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アイデアを考えよう。

メフィストフェレスのアイドル2。

大司教は大司教でアイドルを抱えている?
仮面のプロデューサーなんてどうだろう。大司教は正体を隠してプロデューサーをやってる?

第二作目ではリズとミーナとのユニットがお抱えアイドルと対決して倒す? 対決必要?
第三作目ではリズとミーナと3人目のアイドルとのユニットが、より消耗品的なアイドル(司教プロデューサーの肝いり)と対決して倒す?

アイドルの支配者(おっさん向けアイドルのプロデューサー)がラスボスという認識。

それとも父王をボス(中ボス)にする?
お抱えアイドルたちにプロデューサーが父王で、アイドルを本質的には奴隷だと解釈している?

おっさんプロデューサー=神という図式がわかりやすく現れる設定にしたい。
「王のお抱えアイドル」という、世俗の権力側に結びついた存在だとちょっと整合性が弱い気がする。

第二作目は王=父=家との戦いにフォーカスすべきで、「アイドルのおっさんベクトル(大御所プロデューサー)問題」を取り扱うべきではないんじゃないか。それは第三作目のフォーカスであって。

すると対決するのはおかしい。
ミーナがアイドル活動すること自体が勝利である。

おっさん主義的アイドルとの対決は第三作目?
いや、アイドルと戦うのではなくおっさん主義と戦うのであって、つまりアイドルをおっさん主義から解放しようというのが趣旨ではないのか。
ライブ対決になるとアイドルとアイドルとの優劣を決めているようで、その背後で操っているプロデューサーとの対決にならない。
おっさん強権プロデューサーに反抗することこそが大事。
なので、おっさん強権プロデューサーが特に気に入っててギチギチに束縛しているアイドルがいて、そのアイドルをおっさんPに離反させるのがいいのではないか。
何か大事なステージがあり、おっさんPのアイドルがステージに立つ予定だった。しかしそのアイドルはそれを拒否し、かわりにリズとミーナと一緒に組んだユニットが代理でステージに立つ。
うーん。

アイドルと戦うのではなくアイドルを支配する存在と戦うということを忘れずに。
対決ものはできれば描きたくないという気持ちを忘れずに。負けた方のアイドルは輝いていなかったということになってしまう。みな輝いているのだ。おっさん強権プロデューサーの支配するアイドルたちだって彼女たち自身は輝いている。ただし抑圧されてもいるということだ。歌いたい歌が歌えないとか着たくない衣装を着ないといけないとか?

わかった。
現代的テーマを盛り込める。
すなわちMeToo活動だ。アメリカハリウッドの大物プロデューサーが長年に渡って女優たちにセクハラをしていた。女優たちがついに告発の声を上げ始めた。世界中にその活動が広がっている。
「アイドルは続けたいけどそのためにはおっさんプロデューサーの支配を我慢しなくてはならない」という状態に抑圧されている存在がお抱えアイドルたち。
プロデューサーお気に入りのアイドルほど人気があり(テコ入れされるため)、より強く束縛されている。
トップアイドルを解放するのがメフィストフェレスの役目。
そしてプロデューサーを追放する。

プロデューサーは「アイドルは自分の所有物だし俺のことが好き」と思いこんでいる。
なので、打倒の仕方は、脱退して独立すること?

プロデューサーの息がかからないアイドルが聴衆の心をつかむ。
三人は正体を明かし、自由と覚醒とを説く。
お抱えアイドルたちは反抗の声を上げ、プロデューサー追放を王に合意させる。そしてお抱えアイドルの全種族への門戸開放がなされる。
しかしそうするとアイドル希望者が増えすぎてお抱えアイドルが抱えきれなくなる。何らかの再編がなされるんだろうけどそれは別にこの作品内で描く必要ないな。お抱えアイドルもより広い種族からスカウトされるようになったのですと。


二作目は姫がアイドルになってステージに立つ。対決はなし。どんなステージ?
三作目はお抱えアイドルトップがプロデューサーに反抗してステージに立つ。どんなステージ?

城のコロセウムはお抱えアイドルのためのものというニュアンスが強すぎてしまう気がする。城下町に別のステージがある? ライブハウス?
解放された独立系アイドルたちがライブをやる場所を設定すべきな気がする。そこは神や王と無縁の・もしくは反抗するような象徴性を持つ場所だといい。


ここまでにしておくか。
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