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アイデア練り。

ゾンビから離れようという流れ。
どうも自分が描きたい方針とゾンビとは相性が悪い気がする。

お話で悪役を描く場合、その悪役が象徴するものに対する攻撃になる。
だから作者自身が現実世界において悪であると考えるものを悪役にすべきだ。
味方や仲間に銃を向けるべきではない。

ゾンビを描くとゾンビが象徴するものに対する攻撃になってしまうのを感じる。何も象徴しないスタンドアローンゾンビだったら描く意味はないし。
で、ゾンビが象徴するものはやはり「大衆」になる気がする。
ゾンビが象徴してきたもの。移民だったり、違う人種だったり、違う世代の人間だったり。
自分にとっての「異者の集団」が「怖い」となり「ゾンビ」として描かれる。

ゾンビを描く際の心情の基礎には「理解できない集団が怖い」というのがあるんじゃないか。
それは悪として認定しづらい。

あ〜わかったかも。私は「怖い-怖くない」軸で評価しようという気がゼロなんだな。しかしゾンビはこの軸で位置づけなくてはならない。
私が見ようとしている軸は「善-悪」軸なんだな。ゾンビを測るのには不適切な基準だ。

要するにゾンビは悪とみなし甲斐がない。
私にとって戦うべき敵ではないのだ。だから盛り上がらないのではないか。

じゃあ私にとって戦うべき敵は誰かという話。
路線はふたつある。
* 普遍的な「乗り越えるべき相手」。
* 負の自己実現をした自分
* 「父」なるもの。ルーク・スカイウォーカーに対するダースベイダーのような。
* 自分の上位存在。Vガンダムに対するV2アサルトバスターガンダムのような。
* 抑圧者
* 国民を抑圧する権力者
* 富を独占する金持ち
* 子供を支配しようとする親
* 従業員を搾取する経営者

私のイメージする悪はひとことでいうと「金持ちの権力者」なんだけど、金持ちであることと権力者であること自体は実は悪の要素ではないな。
弱者を抑圧することが悪である。金持ちの権力者は抑圧をしがちなだけでそれ自体が悪の構造ではない。

まあでも要するに悪役化するなら金持ちの権力者であるほうがやる気が出るということだ。
ゾンビは金持ちの権力者の象徴ではない。

なんだけど、ゾンビに抑圧者の象徴を見出すことは可能な気がする。「世間」「世論」「ネット叩き」だ。
日本の場合は世論みたいな空気的な圧力が強く、これがひとびとを抑圧しているとみなすことはできる。その抑圧的空気感をゾンビで表現するというのは無しではないんじゃないか。

なんだけどゾンビにとらわれるのはよそう。
敵対者を考えるのなら金持ちの権力者ベースで行くべきだ。

抑圧・不寛容が悪であると。

ゾンビをむしろ「抑圧されたひとびと」として考えてみる? するとゾンビを治すことが抑圧からの解放になる。すると人々をゾンビ化して支配する権力者が必要。
しかし、現在の日本で、「一部の特権者が抑圧し、大衆を愚民化させている」という現象を見いだせるかというとそうではない気がする。
たとえば階級社会で下層階級に生まれた大半の国民はろくに教育も得られない、みたいな社会であれば抑圧されたゾンビを描くのにふさわしい社会状況かもしれないが、現在はそうではない。

やはり「スマホばかり見ていて自分の意見がなく、デマに踊らされるアホな愚衆」みたいな象徴になってしまう気がする。いま日本の社会でゾンビに象徴させるとしたら。
ゾンビは昔から大衆の風刺だった?


別に大衆の風刺をしたいわけではないはずだ。
原点に帰れば「生きるのにあたって消耗するエネルギーを供給したい」というのが目標のはずだ。

うーん。あんまり考え事へのアプローチの角度がよろしくない気がする。
が、次の土日にゾンビ映画数本借りて見ようと思っているのでそれまではゾンビをキーワードにぐねぐね考えるのもいいだろう。ゾンビモードを維持して高いモチベーションで映画が見られたほうが勉強になるはず。
| マンガについての考えごと | 21:48 | - | - | permalink |
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