Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

Love & Comic 本サイトへ戻る

<< 19051401 | main | 19051801 >>
19051701
なんか考えよう。

今日の方針は、もう現実世界を舞台にするなんて向いてないこと諦めてやりやすいようにお話考えてはどうかというもの。

今日土日に視聴するためのブルーレイを借りにツタヤに行ったんだけど、空海が主人公のファンタジーアクションエンターテイメントの映画があって、なんかこういうのいいなあと感じた(借りなかったけど)。

ファンタジー的なというか完全に作り物語的な世界観で僧侶が主人公で冒険する。うーん、いいね。西遊記なんかこれだよね。でも西遊記が語られ始めた頃は基本的にはその時代の現実モノだったはずだ。いや、現実に寄せて考えなくてもいいな。
お話を考えるときに頭が硬すぎて堅苦しくなりすぎてる気がする。メッセージ性やテーマや現代社会との関連みたいなことから入ろうとしていて、行き詰まりが早い。

もっとこう、自分の楽しさから入ってはどうか。

現実世界を舞台にしたい理由。
* 読者との関連が高まって、「どうでもいい話」でなくなる度合いが高まる
* あわよくば実写で映画をいつか撮りたいのでその練習になる

現実世界を舞台にするデメリット。
* 私がそれを考えるのに向いてない。
* 面白さが減りがち。私は今でもマンガは現実世界モノじゃないほうが好きだ。
* アニメにする分には要素が多くて不利。

たとえば舞台劇や・レゴを使ったストップモーションアニメにするのなら、お話を抽象的にして記号的表現をベースにしたほうがやりやすい。
多い方から始めるか少ない方から始めるかという出発点の違いだな。
フルCGで絵やアニメを作るならゼロから出発するから要素が少ない(=抽象的)表現のほうが向いている。
iPhoneのカメラを使って撮影して映画を作るならすでに目の前の現実にあるものから出発するから要素が多い(=現実的)表現のほうが向いている。
で、私は映画(実写の洋画)への憧れがあるから現実寄りのを作りたがるが、多分適性は抽象よりのほうにある。

自分に正直になろう。
現実的表現と抽象的表現と、片方を選ぶとしたら、やはり抽象的表現になると思う。向いているというのもそうだし、そもそもそういう表現を目指してマンガも描いてきた。
実写映画へのあこがれはあるがそれは私にとっては傍流であり本流ではない。私の本流は、要素を減らして記号的・抽象的なお話を作ることだ。
なので、現実路線はどうしてもこだわりたい方針ではない。考えつけば採用すればいいし考えつかないならアプローチをどんどん変えれば良い。



じゃあ最近取り組んでたアイデアを作り物語的に構成できないか検討してみようかな。
シャマラン監督のアンブレイカブル三部作がヒントだった。
超人思想にとりつかれた人物や、超能力を与えると誘惑してくる悪魔的存在が出てきたはず。

あー

舞台劇にするという想定を考えるのは面白い。舞台の上は「見立て」の世界だ。効果音やジェスチャーだけで雨が降っていることを表現するかもしれないし、その場で駆け足するだけでマラソンを走っているのを表現するかもしれない。そういう見立てや置き換えが好きだ。


現実に縛られずにキャラ設定をするとすると…?

悪魔は悪魔でいいな。

主人公とライバルとは出発点が同じで着地点が対称的であるといいんじゃないか。
修行僧がいいんじゃない?
主人公はひとを救うということを発願して修行僧になった。
ライバルは人間を超越することを目指して修行僧になった。
ふたりがたまたま一緒になる。たとえば修行場所の寺で同室になるとか、修業に入った山で同道するとか。
で、主人公はひとを救うという行為を実践することを重視する。だから別に悟ろうとか何者かになろうとかいうことに関心がない。ひとを救うという行為自体に目的がある。
ライバルは超越することを重視して、悟りが得られればそれが超越だと仮説を立てている。だから何者かになることに関心があり、衆生を救うというような実践には興味がない。
おっ 悪くないんじゃない? すると彼らはジェダイのような存在になる。パダワン状態から始まる。修行を完遂するとジェダイマスターになる。主人公は別にジェダイを目指してない。ライバルは最強のジェダイを目指している。


うーん眠いここまで。
| マンガについての考えごと | 00:54 | - | - | permalink |
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES