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哲学女子のシナリオ第一稿
# マイ哲学女子

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## 登場人物
* ナカヨシ
会社員。
今回はほぼ脇役。
ダム子との差別化のために一人称を「俺」とする(私の好みではないが今回はダム子のほうがが重要なので)。

* ダム子
ダム子はハンドルネーム。freedomでダム子。
本名はおそらく由子(ゆうこ)。
社会からの「女はこうあるべき」という圧力に負けじと突っ張っている。
一人称は「私」。

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## 脚本

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1. 喫茶店 / 昼食時 / 土曜日

ナカヨシとダム子、喫茶店で座っている。

ナカヨシ「さて。ダム子よ。俺に話したいことがあるということでセッティングされた今回の会合だが
今回の議題は何だ?」
ダム子「クレープが食べたいのだ。」
ナカヨシ「ほう。
君のことだ。長い文脈が背景にあるのだろう。補足を頼む。」
ダム子「ナカヨシは判っているな。話を進めやすい。」

ダム子「話の導入には私の常設テーマが今回も登場する。ナカヨシは何度も聞いたことがあるだろうから話が重複するかもしれない。序盤のプロセスをスキップするか?」
ナ「いや、いつも考えているテーマへの考えも、そのときどきによって微妙に異なってくるものだ。フォーカスするポイントがズレていったり時事ニュースの影響が反映されたりする。話すことでそれらが表面化するかもしれないから何度でも口に出すことは有用だろう。なので、チュートリアルからはじめてくれ。」
ダ「承知した。」

ダ「我々の側の性別、女性というものは、常に、社会から『女はこうあるべし』という圧力を受けている。
かわいくあれ、従順であれ、働き者であれ、貞淑であれ、淫乱であれ、良き母であれ…
つまり、男に都合の良い奴隷であれということだ。会社に都合の良い奴隷のことを社畜というのだからこの男に都合の良い奴隷のことを男畜(ダンチク)と造語してもいいかもしれない。
で、私はこの圧力に屈しないことをポリシーにしている。奴隷化の圧力から自らを解放するのだと。」
ナ「ハンドルネームの『ダム子』もたしかフリーダムから来ているのだったな。」
ダ「うむ。フリーダムアットラスト。フリーダムアットラスト。」

ダ「そこでクレープだ。
ナカヨシはクレープについてどう思う?」
ナ「美味しそうではあるが、生地は小麦粉で作られ、大量の生クリームが添付された食物なので、カロリーの塊だ。健康に悪い。
しかし君が聞きたいポイントはおそらくそういうことではないな?」
ダ「私に言わせればクレープというのは女の子のための食べ物の権化だ。女の食べ物だ。」
ナ「なるほど。パブリックイメージ、社会的に付与された記号的な意味の側面を重視しているのだな。」
ダ「だから、たとえば香水のにおいがして髪の毛をふわふわにしてヴィトン?マ・クベ?だかなんだかのブランドの財布を持っているような女子大生やOLがいるとする。彼女らがツイッターにこれから食べようとしている料理を画像つきでつぶやくとする。そういうのが私には『飼いならされた奴隷』のように見える。で、その食品がクレープであろうものなら平常な精神ではいられない。深呼吸して素数を数えるようなルーティンが必要になる。」
ナ「ツイッタークライアントソフトで『クレープ』をミュートワードに設定しておくといい。」
ダ「で、先日、テレビを見ていた。厳密に言うとテレビを見るのに集中していたわけではなく作業用BGMとして流していた。
あるテレビ番組でゆるふわな女性…芸能人?アナウンサー?がおいしいお店を紹介するという体であるクレープ屋に赴き、クレープを食べるというのをやっていた。それが非常に美味しそうに見え、私の食欲を刺激した。このクレープを食べたいと。」
ナ「普通の女性であればありふれたことだろうが君に限って言えば珍しいな。」
ダ「そうなのだ。
そもそもテレビというのはマスコミ。マスコミのマスというのは大きいという意味だ。要するに私が戦っている女性奴隷化強制力の主要な担い手だ。ゆるふわ美女にクレープを食べさせるという所業それ自体が罠だ。女はクレープでも食ってろという洗脳である。その意図は見え透いている。
しかし、クレープを食べたい。
これは私が洗脳されたということではないのか?
ここで私がクレープを食べてしまったら私の今までの人生を否定することになるのではないか? 奴隷解放のために戦っていた将軍が奴隷の虐殺を行うようなものに見える。」
ナ「なるほど。葛藤があると。
頭ではクレープなど食べるべきではないと考えている。
心はクレープを食べたいと要求している。
頭と心とが一致していない。」
ダ「そう。そこでナカヨシに意見を聞きたい。
もちろん、どうすればいいか決めてほしいということではない。決断は自分の責任で行う。そうでないと奴隷だ。ただ参考意見を聞きたい。判断の材料がほしい。」

ナ「第一の案。
クレープから記号的意味を剥がせばいいのではないか。
今回の問題はダム子にとってクレープが女子奴隷化圧力の権化的な食品であることに由来している。しかし、たとえばクレープの歴史について正しい知識を得れば、洗脳の尖兵というクレープ観は訂正されるだろう。そうすれば、たとえばキャベツを食べたいとか豆腐を食べたいとかの、普段食べているものをチョイスする場合との差異が生まれなくなると予想できる。」
ダ「残念ながらそれはすでに試みた。
クレープはフランスのブルターニュ地方が発祥の地で、もともとは小麦粉ではなくそば粉で作っていたらしい。そもそもそのへんの土地では小麦が作れないから蕎麦を作ってそば粉を焼いたものをパンの代わりに食べていたらしい。その薄焼きそば粉クレープのことはガレットと呼ぶ。
で、ブルターニュ地方に狩りでやってきた貴族… なんとかいう王妃だったかな?が庶民の食べていたガレットを気に入って宮廷料理に持ち込み、改良を経て小麦粉を使うようになったのがクレープなのだという。
特に日本ではクレープは独自に発展したもので、1977年に原宿で提供されだしたものが雑誌などに取り上げられてブームとなって定着したのだという。『生地に甘い果物や生クリームなどをはさむのはフランス発祥ではなく、原宿発祥のものである』とウィキペディアにはある。
つまり調べた結果、日本におけるクレープはマスコミがそのイメージ作りに関わったスイーツ=女性向けの食べ物である。
しかし、重要なのはそういう歴史なのではなくて、私の脳内にあるクレープの位置づけなのであって、仮に客観的に考えてクレープが奴隷化の手先でないことが判明しても私の心がそれを女子的食物の権化だと頑なにみなし続けるのであればそっちのほうが影響力が強い。」
ナ「なるほど。ここでも問題になっていることは今回のトピックと共通で、『心を制御できない』ということに集約していくのだな。」
ダ「私が言いたいのはまさにそういうことだ。」

ナ「第二の案。
感情に従え。
結局は頭と心、理性と感情のどっちに意思決定の手綱を握らせるかという問題になる。
私の経験で言うと人間は結局感情には最終的には逆らえない。人間は、というかべつに動物が含まれてもいいんだけど、自分で自分を完全には制御できない。感情に振り回される。
最終的には感情に逆らうことは出来ないのだと謙虚に認めることは自分は完全な存在ではないということを受け入れるということでもあり、倫理的な態度であるといえるのではないか。」
ダ「しかし、感情のままに生きるというのは、うつくしくないのでは?
たとえばニュースを見る。税金が上がる。怒りの感情が湧く。怒りの感情のままに…たとえば家族に当たり散らす。唾棄すべき行動なのでは?」
ナ「たしかにそうだ。
だから難しいところではあるが… 感情の制御は試みるべきだし、理性と感情とが対立した際にその都度葛藤を感じるということも大事なことだ。
『感情を制御する』という断定系ではなく、『感情を制御しようと試みる』という目標を方針として抱いておく。それを完璧には達成できないと理解した上で感情の制御を試みていく、感情に支配されるのではなく、感情を支配するのでもなく、感情と付き合っていこうということだな。」
ダ「クレープを食べたいという感情と向き合い、それには逆らえないということを認め、屈服すると。負けを認める分人間の器が大きくなると。」

ナ「待った。もっとポジティブにとらえよう。
女性奴隷化圧力に逆らうこと自体は真の自由ではない。この方針は逆に言えば、社会が『女性的』とレッテルを貼るものから自分を排除するという意味において逆説的に自分の自由を奪っている。
たとえば一枚の紙に絵を描くとする。教師が『女子は紙の左側半分だけに、男子は紙の右側半分だけに描きなさい』と指示するとする。
このとき、自分に禁じられたサイドだけを使って絵を描くのであれば、それは結局教師の決めた枠組みにとらわれているのと同じになる。そうではなく、画用紙の全面を、あるいは裏まで使って描くことこそ本当の解放であると。
『押し付けられている基準』から考えるのではなく、自分自身の基準から考えるのが真実の道である。」
ダ「それは… 私も常々考えていることだ。
女でないものを目指すのではなく、自分自身を目指す。
ただ、そうだな、これまでは自然に生きていてもあんまり『オンナノコオンナノコしたもの』に欲求が向くことがなかった。
なので今回の事態は、ケースとしては予測できたが実際に直面してみて改めて戸惑っている、というのに近い。」
ナ「ならば、クレープを食べることこそが、勝利につながる。真なる自分を探求するための試みを実行したという意味で、社会に勝利している。」
ダ「そう言ってくれるか。」

ダ「おそらく、私が今回の会合で欲しかったのは、それなのだ。
自分以外の手による、背中の後押しだったのだ。
どうも君には私にとって良心の検問所みたいになっていて、なにか後ろめたいことがあるとき、この検問所で『よし。行け』と言ってもらうことで気が楽になるらしい。勇気が出る。」
ナ「それは光栄なことだ。
それに、同じことは俺も感じている。ダム子は俺にとって裁判官的な…それとも検事なのか? 裁判用語には詳しくないが、とにかく良心の番人みたいに感じている。
ダム子の許さないことはできないように感じる。逆に言えばなんか罪を犯してしまったなというときでも、ダム子が理解してくれるならそれで許されたような気になるのだ。」
ダ「我々はそれぞれ良心の外部記憶装置として機能しているのだな。」

ダ「よし。じゃあ
決心した。クレープを食べに行こう。店を変えよう。実は目をつけていたクレープ屋はこの近くなのだ。」


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2. クレープ屋 店先のテーブル / おやつ時 / 土曜日

ダム子、テーブルに座っている。
出来上がったクレープをナカヨシが受け取ってテーブルに持ってくる。

ダ「これが… クレープ(イチゴバナナチョコ)… いや、もちろん見たことはあるが。」
ナ「こういうのはめったに食べないのでいい機会だ。美味しそう。」
ダ「ツイッターにスイーツ画像投稿しちゃうゆるふわモテOLの気持ちがわかる… 私は今画像投稿をしたい誘惑に駆られている。食物への喜び…というか期待かこの場合はまだ食べてないので、を具体的な行動で表現したがっているのだろうか?」
ナ「投稿するといい。今回の課題のひとつに『感情に従うという経験を積む』と言うものがあるはずだ。毒を食らわば皿までなのだから、クレープを食らわば画像ツイートまで、ということができるだろう。」
ダ「しかし私のツイッターのメディア欄にはこれまで自分で描いた作品しか載せていないというのが私の誇りの一端を担っている。」
ナ「むむ。ならば選ばねばならないな。これはある意味自身の潔癖を崩すことで人間らしさを獲得するということでもあるかもしれない。」
ダ「うーん。自分はクレープの画像をツイートしてしまうようなゆるふわな女では…いや、そうなのか…?」

ダ「わかった。決断しよう。ツイートする。自分の殻を破り自己を拡張するということは手を汚すということなのだ。」
ナ「スイーツの画像をツイートすることは罪ではない。決断を誇ることだ。」

ダ「ツイートした。いただこう。」

実食。

ナ「どうだった?」
ダ「結論から言うと美味しかった。(笑顔)」
ナ「それはよかった。」

ナ「君はクレープひとつ食べるにしてもそこに至る哲学を構築しようとするのだな。」
ダ「哲学というほどちゃんとしたものではない。」
ナ「今回の一連の行事は楽しかった。
俺は君の生き様が大好きだ。」
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