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スターウォーズEP8 最後のジェダイ 感想
スターウォーズ最後のジェダイを昨日見た。




その後、宇多丸さんによる感想と町山智浩氏による解説とを聞いた。



町山智浩の映画ムダ話69 『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』

以後ネタバレ有りで感想を書くので未視聴の方はご注意ください。

まず面白かったか面白くなかったかでいうと私には非常に面白かった。
だけど宇多丸さんの感想を聞くとボロカスに言っているので自分の感想への自信が揺らいだ。
次に町山さんの解説を聞いて、自分の感想への自信が深まった。
しかし他人による評価に自分による評価が引っ張られるのは空気を読んでいるようでよろしくないと反省したい。

自分の感想を今こそ固めるためにブログで記しておきたい。

私が面白く感じた点。
* 先が読めない展開。「こう展開するんだな」と思ったらことごとくそうならない。
* ルーク・スカイウォーカーのキャラ。おちょくったりして茶目っ気がある。
* ストーリー展開。レイとレンが共闘してシスを倒すシーンは過去のどのシーンより盛り上がった。
* カイロ・レンというキャラの複雑さ。光と闇の間で揺れ動く。今後何するかわからない。

私は映像への感度が弱いから、「絵が綺麗」「映像が美しい」「動きがすごい」というところが評価の基準になることが少ない。単純にそれらに気づけないからだ。

今回私が評価してるのはキャラとストーリーだな。

キャラ。
* ルーク。ユーモラスな面が良い。
* カイロ・レン。単純化されていない所が良い。

ストーリー。
* ひねりが効いている。
* レイとレンの共闘という名シーン。
* ルークへの集中砲火という名シーン。
* カイロ・レン対ルークという名シーン。


宇多丸氏がツッコんでいる「反乱軍バカすぎ問題」というストーリー展開上のグダグダは私には特にマイナスには感じなかった。
私はストーリーにひねりが効いてて予測がつかないことを評価したんだけど、宇多丸さんには「ひねりすぎてわけがわからない」という水準に感じられたのだろう。
これは映画への感性の違いなのであんまり気にならなかった。

それよりも町山さんの解説を聞いて考えさせられてしまった。
町山さんの解説で勉強になった指摘。
* ジェダイの聖なる書物は聖書を象徴している。
* ルークの生活はカトリックの修道院を象徴してる。
* ルークが気の迷いでカイロ・レンを殺そうとしてしまうシーンは、聖書でアブラハムが神からの命令により一人息子のイサクを生贄として殺すシーンを連想させるようになっている。
* カイロレンがマスクを破棄し、ルークにライトセイバーをポイ捨てさせ、シスもさっさと殺してしまうことで、スターウォーズの伝統をことごとく断ち切った。

つまり、作品のメッセージや象徴を数多く読み取っている。私には全然読み取れなかったが、私は本来この分野のアンテナに鋭くありたいはずだ。
で、作品を評価するときは、末端の要素よりは根本の要素をより重く評価したい。つまり今回私には読み取れなかったが町山さんは読み取ったメッセージや象徴こそが本来私が最も重んじたい要素なのだ。

ジョージ・ルーカスは今回のスターウォーズを絶賛したという。
ルーカスは志の高い映像作家なので、スターウォーズには常に新しい映画であることを求める。EP7は過去作の焼き直しで内容的には攻めてないということに大いに失望したらしい。それがEP8を絶賛しているということは今までとは違ったSWになっているはずだ。
だけど私にはその新しさが明確には把握できてなかった。レンとレイがフォースで深く結びつくような、成長するふたりのリンク要素が新しいかなくらいにしか読み解けていなかった。
町山さんの解説を聞いて、今までのSWとは違うんだということが作中で明確に表明されているということをやっと理解できた。

カイロレンのマスクは、「ほら、スターウォーズファンはベイダー好きだろ? こいつがベイダー的存在の後継だから。ほら、マスクあるでしょ?」というアイテムだった。ガンダムにおけるシャアのマスク。おもちゃ屋で売れるような、人気キャラの系譜を示すアイテム。
それを今回さっさと破壊させてしまった。俺の映画にはベイダーなんぞ要らんということだ。カイロレンはベイダーではない。アナキン→ベイダーと続いてきたベイダーというマスコットを明確に破棄した。

今シリーズのラスボスであると思われていたシスの暗黒卿(スノーク)もさっさと殺してしまった。伝統としてはシスの暗黒卿との絡みは三部作の三作目でやるのがパターン。しかし二作目で決着を付けた。三部作を今まで通り繰り返さねえぞという意思表示。

ジェダイの聖堂は焼かれる。レイの両親はただのろくでなしのモブ。プリクエルのとき濃厚だった神秘主義的ジェダイ観や血統主義を断ち切ってみせた。別にジェダイなんて偉大でも何でもない存在だし、フォースは万物の間に存在しているもので選ばれし者が独占しているパワーではない。
これでレイは、ジェダイでもないしスカイウォーカーでもない主人公になった。


いまツイッター見てたら、「スターウォーズ的な伝統を否定していくならスターウォーズを名乗らないでほしい」という感想も目に入った。それも一理あると思う。



自分の理解と感想と態度を整理しよう。

スターウォーズの伝統を否定することについて。
私はそれには賛成だ。
ジョージ・ルーカスが常に新しい映画へのチャレンジにこだわったというのは私は評価したい。
つまりそうか、「スターウォーズの伝統」とは何なのかをどう理解するかという話だな。
* EP4〜6によって作られた枠を守ること
* EP1〜6によって作られた枠を守ること
* 小説やアニメも含めスターウォーズの世界観との整合性を取ること
* ジョージ・ルーカスの映画作家としてスタンス

私は映画作るのならやはり冒険する方がいいというスタンスでいたい。監督の作家性を出す。だから大当たりも大外れもありうるような。
漫画を原作にして映画化する際、監督がしゃしゃり出て原作を台無しにするというケースがあるけど、それでいいと思う。原作が消滅するわけじゃないんだから、映画は映画として野心を持てるといいと思う。

EP8で過去のスターウォーズを断ち切る意志を見せた結果、EP9で何が起こるのか全く予想がつかない。いいと思う。


構造。「俺はエピソード8評価するよ、なぜなら…」と語るとき、その根拠はやはり作品の構造レベルのところに持ちたい。「ルークがおちゃめだったからね」程度の末端要素じゃなくてこう、作品の核のところについて自分なりの肯定的な理解を持ちたい。
手順的には後付になるが、「気づき」だというふうに弁解しておこう。

ジェダイの特権性を落としたのことを好ましく感じてるな。
つまり、選ばれし者だけが世界を動かしているわけではない、というメッセージはまず読み取れると思う。
反乱軍で頑張る人々はジェダイでも何でもない。選ばれし者ではない。
* 元帝国兵のフィン
* 整備員のローズ
* パイロットのポー
* レイアに代わって艦長を務める女性艦長

ジェダイの聖地も焼いてしまう。ジェダイの聖なる書物も焼いてしまう。
ジェダイというのはブッダ的な、修行の末到達する深淵の境地ということだと思う。
しかしそんなものは実はコケオドシにすぎないんじゃないかということじゃないか。フォースの技術を独占する利益団体にすぎないみたいな。
うーむ。しかしこれは、反知性主義的でもある? 深遠なるものを認めない。教養のない人間にも共感できる程度のシンプルさが全てに影響してしまうことを良しとする方向につながる? そこまででもないか?
「ジェダイの深遠さはまやかしである」? このメッセージで正しいんだろうか。もしそういうメッセージだとして、その内容は正しいだろうか。正しいというか自分がそれを支持するかどうかということか。
フォースというのはジェダイだけが持っているわけではない。万物の間に流れ、バランスを取っている。ジェダイだけのものではない。だからこうか。深遠なのはジェダイだけではない。深遠さが属するのはジェダイだけに対してではない。深遠さそのものを否定しているわけではない。ジェダイというポジションが解体されたんじゃないか。

だからそうか、私はジェダイよりはあのローグワンに出てきた僧侶(ドニー・ウェン)のほうが好きなんだけど、つまりは「選ばれし特権的存在」というのが好みじゃないんだな。普通の人の方がいい。
普通の人が頑張る話であればそれは自分と繋がる話で、選ばれし者が英雄的活躍をするならそれは自分からは切断された話になるのかもしれない。

だからEP8でレイのキャラ展開において「選ばれし英雄でした!」「選ばれし英雄であるルークの後継者です!」としなかったことは評価したい。
したいんだけどもしルークの後継者として描かれていたとしてもそれはそれで感動してた気がするな。ここに根拠を置くのはこじつけか。

「選ばれし者・ジェダイという特権の終焉」と言うのは評価したい。これは採用して良さそう。
そうすると私はプリクエルを評価しないということになっちゃうがそれはいいのか?
うーん、今のところ、たしかにプリクエルへの私の評価はそんなに高くない。プリクエルについてのちゃんとした感想は考えてないな。
今回は棚上げするか。

スターウォーズという恐るべきうるさいファンを無限に抱えた作品を作るにあたり冒険した態度は評価したい。これは制作態度の水準の話。

今ひらめいた角度があるぞ。
宇多丸氏が特に問題視していたのは、あるアクションを起こして結局それが無駄に終わったとき「今まで見てたの全部無意味だったじゃん!」というものだ。一連の行動が失敗に終わったときそれまでに描かれたぶんが映像体験上の損失として計上されている。

この件について自分なりの理解を得た。
これらの展開は物語上の無駄なのだろうか。
物語上の無駄というのはその展開が作品のテーマやメッセージと何も関わりを持たないことだとする。
ただ視聴者をハラハラさせるためにひねりを入れすぎた結果グダグダになるというのが失敗例のひとつ。

EP8はどうだろうか。
失敗で終わる行動も、すべて同じ目的に向かっている。「帝国の圧政に立ち向かう炎をつなぐ」。
なので、無意味な展開ということはない。

たとえば登場人物の誰かひとりが任務中に見かけた異性に一目惚れして任務もそっちのけにその相手を追いかけ回すみたいな展開になったらそれは無駄だといえると思う。最後のジェダイがそういうグダグダさを持っているかというとそうではない。

今回のお話を「選ばれし者や英雄ではない普通の人がそれぞれの領域でそれぞれのやり方で頑張ることに価値がある」というメッセージだと理解するとする。
選ばれし者ではないので必ずしも常に成功するわけではない。
普通の人「々」が「みんな」頑張るので、いろんな思惑、いろんな行動が並走する。大きくは同じ方向を向いている。なのでそれらの行動は「群」として歴史に働きかける。
ひとつ失敗しても別の動きがそれをカバーすることもあるし、ひとつの失敗が別の行動を呼ぶこともある。英雄のひとつの行動だけにすべての命運が掛かるわけではない。
大事なのは大きなうねりであって、ひとりひとりはその構成要素でしかない。完璧ではないものが協力することで歴史の駆動力に変えていくと。
これがメッセージなのではないか。選ばれし者ではない普通の人がみんなで頑張ることで補い合いながら歴史を駆動していくと。そう理解すればジェダイが終焉することとフィンたちの試みが失敗することとクルーザーが帝国軍に体当たり特攻してピンチを切り抜けることとルークが時間を稼いでいる間にみんなが逃げ出すことと反乱軍が虐げられし者たちの希望を集めることとが構造的に一致する。

そう理解しよう。
物語の担い手がジェダイという選ばれし者から反乱軍のふつうのひとびと(=我々)という群像にシフトしたと。

いや、そうだろうか。ハン・ソロは別にジェダイじゃなかったしEP6ではイウォークという戦闘民族が歴史の駆動力を発揮した。過去からあった要素では? うーん。

まあでも現段階では上記のように理解しよう。そして、私にとってSWEP8は名作であると。


カイロレンについて。
光なのか? 闇なのか? キレやすいガキなのか? 父殺しを経て成長した一人前なのか?
つかみどころがない。
キャラに一貫性がないだけなのか?
カイロレンは光と闇の間でもがいている存在なのだ。それはだから、我々の姿でもあるんじゃないか。
いや、我々の写し絵というのとはまた違うか。
師であるルークに見捨てられ、祖父であるベイダーに憧れつつもお前はベイダーではないとスノークに否定され、光にも闇にも受け入れてもらえなかった存在ということか。
だからもう他人を頼るのをやめて自分が世界を作ろうと決意したのか! 実存だな。「光」でも「闇」でもない、「俺」だ!ということか!
カイロレンの今後の行動の動機は何になるだろうか。
復讐でもないし忠誠でもない。やはり創造。新しい世界の創造、だよね。ベイダーでさえパルパティーンに仕える手下でしかなかった。新しい局面だ。ジェダイでもシスでもないものが世界を作る… 共和制? 独裁?
どう展開するのか予想できない。この予想できなさが魅力なんだな。何を選択するのか。カイロレンは光と闇との間で揺れ動いているからなんでも選択し得る。目が離せない。それが魅力か!
| 映画 | 18:21 | - | - | permalink |
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