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17111101
ドラクエ短編完結回は順調に下書きが済んだので完結まで挫折せずに進行できそう。

次のマンガの構想。
* ヒーローズアンドヴィランズの続き。弟にデザインしてもらった超かっこいいメカゴジラ的ロボットがいるからこれは遅かれ早かれ必ず描く
* 面白さに重点的に工夫を投入した別のマンガ
* 自分の主張なり思想なりをもっと濃く表明したマンガ

ドラクエ短編の反省点は「面白さへの工夫が後回しになっている」ということなんだけど、別に商売じゃないんだからそんなものはいつまでも後回しでいい気がしてきた。
むしろ自分の魂の反映の濃度をもっと煮詰めることこそを考えるべきなのではないか。パラメータでいうと既に極振りしているステータスにもっとポイントをつぎ込むべきで、今更伸ばしてない項目にポイント振っても意味が無いんじゃないか。



では次のテーマは何か。
着想。
SNS時代になり、オタク文化も一極集中の傾向が目立つ。まあこれはでも、マスコミ時代に比べればそんなことは全然ないんだろうけど。
つまり、人気コンテンツの二次創作ばかりが描かれる。それは、旬のコンテンツに乗っかったほうが閲覧やブクマが伸びるからだという一面があることは否めないだろう。

一次創作を描いても閲覧は伸びない。
しかし、それでいいと思うというか一次創作の意義には閲覧数という数字は関係してこない。
一次創作を描くこと自体に価値がある。

数字にとらわれない姿勢に価値がある。
アルタミラの洞窟に壁画が描かれた時、その行為は数字から断絶している。そもそも見られるために描かれていない。描くという行為自体が宗教的意義を持ってる。

「誰も理解しなくても描く」「誰も読まなくても描く」「評価されなくても描く」、これらの価値をテーマにしたい。
「読まれなくてもいいなら発表しなければいいだろ」というツッコミに対する返答なんかも関連する話題になると思う。

描くという行為にはそれ自体に価値があり、条件分岐は要らない。
つまり、

```
if($viewCount > 1000){
  $myWork->setIsPrecious(true);
}else{
  $myWork->setIsPrecious(false);
}
if($myWork->getIsPrecious() == true){
  new MyWork();
}
```

ということではない。
「バズれば価値がある」「売れれば価値がある」「評価されれば価値がある」
「バズらなければ価値がない」「売れなければ価値がない」「評価されなければ価値がない」
「価値があるなら描く」「価値が無いならもう描かない」
ということではない。

```
new MyWork();
new MyWork();
new MyWork();
```

こういうことだ。
つまり、「描く」。
無条件に描く。それこそが価値ある態度だ。

そういうのをテーマにしたい。

すると、誰にも評価されない芸術家を主人公にする。常識的に考えて作品を作らないだろうという状態に追い込んで、しかし平然と作らせる。

人類が滅亡して最後の一人になっている?

漂流している宇宙船の唯一の生き残りクルーがマンガを描いている?

まあそういう感じの方向だろう。それなりの分量の狂気を描くことになるんじゃないか。するとコントラストのために普通の人物(もしくは売上を重視するプロデューサー的な人)を出す必要がありそう。むしろそっちが主人公なのかもしれない。

ツイッターでつぶやくときにいくつかのノリがあって、
* ダジャレ(ダジャレは思いついたら無条件にツイートする)
* しょうもないノリ(えろえを描くのを推奨するようなノリ)
* ロック×意識高い感じのノリ(今回の主張のような内容のことをいう時)
なんだけど、このうち自分のロックな精神を満足させるようなマンガにできればいいのだと思う。

ドラクエマンガ終わったらネタ出し期間だな。

| マンガについての考えごと | 19:13 | - | - | permalink |
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