Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

Love & Comic 本サイトへ戻る

<< 19060201 | main | 19060203 >>
19060202
考え事。
午前中にいい感じに進んだ考えに基づいてアイデアを出そうとしたところ特に思いつかないのであれはあれでいつか役に立つかもしれないので置いておいて別のアプローチ。

出発点を確認すると、もっとヒロインキャラとがっつり絡む、昔よくやってたナンパな路線の1ページ漫画というもの。

過去作品で典型的なものを思い浮かべると次のドラゴンズドグママンガがまっさきに思い浮かんだ。



パターンを抽出する。
* 主人公(作者の投影)が、ヒロインが好きだという内容を示す

これだけだな。
で、受け取る側のヒロインのリアクションが本来ならネタになる。
なんだけど、大抵そのパターンは「照れる」というものになり、ワンパターンになる。ピクシ部というマンガを描いていたときそのパターンが多く、このネタは繰り返しは使えないなと感じた。

なので、キャラへの愛を示すということ自体がオチになり、それへのリアクションには焦点を当てないようにできるといいんじゃないか。
すると、愛する者-愛される者という一対になる。

作者の、つまり自分自身の「ヒロイン、いい!」感情をネタにするという方向だな。ネタになるだろうか。
パターンが見つかるといい。私のマンガではよく私が爆散して死ぬけどあれはネタのパターンとして成立してるということだと思う。そういうのを目指したい。


例えば最近観たグラブルバーサスのβテストの動画ではフェリちゃんがセクシーでとてもいい。するとこの「フェリちゃん、いい」感情をネタにするという路線になる。
そこからどう展開できる?
上記で例に上げたドラドグマンガのパターンを踏襲するなら…

団長「エルーンって服装に露出が多いから色っぽいはずなんだけど別にゲーム本編やってても特にエルーンにぐっと来てるわけじゃないなあ」
ルリア「いまグラブルの格闘ゲームのβテストやってるみたいですよ、動画見ましたか?」
---
格ゲーでのフェリちゃんの色っぽさを目の当たりにする
---
団長「フェリさん! あなたは当騎空団の宝です!」
フェリ「えっ 何だいきなり!?」

みたいになる。
つまり、「魅力に気づいてない状態→魅力に気づく→魅力的だと表明する」というパターン。
応用が効かない気もする。うーん。

いわば「ペット溺愛」系。
猫大好きな飼い主が飼っている猫に対してデレデレな様子をネタにする。


最近ナンパな系統のマンガを描いてないというのと、ファンタジーでの自分のアバターは僧侶がいいと感じるのとは同じ現象だな。
つまり、執着や欲を消す方向に価値を置いている。だから僧侶がしっくり来る。
いっぽうで、作中のヒロインキャラに対する執着が減っている結果、ナンパな系統のネタが登場しなくなっている。

艦これマンガでも、艦娘たちをできれば平等に扱いたいという意識が働いているため、特定の一人の艦娘に愛を集中させるような思考は避けていて、それでスキスキな感じのネタはあんまり登場していない。


そこで。
軟派な方向性のマンガを考えるなら。
* 主人公のジョブは僧侶にはしない
* 主人公はヒロイン大好きで、ヒロインに対する愛に基づく行動をギャグにする
* ヒロインはひとり。複数いるから平等にというバランス感覚が不要なようにする

この系統でゲームネタが描きやすそうなのは、主人公のジョブが僧侶でない場合だ。ゴッドイーターなんかそうだった。
ドラゴンズドグマではプリーストでもあったけどあんまり宗教ニュアンスはなかったな。
コードヴェインで描けそうな予感がするというのはその点でも整合性あるな。主人公のジョブは吸血鬼なので僧侶のように欲を消す方向ではない。


ペット愛玩デレ系のマンガをオリジナルで描きたいとして。
ぱっと考えつくもの。
* アンドロイドの開発者と作られたアンドロイド
 →主人公にとってヒロインに他人要素がなくてキモい気がする
* 飼い主と飼い猫獣人
 →飼い主のジョブは?
* 貴族と元奴隷(奴隷市場で購入されたが身分を本人に返して自由人にした)
 →エロ漫画によくあるが… 自分が相手に対して完全に優位な立場にいないと愛せないのかとかのめんどくさい問題が生じる

それこそさっきの考え事に出てきた「本来なら反発する」組み合わせは?


ちょっとドラゴンズドグマ漫画を読み返して感じたのが、この方向から遠ざかってきたのには理由があるなということだ。
メインポーンを愛するのはメインポーンが自分の好みに作れるからで、いわば自己愛(自分への愛)にすぎない。
マンガを描くのが自分である以上、設定上は他人であるような二人を描いても、自分の投影の主人公が自分が描いたヒロインを愛するのだからどこまでも閉じた自己愛で終止してしまう。

なんだけどうーん。そこまで難しく考えないで描けばいいんじゃないか。

主人公とヒロインがいて、ふたりは調和の取れた関係で、主人公がヒロインへの愛を行動で表現するというマンガ。
* 僧侶とシスター: 両方共禁欲の教えに従って生きているから、秘められた想い的な演出になる?
* 指揮官と戦闘用アンドロイド: なんかよくわからない戦いに身を投じている感じ。艦これ系。
* 貴族とメイド: これはなんか嫌だな。愛玩するためにメイドを雇っているということになるのでキモい。

猫を飼ってて猫を溺愛しているひとは、猫が好きなので猫を溺愛するために猫を飼っているということだ。でも別にキモくはない。うーん。

本来愛玩とは無縁の関係であるのがいい? 艦娘と提督のような。仕事上の関係。
デビルサマナーの主人公がいて、サキュバスにあこがれている。で、念願のサキュバスと召喚契約を結ぶことが出来た。うれしい。こんな感じ?

たとえば神父と信者がいて、神父が信者を溺愛している。この図式はキモい。
ドラゴンズドグマの覚者とポーンの関係だったら覚者がポーンを溺愛しているのは別にキモくない。
提督と艦娘も概ねキモくない。
というか別に「溺愛」が描きたいわけではないか。愛の表現がおおらかとかその程度がいい。
「溺愛」だと、溺愛そのものがキモい。程度の問題は重要で、溺愛だとキモい。
調和の取れた関係で、好意の自然な表明がある。そういう「程度」が重要。

主要な関心が愛玩ではなく別のところにあるといいんじゃないか。提督と艦娘なら本来の目的は深海棲艦との戦い。コードヴェインならロストとの戦い。

ちょうど今ツイッターで流れてきた記事「無差別殺傷を引き起こす絶望的孤独の正体 世界一孤独な国を作った我々の責任」(https://president.jp/articles/-/28866?page=2)を読んでいて、以下の文言があった。

> 人の幸福や健康に最も大きな影響を与えるのはおカネでも、成功でもなく、「人とのつながり」であることも、ハーバード大学などの多数の研究によって、明らかになっている

> 海外では人々が共有している「人は生物学的に『社会的動物』であり、つながりの中で生きていくもの」というコンセンサスもない。

> 寂しく不安な思いである「loneliness」と、一人の時間を楽しむ「solitude」とが混同され、「孤独」が「一人」「独立」「自立」という意味でのポジティブな意味合いで解釈されるという側面がある。

私は一人でいるときが安らかでひとと一緒にいるとMP使うタイプだが、これはソリチュードの方だと思う。
実家の近くに一人暮らしし、家族との関係も概ねよく、ネット上には(関係の深さの濃淡にばらつきはあるとはいえ)知り合いもたくさんいる。ロンリネスではない。
ひととのつながりを善いものとして描く=ただ仲の良いだけのふたりを描いてもそれは価値があるように感じる。善いものを善いものとして描く。

あー

で、具体的なアイデアは?


あー

脳が回らなくなってきた。別のことをしよう。
| マンガについての考えごと | 18:18 | - | - | permalink |
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES