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戦争とジャーナリズムについて02
法人ジャーナリスト解放の件について興味が持続しているので引き続き考えてみる。
今朝午前三時にトイレに起きた際にこれについて考え込んでしまって朝まで眠れなくなっていた。

眠れずに考えたことはツイッターに書いてたのでそれを一旦コピペでまとめよう。

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失敗するために行動する者は存在しない いや 例外もあるな 自己破壊衝動というものもある アナイアレイションだ しかし 原則として行動は成功を目指して実施される

求人に応募してくる人間がいるからブラック企業がなくならないのだからブラック企業撲滅のために何人たりとも就職転職すべきではないという主張があると仮定して、妥当と言えるだろうか ブラック企業を目指して求職するものはいない

医療ミスで人が死ぬことがあるから医療など行うべきではないという主張があるとして、妥当と言えるだろうか 医療ミスで殺すために行われる医療は存在… するかもしれない 保険金目当てだろうね 推理小説の分野だ

難病に苦しむ患者が治療を求めて病院に来るとして、医者が「この病気は治療が難しく、医療ミスで死なせてしまって訴えられるリスクが高いので受け付けないように院長から言われています。うちでは治療出来ません」と拒絶されるとする ブラックジャック(非合法医者)の出番だな

渡航禁止というのは法的拘束力を持たない 行かないほうがいいよと推奨するのみで、国民の自由を重視している

親が子供に、ちゃんと企業に就職した方が生活が安定するからそっちのほうがいいよ、でも子供の自由を奪いたくないからフリーランスで生きていくことも禁止まではしないよ、という態度を取るとする

フリーランスで活動していた人が生活が行き詰まったとして、親がやめとけって言っていたのにフリーランスを選んだそいつがバカだ、と責められるだろうか 本人としてみれば、フリーランスイコール仕事がなくて野垂れ死ぬということとは思っていなかったはずだ それを避けるために努力していたはずだ

例えを考えるというのは自分の創作の根本的技法なのだなと感じる 例えを考えるというのは同一の・あるいは類似の構造を持つ別の表現を構築するということで その構造が「発音」であるとき、ダジャレになるのだ

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いくつか気になっているポイントがあるみたい。分析するとええと…
* 安田氏の行動への批判が失敗やミスをしたという結果に対して行われており、フェアではない。捕まるために現地に行ったわけではない。
* 海外渡航の自由は保証されている。海外渡航の自由を行使したに過ぎない。

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次のものは他人のツイートの引用。消えるかもしれないので埋め込みではなくテキストコピペで。
安田氏批判の典型的なポイントが列挙されていると思うので。

```
安田氏が批判されてるのは、

・必要最低限の安全対策を怠った
・本人も自己責任論を唱えていた
・テロリストに身代金が流れ、現地の人が危険に晒されている
・他の日本人も狙われやすくなった
・救出に動いた政府をなぜか批判した

からなのに、安易に「自己責任論者が批判してる!」という印象操作。
```

各個に反論できるだろうか。


---
・必要最低限の安全対策を怠った

必要最低限の安全対策とは具体的に何を指すのか。
それは専門家に聞かねば内容がわからないのではないか。
そして、海外の危険地域での取材における安全対策について詳しい専門家とは、自らの命をかけてる当事者であるジャーナリスト本人ではないのか。
「安全対策として○○をすべきだったのに安田氏はそれをしていなかった」と具体的に指摘しなくては成立しない批判だと感じる。少なくとも危険地域取材の素人である私には「必要最低限の安全対策」と聞いて思い浮かぶものがひとつもない。

少し検索してみようかな。

参考になるのはこのへんか。
ニューズウィーク「それでもフリーランス記者は紛争地へ向かう」
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/09/post-3378_1.php
引用
```
(安全対策について)
「『これをしろ、あれはするな』と言ってくれる専門のアドバイザーがいるのは、CNNやBBCといった大手だけ」と、ピーターは言う。「たいていは記者の自己判断に委ねられる。だからフォーリーも自分で考えて行動するしかなかったんだ」
```

大手は危険な取材をさせたがらず、危険な記事作成についてはフリーのジャーナリストに依存しているらしい。
なぜならフリーなら失敗したり死んだりしても「うちの責任じゃないよ」と切り捨てられるから。
そして、フリージャーナリストは資金が限られているゆえに大手であれば可能であるような十分な安全対策を事前にしにくい、という事情が見える。

つまり、「必要最低限の安全対策を怠った」という批判は、「安全対策に十分な予算をかけられるはずの大手こそが取材に行くべきであって後ろ盾の無いフリージャーナリストに危険な取材について依存すべきではない」ということではないか。

また、上記記事から読み取るとして、「安全対策」とは「専門のアドバイザーのレクチャーや事前訓練を受けること」なのかな? それが「必要最小限レベル」なのかな?

安田氏自身はそういうレクチャーや訓練は受けてないのかな? 検索すればわかるかな?
…ちょっと検索しても見つからないな。
海外渡航の安全対策でちょっと検索してでてくるのは、「危険な地域には原則として近づかない」ということみたい。現地で取材するということそのものがこれと矛盾する。
「必要最小限レベルの安全対策=危険地域に近寄らない」という図式であるなら、それは「そもそも取材に行ったのが間違い」となり、議論が後退してる気はする。


---
・本人も自己責任論を唱えていた
・救出に動いた政府をなぜか批判した

これについては… 私としてはどうでもいいや。
本人がこう言っていた系のことは結局、構造には関係なく、感情の問題でしか無い。「動く要素」だ。重要でない。
スキップ。

---
・テロリストに身代金が流れ、現地の人が危険に晒されている

この主張、まるで確定した当然の科学的事実のように語られていることが気になる。
十分に検証された主張なのだろうか。
すくなくとも、日本国政府が公式見解として「身代金の支払いはなかった」といっている。日本も払ってないしカタールも払ってない。

ソース
内閣官房長官記者会見 平成30年10月24日(水)午前 文字起こし
安田純平さん「解放」情報 菅義偉官房長官会見詳報

国連にも所属している一国の政府が公式に発表している事実と異なることを確定的事項として論じるにはよっぽどの論拠が必要なはずで、そこまでの確定力を発揮させられる手続きや機関も限られるはずだ。
国際的な学術機関だとか、ペンタゴン・ペーパーズみたいに公文書のリークを受けた新聞社だとか、そのレベルでないといけないのではないか。


「シリア人権監視団の方から、安田さんの解放にあたって、カタールが身代金を払ったという話が出ている」
これか。たしかに情報ソースとしての確度は低くないな。政府発表にはなんらかの事情がある(テロに譲歩したという発表はできない)と斟酌するなら、シリア人権監視団の情報のほうが事実に近いと判断するのはそこまで的外れではないと言えるな。

一旦棚上げ。

---
・他の日本人も狙われやすくなった

これについては、うーん。
この論法に日本的相互束縛の悪しき風潮を感じるというだけなんだけど…
いや待った。逆の立場、自分にとって有利な立場から発せられた発言でこの論法が使われたらどう感じるだろうか。賛成し得るんじゃないだろうか。
例えば…
「今回の件で『失敗した挑戦者は徹底的に叩かれる』ということが改めて確認され、他の日本人もより冒険をしなくなってしまう」
うん。それなりに聞こえる。
ということは論法自体にケチを付けるのも反論として雑か。

「他の日本人も狙われやすくなる」というのは事実なのかどうか、その上昇率は何%くらいなのか、それは無視し得ない規模のリスクなのか、ということかな。
影響力の大小の見積もりがなくてはこの批判の妥当性が検証できない。

これは私が例えで今考えた「他の日本人も冒険しなくなる」という論法においても同じ批判が成り立つ。影響の度合いの見積もりが出せないなら意味を生じない批判だ。
だから、「他の日本人も狙われやすくなった」という指摘単体では弱い。どれくらい影響があるという見積もりとその根拠がセットになった場合、その根拠の強靭度に応じて批判としての妥当性が生じると。

---
すると重要な批判はふたつになる。
・必要最低限の安全対策を怠った
・テロリストに身代金が流れ、現地の人が危険に晒されている

前者はとりあえず「だから後ろ盾のないフリージャーナリストではなく大手の新聞社が安全対策に十分な予算をかけて自社の記者を送るべきだった」というのを落とし所にしておこう。ジャーナリズム界の構造的問題があるのかもしれない(大手がフリーを鉄砲玉的に使い捨てているのかもしれない)。

後者は…
調査によるな…
政府発表よりも信頼し得る情報源があるのかどうか。「シリア人権監視団の情報」の信頼度をどの程度だと解釈するか。

いやまてよ、それが本質か? 違うんじゃないか?
仮に「テロ組織に身代金が渡っている」のが事実だとして、それでも私は安田氏の行動を是と主張するだろうかという話。
是とする。
それはだから、失敗すること前提にチャレンジを評価すべきでな無いからだと、こういうふうに深夜の考えごとにつながっていくのだ。


一旦まとめておきたい考えはこんなものかな。

これらの考え事をうまく昇華してマンガにできるのが望ましい。そのへんの変換の試みは別の機会に。

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もう一個あったや。





重要な指摘。
私は「危険を冒したジャーナリズムが成功した際の成果が大きい」ということを自分の態度の立脚点の基礎にしている。
けれど、「当事者による情報発信」ができる時代になっているのだから、記者が入っていかずとも戦場の当事者による情報発信によってジャーナリズムが成立する可能性がある。
もし、権力による統制が強固で、通信機器が没収されて当事者による情報発信が封じ込められているというのであれば、外部の人間が入り込んで情報を伝えるのには意味がある。
しかし、シリアについては当事者による情報発信があったはず。

ええと

このへんか
https://www.bbc.com/japanese/38741175
https://www.bbc.com/japanese/38217904

そうすると、「当事者による情報発信とプロのジャーナリストによる情報発信とどちらのほうが質が上か」という議論になるのかな?
おそらく翻訳についての話も絡んでくると思う。主要な情報発信は英語で行われるだろうし、日本人は英語の記事は読まないので、リアルタイムで重要な当事者情報発信を翻訳する「翻訳ジャーナリズム」みたいなものがあれば十分なんじゃないか、という立論は可能だと思う。

うーん、この件については私はまだ定見を持ってないな。
ただ、体制として「危険地域のニュースは当事者発信の翻訳のみに頼る」としてしまうと、情報統制の行き届いた場所については手の打ちようがなくなるのでそれはまずいというのが現段階では感じることかな。


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