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19062302
アイデア探し。

死ぬまでにはちゃんとしたマンガを描かねばならない(描きたい)と感じているので少しはそっちに脳を向けよう。

最近のヒント。
ツイッター経由で見かけた、プロの漫画家の方の意見に、「マンガのストーリーとは奇抜な設定と奇抜な展開であるという風潮が強すぎる」という趣旨のがあった。確か文脈としては普通の中年の男性の普通の生活を描くマンガに発表場所がないというものだったはず。

私も少年ジャンプで育ったのでマンガ文化の一丁目一番地は「奇抜な設定と奇抜な展開」であるという先入観がある。自分のマンガでは別にそれを実践できてないんだけど認識としてはそうなっている。
しかし、この認識要らないなと感じている。つまり自分が描いているものと自分の認識とをもっとマッチさせていいなと。

別に少年漫画的奇抜設定を(できるかどうかは置いておくとして)目指す必要ないなと。
いや、どうでもいいな。奇抜設定を描きたくなって考えつけば描けばいいし描きたくもないし考え付きもしないなら考えなくていい。つまりどうでもいい。


映画『泳ぐひと』のメソッドは今年描いたマンガの『冷たい船長』がこの系統だ。
冷たい船長ではいつもの主人公であるナカヨシが悪役の船長を演じている。船長は難民に対して厳しい日本の難民政策を風刺している。
泳ぐひとではバート・ランカスターが演じる主人公は堕落した広告業界を風刺している。

冷たい船長は美女キャラモチベーションの要素が薄いので、かなりストイックに描いてるなと感じる。意識の高い動機で描いてる。この系譜を伸ばしていければ「ちゃんとしたマンガ」のスキルツリーが伸びそうなんだけど難易度が高い。

あーでも『泳ぐひと』の解説を聞いて「おもしろそう!」と感じた度合いは強かったので象徴の手法に対する自分のモチベーション刺激ポイントはもっと高く見積もってもいいのかもしれないな。美女キャラモチベーション加算の代用になるかもしれない。

『泳ぐひと』は、(そうだちなみにこれはアマゾンのプライム・ビデオで見れました)風刺が主要な目的で、故に本質的には攻撃的な作品だと思う。
『冷たい船長』は一応、「難民の人を元気づける」というのを主要な目的にしている。本質的には癒やし・もしくは励ましのマンガであろうとしているのだ。




次の作品のヒント無いかな。テーマ… 目的…


そうそうそうそう

ショーダウンについて。クライマックスのアクションシーン。
ショーダウンがあるとお話がわかりやすくなるかがいいなと思ったんだけど、『泳ぐひと』を見て「別にショーダウンなくてもいいな」と感じた。お話のクライマックスがあればいいだけで、それはバトルやアクションでなくてもいいな。だから戦いを前提とした道具立てでなくていい。




今描きたい、もしくは描くべきテーマはなんだろう。
ちょっと前の考え事からコピペしてくるか。

最近のヒント。
* 没プロット: 映画『スプリット』をヒントにしたもの
* 没プロット: 就活業界を冒険者ギルドに例えたもの
* 時事: 香港のデモ
* 動機: 好みのヒロインが描きたい
* 動機: 主人公がヒロインに優しくするところを描きたい


モチベーションアップのためにヒロイン要素は重要だけどここを入り口にすると先に繋がりにくい気がする。一旦ヒロイン要素ははずそう。

就活業界を冒険者ギルドに…

異世界転生モノや冒険者パーティ追放モノが小説サイトなんかで流行っているという印象(実際に読んでるわけではないのであくまで印象)。
RPGの道具立てを使いつつ、自分の興味関心に寄せたお話にしてはどうか。そうすれば小説サイトあるあるお話の型から差別化できていいんじゃないか。一見小説サイトあるある話に見えて、じつは違う、意外性が生じる、そんな感じ。


うーん
今主張すべきこと。
あるいは私が継続して訴えるべきこと。
あるいは単純に面白そうな思いつき。

あー

頭でっかちな発想から攻めるかな。日本人は政治に興味がない。一般民衆が政治に対して影響を与えられるという意識が殆ど無い。政治は我々民衆のものでもあるんだよというのを示す。うーん。

泳ぐひとではいわば人間の愚かさを描いている。そうではなく象徴的手法で人間の良い側面、美挙を描けないか。
例えば最近見たコードギアスなら、終盤のルルーシュやスザクの行動は崇高だ。恐るべき人数の人間を犠牲にしてもいるので肯定できるかどうかというのは別の話なんだけど、個人の感情よりも世界を良くするためにすべきことを優先して選択している。つまりルルーシュにとって最大の優先事項だったナナリーよりも優先する行動を打ち出している。そこはうつくしい。
第一シーズンで素晴らしいシーンのあるニーナ・アインシュタインも、ゼロへの復讐という個人の感情を超えて、大量破壊兵器を生み出してしまった科学者としての責任を取ろうとする。理性が感情を上回っている。

ということは私は個人的感情に逆らって理性的崇高さを選択するという展開に美しさを感じているということだな。それが美挙。そういうのを描けないかな。
* 憎い相手を助ける
* 好きな相手と戦う
* 憎い相手を助けるために好きな相手と戦う

うーん。


そういえばコードギアスシーズン2の後半で記憶を失ったCCにルルーシュが優しく接する時期がある。ああいうの好きだ。女奴隷×優しい主人というやつ。なんだけどこれはちょっと男に都合良すぎてウッと来るやつなので自分で描くには屈折を感じる。ここは注目ポイントじゃないか。


今日はここまでにしておくか。
| マンガについての考えごと | 23:46 | - | - | permalink |
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