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18072901
考え事。

猿の惑星旧五部作をひと通り見た。素晴らしいSFシリーズだ。当時の現実の社会問題ときちんとリンクしているし、異者との関係という普遍的なテーマにも通じている。
特に印象深かったのは第四作目の征服で、この話が猿の惑星シリーズの核だなと感じた。主人公としてはシーザーこそふさわしい。自分を育ててくれたサーカスの団長の死をシーザーが知って涙するシーンで私も涙を流していた。
私はこういうふうに現実世界とリンクしつつ象徴の技法を用いて描いた映画が特に好きらしい。
新三部作も順次見ていこう。



今回考えたいことは、「ゴジラのアニメ映画はなぜつまらないのか」。
以下、アニメゴジラ映画第二作目までのメタバレ含みます。

ツイッターでは色々配慮してつまらないとは言わずに「学ぶべき作品」とか「自分向けではない」とかいう言い回しをしていたが、ここはブログなので本音を表す言葉を使う。アニメのゴジラ映画はつまらない。
それはなぜだろうか。
脚本はあの虚淵玄である。まどか☆マギカの。今や日本のアニメ界を代表する脚本家の一人のはずだ。

でもつまらない。分析しよう。

その前に、アニメゴジラ映画の素晴らしさをきちんと述べておきたい。一連のアニメゴジラ映画は制作の発表がシンゴジラの公開の直後だったと記憶している。あの名作・シンゴジラの後の時代にゴジラを取り扱うというのはとてつもなく難しい事業だ。ハードルが高すぎる。シンゴジラのハードルを超えることはおそらくもう不可能なのではないか。
そういう文脈があるのに果敢にゴジラ映画に取り組んだ。それだけでこのシリーズには巨大な価値がある。それだけで一定の役割を果たしたと言って良い。
なので、シリーズ自体は否定しない。このアニメ映画の取組があったからこそ、ゴジラは今後も永遠に作られ得るシリーズになるのだ。

それを踏まえた上で。
ゴジラのアニメ映画シリーズはつまらない。
第一作目がつまらなく、期待していたのでがっかりした。
第二作目もつまらなく、しかし期待はしていなかったので平均点という感じ。
第三作目で多少巻き返す予感がする(これまでの伏線が回収されそうなので)けど、あんまり期待していない。

つまらない原因、大きく2つ思いつく。
* 現実世界との接点がなさすぎる
* 物語にコトワリがない

現実世界との接点。
精密には記憶してないんだけど、確か舞台は未来で、地球はゴジラを始めとした怪獣たちに滅ぼされている。宇宙船で逃げた人類は居住可能な星を探してたんだけど見つからないから地球に帰ってきた、みたいな話じゃなかったかな。で、途中でいくつかの別の惑星の種族と出会って宇宙船には彼らも乗り込んでいると。
この状況が、現実世界の現代的や歴史的の状況と何ら対応していない。

猿の惑星だったら、猿というのは黒人奴隷だったり移民労働者だったり平和活動家(ヒッピー)だったりする。

初代ゴジラ映画やシンゴジラだったら、もちろん現実世界が舞台なので、その当時の社会が基礎になっている。「現代にこんな怪獣が現れたら何が起こるだろうか」というシミュレーションの要素があり、それがお話への最低限の関心を確保する。
そして、初代ゴジラではゴジラは核兵器の象徴である。
ゴジラシリーズを通してゴジラは核実験で生まれた存在、つまり人間の愚かさを人間に突きつける存在である。
ゴジラ対ヘドラのヘドラだったら公害を表現していた。
ゴジラ自体は出てこないけど単独映画のモスラでは欲に目がくらんだ人間がモスラの禁忌に触れることでしっぺ返しを食らうという内容で、自然を尊重する心を失った人間の愚劣さを表現していたと記憶している。
シンゴジラでは現代の日本の政治機構を風刺的に描きつつそれでも前向きに活動させることができるはずだというような描き方をしている。光と影の両方を描いている。

では、アニメゴジラ。
怪獣に滅ぼされた地球というのは何を表現している?
宇宙で出会って協力関係になった異星の知的生命体は何を表現している?
決戦兵器として用意されたけど結局力を発揮できなかったメカゴジラは何を表現している?
何も表現していないように感じる。ただのお話上の装飾でしかない。だからどうでもよく感じ、この世界に興味が持てない。

今回の二作目。
メカゴジラの描写にカタルシスがないというのはもちろんある。
メカゴジラという名前であるからにはあのゴジラをメカにしたような姿のメカ怪獣が登場し、主人公たちがそれに乗り込み、ゴジラとガチンコバトルをやるのだろう!ということを視聴者は期待する。ところがその期待には応えてくれない。メカゴジラは都市になっていて、罠を構築してゴジラを誘い込むという描写になるのだ。
まあでも、「科学力を駆使するのなら一体のロボットにするより要塞を作ったほうが強い」という合理的思考に基づいているのだろうので、わからなくもない。科学の力でゴジラを倒そうとする場合その表現は怪獣ではなく都市を作ることであるべきだという主張であるのならそれはそれで面白い。だからメカゴジラ怪獣が出てこない事自体は別にマイナスにはカウントしない。
私がマイナスにカウントするのは物語だ。

クライマックスで主人公が選択を迫られる。
* ゴジラを倒すことができるが自分と恋人とが人間ではない存在になってしまうし、ゴジラを倒したメカゴジラ(ナノメタル)が地球全体を食い尽くしてしまう
* ナノメタルの増殖を食い止めて恋人も救えるが、ゴジラは倒せない

で、主人公はうだうだ悩んだ挙げ句、ナノメタルの増殖を止める方を選択する。
ところが、恋人は死んでしまうのだ。ナノメタルの侵食の度合いが深くなりすぎていたらしく手遅れだったらしい。
ゴジラも倒せないし恋人も救えない。
主人公の決断に意味がなかったのだ! いや、一応ナノメタルによる地球侵食は止めたんだけど、それだけでは釣り合わない。

選択したからには選択したものが得られなくてはならない。そういう理(コトワリ)が物語内に存在していないと、そのお話を信用して見ることができない。

つまり、ただでさえ現実世界とリンクしないふわふわしたただのお話に付き合ってやるかという我慢を抱いて見ているのに、その上さらに主人公の決断が裏切られる結果になる。
前提として興味を持てないのにダイナミズムとして信用できない。せめてお話として面白ければ救いがあろうものなのにお話としても不愉快でつまらない。

というふうに、静動両面でダメさを積み重ねているように見える。


でもおかげで、この作品以降はまたゴジラ映画が作りやすくなると思う。ハードルをこんなに下げてくれたんだから。

ゴジラ、素晴らしいシリーズです。
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