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19102001
アイドルマスターシャイニーカラーズ、目指していた芹沢あさひさんでの本編(W.I.N.G.)クリアに成功した。
期間限定イベントだったストレイライト.ランのシナリオもシナリオ開放アイテム使って全部読めたので、あさひさんについてのゲーム内での基本的な知識はおさえられたはず。

あとはだから二次創作で描いたものが私にとってのシャニマスの本編になると。

どうせ一次創作でも二次創作でも需要なんか気にせず描いているのでシャニマスマンガももっと遠慮せず描きたいものを描くべきな気がする。
何を描きたいのかと言うと「アイドルについて自分はこう思う」というモノが多いので、つまりせっかく二次創作なのに作中のキャラたちよりも作者である自分(プロデューサー)が発言したいという欲求が強い。なので、二次創作といえばキャラクターが魅力的に描かれたのがみんな読みたいだろうけど(私もそうだけど)、でも気にせず理屈っぽい内容のを描いてしまうべきだと。



語りたいトピックが2つある。
ひとつめ。あさひさんが作中で「トップアイドルになったとして、その先に何があるんすかね?」的な疑問を抱く。パフォーマンスを極めてアイドルの頂点に上り詰めたとしてじゃあその先はという疑問。これは本編シナリオ読み進んでも特に結論が出てくるわけではない。「探していこうな」「きっと見つかるよ」みたいな落としどころじゃなかったかな。
これは芸術全般に言えることで、例えば「絵がうまくなりたい」という欲求があるとする。神絵師になりたいと。では神絵師になってどうする?
プロのマンガ家になりたいとする。デビューして売れっ子になったとして、その次は?
目標をパーセンテージで表現できるものに設定してしまうと100%になった時点で終わってしまう。あさひさんはリハーサルが嫌いという話をするときにも「もう完璧に踊れるダンスを何度もやらされて意味がない」というこという。100%という想定があるのだ。

アイドルを極めた先、自分の意見はこうだぞというのを描きたい。これ実は1ページで描けるんじゃないか。さっさと描いてさっさと次のネタに行ったほうがいいな。
芸術の目的というのは究極的には「世界を良くすること」なので世界が良くなる度合いを無限に拡大していけば終わりがないとかそういう話がしたい。

ふたつめ。あさひさんのいる三人組ユニット「ストレイライト」には「虚構-実像」という軸があって面白い。
つまり、猫かぶりキャラである黛(まゆずみ)冬優子さんは完全に「アイドルとしてのキャラ」を作っている。素の自分は嫌われると考えている。
対照的にあさひさんはどこに行っても完全に素のままで、しかし現実感覚が薄いから素のままの姿が一種妖精的なキャラになっている。キャラを作って本当の自分を押し隠して我慢してまでアイドルやるならそんなものに意味はないと考えている。
ギャルの和泉愛依(めい)さんは虚構・実像の要素の角度がちょっと違って、極度のあがり症であるために本番に弱い。そこでなるべくセリフを言わなくて済むように無口でミステリアスなキャラでアイドルをやっている。素の自分が嫌いということではなく、自分の弱点を補うための工夫として虚構のキャラを利用している。

虚構の取り入れ方は各人の作風だと思うというのを描きたい。
マンガでも、私なんかは常に自分の投影が主人公じゃないと描けない。自分に寄せたところに作風がある。
一方で作中世界と作者とが切り離された作風の人もたくさんいる。虚構を作り上げるということだ。
だから冬優子さんの猫かぶりは作風なのだ。彫刻家が彫像を掘るように冬優子さんは虚構のアイドルキャラ「ふゆ」を構築している。なので、冬優子さんの向上の方向は「素を出していくこと」ではなく「キャラの構築度を洗練させること」であるべきだ。とかそういう話をしたい。

愛依さんの弱点補い工夫の話をもっと敷衍できないかな。そこも考えよう。
| マンガについての考えごと | 00:48 | - | - | permalink |
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