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18111902
アイデア練り。

宗教裁判モチーフ。
裁判を別の形で置き換えたい。

有罪か無罪かを決めるプロセス。
有罪を求める主張と無罪を求める主張とを論理的に戦わせるのが裁判。
決定プロセスを変更すれば置き換えられる。
例えばコインで決める。少なくとも結論は出る。
例えば魔女裁判では被告人の足に石をくくりつけて水に放り込み、沈めば無罪(溺死するが)、浮かべば魔女である証明になるので死罪というメチャクチャなこともやっていたらしい。
だから例えばライオンと戦わせて勝ったら無罪とか、ベイブレードで戦って勝ったら無罪とかで、要するに何でも良い。

んだけど、今回やろうとしているテーマに沿ってるだろうか。
キリストやジャンヌ・ダルクのお話に似た要素があるから裁判に注目したけど、今回のお話の焦点はそこではない気もする。

お話の骨子を考える。
召喚士が民衆からデマ混じりの情報によって悪者扱いされてリンチの危険にさらされるという流れ。
有罪か無罪かという判定のところよりも後ろのところに焦点があるし、冷静な判断を経ていない思い込みが怖いという話なのだから、なんらかのきちんと根拠のある判断がどちらに傾くかどうかというところは重要ではない。
裁判のような正式なプロセスすら経てないのに有罪であったり悪人であったりということを決めつけることが問題なのだ。

だから既存の映画のシーンに見本を求めるなら裁判のシーンではなく『アラバマ物語』で群衆が留置場にいる被疑者をリンチしようと集まってくるところだな。アティカスが立ちはだかる。
キリストの話で言えば… 姦淫婦のはなしのところじゃないか。キリストの受難のところではなく。姦淫婦に民衆が石を投げる。キリストが「君らの中で罪がない者がいるなら石投げればいいよ」といい、誰も石を投げなくなる。責められている存在がいて、キリストが弁護してやる。すると主人公のポジションはキリストなのだ。
召喚士も受難者という意味でキリストで、主人公は弁護する者という意味でキリストなのだ。

姦淫婦石投げストップシーン。
調べると通称は「姦通の女」というらしい。
民衆が女に石を投げつけているところにキリストがたまたま通りかかって、というふうに記憶していたけど違うんだね。例によってユダヤ教の律法学者がキリストを陥れるためにひっかけ問題を出す。
「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか。」
で、イエスは、例の「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」をいう。
リンチを止めたわけではないんだな。

連想を働かせて思い出したのは浦島太郎の冒頭、子どもたちが亀をいじめているのを助けてやるシーンだ。
姦通の女と違って亀には落ち度はないが、みんなから寄ってたかって叩かれるという共通点がある。で、救われる。
浦島太郎も今回のお話の下敷きになる。


召喚士が何らかの種族を救おうとして難しい召喚にチャレンジし、失敗し、代償を払う(怪我?)。
召喚の失敗によって生じた事態の収集のために何らかの損害が出た。
召喚士の失敗を責める論調。
「○○を救おうとしたというのは嘘で、本当は召喚士は魔王を召喚しようとし、世界征服を企んだが召喚が失敗したのだ」というデマに発展する。
帰国した召喚士はデマに踊らされた民衆にリンチで殺されそうになる。
主人公が助ける。別に民衆の目を覚まさせるわけではない。助け方が主人公のジョブにまつわる方法だと面白い気がする。ニンジャだったら変わり身の術とか。ゾンビだったら身代わりになって無限に攻撃を受けるとか。

浦島太郎やキリストだったら、その場で注目を浴びる人物だった。特権的立場。
今回の主人公はそうではないだろう。制御不能の民衆がおり、彼らに影響力を振る舞うことは不可能である。なので最大の危機の回避は問答無用で(理屈で説得するプロセス無しで)行われるべきだろう。どういう表現になるか。


うわっ こんな時間。
ここまでにするか。
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