Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

Love & Comic 本サイトへ戻る

<< 18110401 | main | 18110701 >>
18110402
なんか考えよう。

まだ次回作のための強い牽引力を発揮するようなモチベーションは発掘できていない。

一応ヒロヴィラのアイデアの続きを考えてみるか。脳にエンジンがかかってくるかもしれない。

ナカヨシたちが人守会の主張に耳を傾ける。
別に人守会のキャラに直接語らせなくてもいいんだな。人守会もWebサイト持ってるだろうし、検索すればわかることだ。

ナカヨシたちが人守会の主張を知ったとして、どういう行動が取れる?
最終形を想定する。ミュータントも怪獣人間も人類の敵ではなく共存可能だ、と伝え、すべての種族がそれに基づいて行動する。

障害:
* 人類は他種族を信じない。
* 怪獣人間は人類への復讐行動に出る。
* ミュータントの中には共存を望むものもいるしまじで人類を支配する側になろうとするものもいる。

もし人守会からの迫害を平和裏に解決するのなら、順番として先に非人類種族の平和的意思統一が必要。
しかし、思想の自由というものがあるから、意志の統一を他人に押し付ける訳にはいかない。
人類との共存を自発的に表明する事はできる。
で、多分そういうグループはナカヨシが作らなくてもあの世界にすでに存在するだろう。
ということは人類との共存を望む非人類グループにナカヨシが入会する? そうするとチームとしての行動ではなくナカヨシ個人としての行動になるな。マーメイドは改造人間なだけで種族としては人間なので。

うーん。


なかなか脳がヒロヴィラに密着してくれない。
また別のことを考えるか。

もっと低いハードルでスタートアップできる短編が考えられないか?
あるいはいつもの路線に寄せて、「ナカヨシがなにか善いことをする」というのをショートカットしてさっさと考える?

連想が働かん。

怪獣人間たちが襲撃の報復のために都市を… いや人守会の基地を襲撃するとする。
ナカヨシたちはどちらにつくだろうか。
基本的には怪獣人間たちに与するのではないか。
人守会側に死人が出ないようにするのが精一杯か。
しかし、この襲撃がきっかけで人守会が対決姿勢に本腰を入れて暴力がエスカレートするきっかけになるかもしれない。
だったら怪獣人間たちを止めるべきではないか。
人守会の中心人物たちがいて、彼らが怪獣人間たちに命を救われるということがあれば人守会はもう活動を続けるのが難しくなるだろう。で、その際の驚異は怪獣人間たちによってもたらされるものではいけない(自作自演ではいけない)。
「争いをやめるには恩を売ることだ」という知恵を怪獣人間が持っている? ナカヨシが説得する?
すると人守会が敵とみなしている種族以外の原因によってピンチに陥る必要があるが。

「お前たちは俺たちに恩ができた。もう俺たちを攻撃するのはヤメロ」
うーん。

これがもしフィスクとデアデビルの関係だったら、フィスクは恩を受けたことなんか考慮しないだろう。
通じないやつには通じないのだ。

したらやっぱり、なるべく人を殺させないように兵器を壊すという話になるかなあ。

この辺の落とし所が難しくてなかなか続きが描けないんだよね。


複数の正義の対立みたいな複雑な構造はまだ私の力量では扱えないかもしれない。
世界をディフォルメして作中の善悪の構造を明確にするのは必要な操作かもしれない。

邪竜の翼のときは『ジャンゴ 繋がれざるもの』を下敷きにしたな。なにか下敷きにしたい映画を探すべきか…
タルコフスキー監督の『ストーカー』? うーん。


ちょっとひらめいた。ふたつの対立する概念と、間に入る主人公。
* 経済VS詩
* 科学的世界観VS神秘的世界観(自然崇拝)

もののけ姫はナウシカの作り直しだと岡田斗司夫氏が指摘している。
ナウシカももののけ姫も、科学的世界観と自然崇拝的世界観との対立だ。

科学:トルメキア、たたら場
自然:腐海、王蟲、シシ神の森

アシタカはその共生を目指す。

科学対自然という対立構造は私にもしっくり来る。
でも私にとってもっともしっくり来る構造は経済対詩だな。
2つを融合させてもいいとおもう、科学=経済VS自然=詩。

しかし自然も物理法則で動いている。ここでいう自然というのは自然を通して崇拝される神的概念のほうが核心であるはずだ。
合理主義対神秘主義?

もののけ姫のストーリーを岡田斗司夫氏は以下のように解説していた。
* エボシは実はもののけ姫の実の母親である。
* エボシは毛沢東を美女にしたらというシミュレーション的存在で、共産主義的。無神論で、科学的世界観の権化。
* タタラバでは厳しい産児制限をしていて、だからこどもがいない。それを徹底させるためにエボシ自らが子を捨ててみせる必要があった。それがサン。
* エボシは人身売買で売られたという過去を持っているので、社会的弱者が抑圧されないで生きられる理想の国を作ろうとしている。その途上にあるのがたたら場。
* 育ての親であるモロは自然神。神秘的世界観側。
* エボシはタタラバが独立国としてやっていけるようになったらサンを取り戻して人間としてきちんと育てたい。
* つまり、エボシとモロという二人の母親がサンを巡って綱引きしているというのがもののけ姫のストーリーの構造である。

対立するふたつの概念があり、その権化となるようなキャラがそれぞれいて(エボシとモロ)、ひとつの目的物(サン)をめぐって争っている。
その争いの間に入っていくのがアシタカである。

対立の基本構造自体にはアシタカは組み込まれていない。

するとこの構造を参考にするなら、まずナカヨシ抜きで経済対詩の構造を作る必要がある。
何を巡るどういう対立なのか?
昔話やなんかから応用可能な構造を見つけたい。


今日はここまでにするか。
| マンガについての考えごと | 00:52 | - | - | permalink |
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES