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19031401
pixivファンタジア考え事。

このブログでも何度も言及している八房さんの作品を見ると、やはりドラマチックというのは登場人物の葛藤や変化によってもたらされるんだなというのを感じる。
両方とも自分のキャラにはないものだ。

過去のPF自キャラでいうと、明確に変化したキャラが一人いる。PF5のナカヨシ・ブルーフロッグで、バリバリ戦うキャラとして作ったんだけど途中から戦い描くモチベーションが無くなって最終的には戦うのやめて人道活動家になった。

町山智浩さんの映画解説で聞いた話のひとつに、物語で描かれる「人の成長」というものは「そのひとが本来の姿になること」だというのがある。
未熟なものが成熟することというだけでなく、本体の自分でない状態の者が本来の自分に変わる(戻る)ことも成長であると。
この意味での成長なら自分でも描けるかもしれない。

例えば生まれてから選択の余地がなく殺し屋になった人物がおり、しかし人を殺したくないために組織を抜けて自由になろうとする話があるとする。これは本来の自分になるための闘争であり、成長が描かれているということだ。
未熟な殺し屋が凄腕の殺し屋になるという成長物語は別に描きたくないが、優しい人物が暴力を捨てるという話なら描ける気もする。



じゃあ自分のピクファンのキャラ、成長させるのを前提で本来の自分ではない姿(要するに戦うジョブ)として作って期間中に戦わないようにジョブチェンジさせればよかったのかというと、どうもそうでもないなと感じてきた。

本来の自分になることを求めて行動するというのは、つまり自分を救おうという動きだ。それが成功した時、救われるのは自分である。
私としては、自分の主人公にはひとを救わせたい。
自分の主人公には美しい行動を取らせたく、それは自分を救うことではなくひとを救うことだ。

だからやっぱり、前回(PFRD)今回(PFLS)でのナカヨシのように、彼自身に成長要素はなくて別にいいなと考えるようになった。出来上がった人物として登場する。で、その運用として、いかに美しい行動を考えつくことができるかということが勝負なのだ。
今回は八房さんのキャラ・コルヌゥくんに対して父親のような立ち位置で関わる一連のネタがあり、これは美しい行動の路線という位置づけ。そういうのがいいのだ。
| マンガについての考えごと | 00:49 | - | - | permalink |
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