっと自分はプログラマ職でHAPPY!ということを考えてバランス取らねばならない。
クラスをやメソッドやインターフェイスを具体的に考えるのは楽しい。
自分が書いたコードが動くのが楽しい。
あれ、なんか自分で書いてて白々しく感じているな。自分の今後の人生において別になくても構わない程度の面白さでしかない?

マンガを描いて得られる楽しさや達成感は換えがたい。これは一生モノの価値だし交換不可能な重要事項だ。

仮に「コードを書く」のと同程度に価値を感じることのできるアクションが見つかるならリプレイスしてしまって良い。
いや、そもそも「それをするという末端のアクション」に価値の基本を置こうとしている事自体が視野が狭いかもしれない。学術論文を書くのもインチキ宣伝メルマガを書くのも「書く」という切り取り方をすれば「書くこと」で同一にみなすことができる。しかし両者は本質的に異なる。

「コードを書く」を別の切り取り方で解釈してみる。
* ものを作る
* ロジックを組む
* 自分の工夫を入れる

「自分の工夫を入れる」というのは私には重要な要素であるように感じる。ということはマニュアル通りにやってそれから逸脱しないことが求められるような仕事ではキツイだろうと予測される。今私は(自分でも謎だが)タクシー運転手の職を念頭に置いていて、その仕事はこの観点でいうと向いているだろうか?
近所のタクシー会社は結構古い会社なのですでに決まったやり方を守らねばならない保守的なところである可能性はある。一方でタクシーは多くの時間をひとりで働くので自分の工夫がしやすいのではないかとも感じる。さらにその反面、業務に工夫の余地があるだろうかとも感じる。いや、どんな仕事であれ工夫の余地はあるか。うーん。

そろそろ打ち切っておくか。しんどい。
軽く結論を出しておこう。私の言う「自分はプログラマに向いている」の正体は「コードを書くのが楽しい」程度のことでしかない。別の職種の別の職能においてそれにリプレイスできるものはそんなにハードルが高くないのではないかと考えられると。「お湯で皿を洗うのが楽しい」程度のもので交換できるのではないかとね。だからそこまで執着するほどの重要事項ではない。

---

追記1。
これから年末年始にかけて繁忙期だし、現在の仕事だろう。ここは生存だけを目標にしよう。マンガを描くなどの高度な目標は立てなくてよい。日常的な残業を飲んでとにかく凌ぐことだけ考えよう。

---

追記2。
自分はエンジニア(システムエンジニア)タイプではない。
ツイッターの相互フォロワーさんにエンジニアタイプの人がいて、そういうひとはツイッターでRTする記事がテクノロジの話題に寄っている。
* VRチャット
* Unity
* ロボットテクノロジ
* 3DCG など
そういうふうに興味関心の方向性自体にまずエンジニア向けかどうかというのがあると感じる。デジタルの新しもの好き。自分はそのタイプではない。その意味でもプログラマ適性に疑いを感じる。

「この先もプログラマで続けていくのにあたって楽観的な予測がしにくい」という指針は得られるんじゃないかな。しんどくなっていくよと。たぶん今のこのしんどみはその第一歩なのだ。じゃあ何に向いてる?

---

もっとあっけらかんと単純に考えればいいんじゃないか。
* 遠くまで通勤するのが嫌だから近所で働きたいよね
* 繁忙期に残業三昧になるのが嫌だから残業のない(少ない)仕事が良いよね
* 別にプログラマじゃなくてもいいんだよね
蓋を開ければこの程度のことなのだ。
| 雑記 | 23:08 | - | - | permalink |
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES