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19040201
pixivファンタジアLS考え事。
一応3月いっぱいで本編は終わったんだけど追加イベントがあることが判明したのでまだ続く。

ここまでの振り返り。
一応毎回のpixivファンタジアの平均と同じくらいは量が描けたと思う。自らに課した課題は「たくさん描く」なので、その点は合格としたい。

今回の学びはあるかな?
* やはり僧侶はしっくり来る。動かしやすい。ジョブ選択は正解だった。
* 一方で安定しすぎていて劇的な展開はなかったが、そういうのは自創作でやればいいので別に良い。
* 保護者・師匠・メンター的ポジションを明確に意識して動かした。やはり予想通りしっくり来る。

振り返ると全般的に意外性はなくておおよそ目論見通りに推移していたようだ。発見があったということはあんまりなく、経験値が増えたというところかな。



追加ステージのための考え事。
ボスのオールンの説明にはこうある。

ファイアランドに仕える天才発明家であり武器商人。
飽くなき自己誇示欲と好奇心から、想像と破滅を求めるあまり倒錯した性格を持つ人物。
自身の創造物を用いた破壊や、物事を思い通りに動かすことを至高の喜びとしている。
ファイアランド工廠にて密かに作らせていた要塞と兵器を使いラスト大陸に破壊をもたらす。


考えるべき点。
* 万物の調和の観点に照らして、このオールンを調和の中に配置することはできないか
* オールンの選択うを尊重するべき


万物の調和というのは万物が抑圧されない状態で持続可能な世界を目指している。
オールンの求める「物事を思い通りに動かすこと」というのは、他者をそれ自身の自由によってではなくオールンの意思に従わせて動かすことだと解釈できる。つまり抑圧だと考えられる。
破壊や抑圧を自ら行うものはそれ単体で調和と矛盾する。

それ自身の自然なあり方を突き進めていった結果、調和を乱す存在がいるとする。というか全ての存在は多かれ少なかれ調和と矛盾する。
万物調和の思想はそれを「配置」によって解消しようとする思想ではなかったか。
破壊を求めるものがいるなら破壊を必要とする場所に配置する。ビルの解体現場とか。
今回のオールンを「そのままで」調和的に配置することはできないか。
仮に、外宇宙からの侵略者なんかが来て、それと戦わせるみたいなことができればいいかもしれない。
しかし、現時点で与えられた条件では調和の中に配置することはできないだろう。

調和という全体と自由な個人とのどちらを支持するのかというテーマになってくる。
調和を乱すことが即・悪判定であるのなら、それは直ちに抑圧になる。全体主義だ。
しかし一方で、じゃあアサルトライフル持って通勤時間帯の新宿駅でそれを乱射する自由も保証されるのかというとそれはおかしい。
0か100かで考えるべきではない。

条件をつけるべきだ。○○ならば許容し、○○ならば排除すると。
他人を抑圧することが無いのであれば許容する。
発明家らしく発明するだけなら許容する。
発明を使って人の財産を破壊するのなら許容しない。
自身の意見や思想を表明するのは許容する。
策略をもちいて他人を自分の思い通りに操作しようとするのなら許容しない。
ということは、私の中で優先順位があり、世界の調和>個人の自由となっている。
いや、バランスなのか? 全体の調和のために個人が犠牲になるのならそれは悪しきイデオロギーだ。
構成要素を個人のみに絞ってはどうか。あなたは他人に抑圧されるべきではなく、あなたは他人を抑圧するべきではない。抑圧しないこととされないこととがトレードオフになる。そうか!

オールンは破壊を求めることで多くの人々を抑圧しようとしている。他者に行う抑圧の分、その反作用として戦いを挑まれる。
自由でありたいのなら、抑圧を、破壊をやめれば良い。

その上で、世界から討伐対象にされようが制限なく破壊を求める生き方を選んだのなら、その選択は尊重される。選択自体は客観的な良いも悪いもない。但し、反作用として討伐対象になる。討伐対象になることも含めた選択だと解釈するべきなのだ。


ということで。
追加ステージへの参加の最初の投稿ではいつものパターンでナカヨシの所見を述べさせることになる。
今回得られた重要な所見。
* 抑圧しないこととされないこととがトレードオフになる。

オールンの選択は世界と戦うことを含んでおり、それは尊重するし、戦って阻止することは調和に近づく価値がある。


なんだけどちょっと待った。
自らの意思(選択)に関係なく周囲を抑圧しなくては生きていけない存在がいるとしたらどうなる?
他者を抑圧しない生き方を誰もが自由意志で選択可能だという世界観を前提にしている。
しかし、現実はそうではないのではないか。
例えば介護を受けねば日常生活ができない人がいるとする。介護者の時間を奪っていると解釈すれば「抑圧しなくては生きられない」。
一方で助け合いという考え方がある。
誰もが他人に助けられなくては生きていけないので助け合って生きようという態度。

* 他人を抑圧しなくては生きられない
* 他人に助けてもらわねば生きられない
* 他人を抑圧しないように生きよう
* 他人を助けて生きよう

プラス・マイナスの考え方だな。
それと意思選択の要素。


* 他人を抑圧する・マイナス評価・選択
* 他人に助けてもらう・マイナス評価・非選択
* 他人を助ける・プラス評価・選択
* 他人を抑圧しないようにする・プラス評価・選択

選択できないものに関してはしょうがない。
しかし、マイナスを選択してはならない。これは言っていいんじゃないか。
選択したのではなく、好むと好まざるとにかかわらず世界との不調和を生み出す要素があるとして、それは許されるべきだ。
一方で、世界の調和を乱す選択があり得て、それは許すべきではない。許されたいのであれば選択しなければいいのだから。


オールンは世界の破壊と他者の抑圧を選択した。その選択は許されるべきではない。撤回すれば直ちに許されるだろう。撤回しない限り戦いは挑まれる。こうだな。


一旦区切る。
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