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18110301
なんか考えよう。

レッド・デッド・リデンプション2。
やり始めると時間が吹っ飛ぶのであんまりやらないように自制している。つまり続きが気になってしょうがない!やってしまう!というゲームではない。
どうも私はこのゲームの巨大なポテンシャルを認めつつもやめたがっているらしいな。つまらないからやめるのではなく時間の食われ方リスクが大きすぎるので深入したくない。「深入りしたくない」この表現がぴったりだな。
別の方向に興味を向けて(なんなら別のゲーム買って)RDR2からは足を洗う方向でいようかな。

映画『ヴェノム』を見た。
あんまり期待していない映画だったのだがかなり面白くて得した気分になった。
でも特に語るべき点もないかな。気楽に見て、普通に面白い、軽くて良作、という感じ。

マーベルドラマ『デアデビル』シーズン3をひと通り見た。
これは超名作だ! 素晴らしい出来だった。
ツイッターではネタバレしないように感想を言っていたけどここは私のブログなのでネタバレ込みで感想を書く。
かと言って感想が綺麗にまとまっているわけではないな。書きながらまとめよう。

まずメモ。
* フィスク許すまじ
* フィスクはお話が進むごとに印象が変化するように計算して描かれている
* ブルズアイが出てきたのが何よりエキサイティングだった
* ブルズアイの投擲アクションが地味になりがちなマーベルドラマアクションにマンガ的要素を持ち込んでいて楽しい
* 法律と正義という、デアデビルの本質に相応しいテーマに寄り添っている
* 法律の正義をあくまで信じているフォギーがマジでかっこいい

序盤の印象は「フィスクそんなに悪いやつじゃないじゃん、むしろ詩的で好感すら覚える」というものだった。
けどこれは、フィスクによる印象操作であることが判明する。フィスクはFBIを掌握してしまうんだけど、それはフィスクへの警戒を解いていた視聴者としての自分もそうなっていたに違いないという危機感を抱かせる。
で、ブルズアイ(エージェント・ポイントデクスター)にとっての心の支えの女性を殺させたあたりでやっとフィスクの本性を思い出し、こいつは絶対許せんと感じるように変化した。
で、フィスクはマットやフォギーの動きの先の先を読んで常に先手を打って罠を仕掛けてくる。フォギーの実家がすでにフィスクに逆らえないように掌握されているのが判明した際、社会に生きてる限りフィスクには誰も勝てないなと感じた。打倒すべき巨悪としてふさわしい描かれ方だったと思う。

マットたちの反撃はやっと終盤になってフィスクに効くようになっていくんだけど、フォギーの方針に感銘を受けた。
つまり、マットは「法律では打倒できない悪と戦うために」デアデビルになった。最終的には法律は役に立たないと感じているのだ。
だからマットはもうフィスクは殺すしか無いという方針で当初動いている。
一方でフォギーは法律の正義を信じている。「法を超越する者など存在しない」と言い切る。フォギーにとって殺すという選択肢は葛藤すら引き起こされていない。この法律に対する信頼性とその一貫性は感動的だった。

フォギーから感じたのは、真のヒーローはコスチュームも着てないし、ただの人なのだということだ。ただ、信念を持っていてそれを行動の原理にしているということなのだ。

で、マットも最終的には頭を冷やし、真実を知ったブルズアイがフィスクを殺そうとするのを阻止する立場になる。シーズン2でもパニッシャーに悪人を殺させないために力を尽くしていたのがデアデビルだったが、本来の彼に戻ったのだ。殺させない。殺す・殺さないで厳しい一線を引いていて、殺さない=法の正義に委ねるという選択を意味する(殴っても傷害罪だと思うんだけどそのへんはよくわからない)。

そして結局法の正義が勝つのだ。とは言っても、法律以外のものが決め手になっているが。つまり、フィスクが人々を操っていたのと同じ方法論でフィスク自身が倒されることになる。愛するものの安全が脅かされるという脅しを食らうのだ。

作中でフィスクはやたらと愛する人を大切にするんだけど、これは作劇的にはフィスクを打倒しうる切り札として必要な要素なのだ。構造が必要としている要素だ。

エージェント・ナディームが殺されるシーンはフィクションで人が死ぬシーンの中ではかなり悲しさを感じさせるものだった。
ナディームのそれまでの経緯を知っていて感情移入しているからだ。
* FBIという仕事の割には家族に十分に贅沢させてあげられていなくて、手柄を求めている
* フィスクが取り引きを持ちかけてきて、フィスクからの情報提供により大きな手柄を立てる
* 手柄のためにフィスクを信用していく
* いつの間にFBI自体がフィスクに操られており、自身もフィスクを裏切れない立場になってしまっていた
* 家族の安全にためにフィスクに逆らえない
* 殺しなどにも加担させられるようになり、自分のやっていることを恥じるようになる
* 手柄よりも正義を求める本心からの要求が強くなってくる
* 家族の安全が何よりも気になりつつ、勇気を出してフィスクを裏切る。フィスク告発の証言を行う。
* フィスクのほうが上手で、ナディームの証言ではフィスクを罪に問えない
* ナディームは「遺言として証言を残す場合は証拠能力を持つ」という例外規定を利用するため、より重大な証言を動画に残し、フィスクから派遣された殺し屋を受けて立って殺される
* この証言動画がフィスクを再び刑務所に戻す決め手になる

ナディームは失敗もしたがもっとも大事なものとして正義を選び取った男なのだ。


デアデビルのいいところのひとつは「これは自分にも関係ある話だ」と感じられることだ。
家族が危険にさらされる場合、闇雲に正義のために行動できるだろうかと自問する。
そして、ナディームから学ぶ。結局正義を選ぶしかないのだ。脅されてもなんでも、悪の側についたらもっと悪くなる。

ドラマ『アイアンフィスト』がしんどかったのは、自分には全然関係ない話だとしか思えなかったからだ。超常的な力を用いる悪の組織ザ・ハンドがいて、アイアンフィストはその宿敵として戦いを挑んでいく。自分に引き合わせて想像をふくらませることができない。自分の問題ではない。だからどうでもいい。


さて。
で、何か次のマンガに活かせるような刺激を抽出したいんだけど。うーん。
一旦区切りたいので今日はここまでにしておくか。
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