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19042101
考え事。

pixivファンタジアLSの大きなオフ会があった。参加者合計で45人位じゃないかな。
去年刷った同人誌をほぼ全員に配った。これでだぶついていた在庫が一気に減ったぞ!


勧善懲悪のお話が実はかなり好きだということに気づいた。
私は高校生とかのかなり早い段階から「勧善懲悪みたいな単純なお話はダメだ」と言っていて、マンガのお話に対するほとんど自分の出発点的な態度がこれだったと言える。
なんだけど、どうも自分にとってのマンガのお話の型は勧善懲悪がマッチするように感じてきた。

勧善懲悪話。
昔のイメージでは、「ありふれた決まりきった話」で、そこが気に入らなかった。

しかし、ありふれた決まりきったはなしであることと勧善懲悪とは必ずしも同じではない。

勧善懲悪話のいいところ。
* 物語の構造がしっかりしている(悪という問題があり、それを打倒して解決する)
* 物語にクライマックスがある
* ちゃんと結論が出て終わる
* 何を善とし、何を悪として描くかで、作者の価値観を提示することができる

勧善懲悪話にも良い作品と悪い作品とがある。
悪い作品というのはその勧善懲悪観が陳腐でありふれていることだ。
たとえば悪役が以下のようであればそれは「お話のためにでっち上げた単純悪」でしかなくて、薄っぺらい。
* 世界征服を目論む組織
* 人類の絶滅を目論む破壊神
* 地球を侵略しに来る宇宙人

良い悪役というのは、「価値の選択」があることで、読者に選択を突きつけるようなものだと思う。
例えば人食いのモンスターがいるとする。
別に人をわざわざ食べる必要がなく、ただ人間を侮ってるからおちょくるように食べに来るというモンスターなのであれば、倒すことにジレンマは発生しない。お話としても倒す以外の選択肢はない。だから安直でつまらない。
これが例えば、人間が山を開発したことで食料と住処を失ったモンスターが手近で食べられるものが人間しかなくなり選択の余地がなく人間を襲って食べているというものであれば、読者にジレンマを突きつける。
* このモンスターを生み出したのは人間である
* しかし今目の前のこいつを倒さないとさらに人間に被害者が出る
* 倒すべきか?

例えば世界征服を目論む悪の組織がいるとして、読者にジレンマを感じさせるアレンジはできるか?
ウルトラセブンの「ノンマルトからの使者」がこれに当たるんじゃないかな。実は今の人類はかつては侵略者で、もともと地球はノンマルトという種族のものだったが侵略を受けて今は海底に住んでいる。それが地上を取り戻すために侵略してきた。どちらに肩入れすべき?

みたいな。

あれ、でも別に自分が描いてるのそういうタイプの敵じゃないな。

軌道修正。
私が強調したいポイントは、「何が善でなにが悪なのかを表明できる」というところだ。
だから別に悪役は倒されるのが当然であるような存在でもいいのか。

悪役の行う悪にもバリエーションがある。
* 人を食う
* 人を支配する
* 人を殺す
* 物品を奪う

悪役の行う行動が悪であるというメッセージを成立させることができる。
ただマンガのお話のための悪ということであれば「人を食う」みたいな現実離れしたものでもいいんだけど、現実世界に結びつけて悪を設計することが出来、私の目指す方向はこの系統だ。

たとえば「金持ちからは税金を取らずに貧乏人から搾取する」というのが現実世界に実際に存在する現象で、私はこれに悪を感じる。
なので、金持ちに媚びへつらって貧乏人から金や財産を巻き上げる悪役を描いてそれをぶっ飛ばすマンガを描くとする。
するとそのマンガはわかりやすい勧善懲悪話でありつつ、現実世界に投射するメッセージを持つ作品になる。
私にはそういうのが向いてるんじゃないか。

じゃあ結局その勧善懲悪話はお話にジレンマのない「悪しき勧善懲悪」にしかならなんじゃないのということなんだけど、わかってきた。ジレンマを感じさせるレイヤーが違うのかもしれない。
作中でジレンマを感じさせるのはもちろん出来たほうがいいけどそれにとらわれなくてもいいかもしれない。作中でジレンマを感じさせるほどお話としては複雑になるし主張も弱くなる。

人食いモンスターの例で言えば、「人間のせい(自分のせい)で人を喰うようになった=悪いのは自分である」となると、「何が善で何が悪なのかを勧善懲悪フォーマットで示す」という方向ではパワーが落ちる…
いや、いいのか。「人間こそが悪なのだ」という主張なのかこれは。勧善懲悪フォーマットからスタートして必ずしもその型に沿ってないけどメッセージ性という意味ではちゃんとしているのか。

まあいいや。

言いたかったのは、現実世界において何を善として何を悪とするのかというレイヤーでのジレンマが発生するのではないか、それを感じさせることができるといいんじゃないかということだ。
私が今持っている世界観では、善悪の軸は軸はひとつしか無い。
「競争」か「平等」かだ。

競争の善悪観:
* 弱肉強食の原理
* 弱者が弱く、貧者が貧しいのは、彼らが怠け者の無能だからで自己責任である
* 能力のあるものが無能のものに足を引っ張られるのは社会全体の損害であり、おかしい
* 怠け者、無能ものが悪である
* 強いもの、優れたものが社会を動かしているのだから、社会全体がそれに最適化されているべきだ

平等の善悪観:
* 強者・弱者・貧者・富者、それぞれはたまたまそうなっているだけで、責任は必ずしもその個人にだけあるわけではない
* たまたまのばらつきで幸不幸に大きな差が出るのは不公平なので、富の再分配や福祉などで公平に近づけるべき
* 不公平の拡大が悪である
* 金持ちと権力が結びついて、より金持ちに、より強い権力者になることが悪


大抵のマンガやアニメや映画では後者の平等の善悪観が描かれることが多いので、これがステレオタイプの陳腐な善悪感なのかとぱっと思われる。
なんだけど、自分の善悪観を考えるとやはり平等の側になる。お話としての陳腐さを避けるために自分の思想を曲げるというのは筋違いなので結局この善悪観を踏襲することになる。

ああそれにそうか、前者の善悪観で作られる作品がなかったかというとそうでもないんだ。
アメリカの昔の映画にあったヘイズ・コードという自主規制コードの思想家基本的には前者の競争の善悪感だ。例のアインランディ案の考え方だ。共産主義アレルギーの強い時代では後者の考え方がイコール共産主義・赤なので、悪となりがち。


はなしがとっちらかってきたので要点。
* 勧善懲悪物語で善悪観を表現できる
* 現実世界に対応を持つ善悪の表現を模索したい
* 競争と平等の軸があり、私は平等の側に肩入れする


一旦はこんなところ。
グラブルやるかな!
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