Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

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19120802
アイデア練り。

二次元美少女に対して踏みとどまるという着想と社会性との交差点を探る。
意外と難しくないのかもしれない。経済格差に着眼するのは悪手だったけど別の角度なら。
つまり、分断だ。世界中で起きてる。右翼(仮称)と左翼(仮称)の分断。ネトウヨとリベラルと言いたいがこの場合ネトウヨは蔑称でリベラルは美称(だと私はみなしている)なのでフェアではない。
要するに「自分と異なる意見には触れることすら無い」ということだ。私にも言えることだが。

現在の社会にこじつけるなら安倍政権の高い支持率を問題視してそこに政権と自己同一化してるネトウヨが悪いみたいな主張を持ってくることになるんだろうけど、これは私が自民党が嫌いだからでマンガに乗せる主張としてはフェアではないというか偏ってる。

雑にしないでちゃんとした主張にすべきだ。

分断の話題といえばアメリカ、トランプ大統領が加速させた社会的分断が思い浮かぶ。
んだけどアメリカを念頭に置いた話にすると対岸の火事化する。我々が当事者になっている問題に手を伸ばすべきだ。

二次元美少女への同化というのは他者の拒絶。他者の拒絶なら現代社会の身近な問題ではなかったかな。ええと…

これは自分(主人公)自身の問題とつながるな。
他者というのは自分を必ずしも暖かく受け入れてくれない存在。他者のいる世界とは自分が必ずしも尊重されない世界。自分はどこに行っても尊重させるべき価値のある存在だというのが揺りかご的自己認識で、そうではないという自分の矮小さを受け入れることが成長。主人公は作中で成長する。他者の集まりである世界における自分の正しい認識を得るということだ。

主人公は作中で自分の矮小さを受け入れることで成長する。
解決すべき問題とはなにか。
他者と遭遇するのが怖いから他者の存在しない世界を作ろうという碇ゲンドウ的動きがあり、それを止める。
現代社会の問題にするなら… 表現の自由のトピックじゃないか。自分にとって不快な表現を禁止させようという動きをする勢力がいる。これは社会の価値観を自分に居心地のいいもので一本化しようという動き。つまり他者の存在を許さないという衝動。
不寛容を動機とした公的な動きがあり、それが解決すべき問題。
現代で起きてる問題で言うと… うーん。
日々のニュースをチェックする際にこの視点を持っておこう。

ちょっと別のことを考えたいので区切ろう。
| マンガについての考えごと | 18:52 | - | - | permalink |
19120704
なんか考えよう。デスストの次にやるゲームを物色してたんだけど特にやりたいのがないのでゲームモードから離脱してアウトプットを試みよう。

候補。
* シャニマスマンガの続き
* オリジナルで1ページギャグもの(既存シリーズでも新規でもいい)
* 次の創作短編のアイデア出し
* 好きなえろまんが作品のファンアート

アイデア出しは時間かかるし、思いついてる分を吐き出してしまうと次の思いつきが溜まるまで前に進めない状態になるからこれをベースにするのが良さそうだな。
GitHub使った考え事を始めるか。


シャニマスをちょこちょこ描けるとマンガ描いてる感を感じられて良さそうだな。ネタあるかな。ストレイライトの三人以外を描くべきな気がする。白瀬咲耶さんに興味ある。
| マンガについての考えごと | 00:44 | - | - | permalink |
19120701
デスストランディングをクリアしたのでモードがニュートラルになった。
考え事をして次の動きを構想しよう。

仕事はまだ繁忙期で相変わらず残業しているが峠は超えた感じでウゲーウゲーというテンションではない。
自宅から原付きで通える距離で募集があった社内SEの求人は応募だけした。現在書類選考中みたい。期待しないで待つ。
「自宅から原付きで通える距離の社内SE」という募集は多少レアだけど無いことはなく、グラブルで言うならSSRではなくSRくらい。なので応募中のが落ちたとしても今後もちょこちょこ探していこうかな。通勤時間が片道で1時間短縮できれば週で自由時間が10時間も増えることになる。ぜひ達成したい。


デスストの感想。
道を切り開いてインフラを整えていくというゲーム性はとても良かった。
ミュールやテロリストやBTとの戦闘要素はだるいのでなくてよかった。
終盤、やたらと戦闘がはいるのはうざったかった。
終盤、アメリやダイハードマンの話はどうでもいい感じだったので省くか、かかる時間を9割ほど短縮してほしかった。
最後の最後のBB関連のオチは良かった。
余計なストーリー要素を削って「道を切り開く」「すでに切り開いたエリアのインフラを整えて快適度を向上させる」というゲーム性を伸ばせばひとつの新ジャンルにできるんじゃないかと感じた。


デスストの次にやるゲームとして最近発売されたシタデルに興味があったので買ったんだけどこれは私には合わなかったようで2時間位遊んでアンインストールしてしまった。一人称視点魔法使いゲームというのは申し分ないんだけどサンドボックスゲームなのは私には合わないみたい。マイクラとかやっていられないタチなので。


マンガの考え事。
最近いい刺激があった。大塚英志氏の著作『感情天皇論』を読んだこと。



大塚英志氏の著作はほとんど読んでしまい、新しいのが出るたびに読んでる。


大塚英志氏がマンガ・アニメといった物語を読み解くとき、その着眼点は一貫している。
キーワードは「近代」「他者」「胎内回帰」など。

つまり、物語を通して作者が「理解不能な他者」と対峙することから逃げずにそれを成し遂げ、他者と対話することで「近代的個人として成長する」ことを良しとしている。
自分を無条件に受け入れてくれるような他者性のない慈母的存在に包まれ、その胎内に回帰するオチになっていたらそれに対しては批判する。
この態度が一貫している。

だから、宮崎駿の『崖の上のポニョ』は特に「失敗」として槍玉に挙げられる。羊水の比喩として取れるような母なる海で満たされた世界で母からあてがわれた嫁をもらって終わりというオチで、「他者性のない相手と一体化」「胎内回帰」そのものだからだ。

じゃあ大塚英志が「こういうのが見本だ」といってあげている作品は何かというと、これまで氏の著作を何冊も読んできたんだけど思い当たるものがない。挙げたことがないんじゃないか。つまり、大塚英志の評価軸に沿った作品はほぼ(少なくとも現代の作品には)ないんじゃないか。

で、「大塚英志の評価軸ってのはよっぽど異常なんだな!」と感じるかもしれないけど、私がいいたいのはそうではなく、私も大塚英志の評価軸にかなり賛同しているということだ。
だけど今まで描いてきているマンガが氏の評価軸に沿っているかと言うと必ずしもそうではない。

この評価軸、要は「成長を忌避して甘えたままでいるな」ということだ。
自分を無条件に愛し受け入れて優しく包んでくれる揺りかご(魅力的な異性キャラであることが多い)を求め、そこにとどまり続けたいという願望があり、しかしそれではダメだという問題意識がある。「それではだめだ」と踏みとどまることを評価して、なんだかんだカッコつけてごまかしつつ揺りかごの世界に安住することを失敗とする。

マンガやアニメにおいては具体的には美少女キャラに問題が集約する。
主人公の男性に無条件で惚れて味方になって愛してくれるような美少女キャラ。これが「他者性のない」「胎内回帰先」の典型になる。
だからそれに対していかに踏みとどまるのかということが課題になる。
私が描いてきたマンガではあんまり踏みとどまれていない。
一応、若い頃の作品と最近の作品とで比較すると、主人公(自分の分身)とヒロインたちとの心の距離感が多少離れてきてはいる。FEZマンガ(2007年)ではヒロインは主人公を愛しているというテイで描いてた。魔王バラーでのえりかさんもバラーを愛しているという形だった(2008年ごろ)。

最近のマンガではヒロインと主人公との間で恋愛的な関係は明示されてない。かと言って否定もされてないから留保されていると言った感じ。
シャニマスマンガでも艦これマンガでも、美少女たちは主人公(自分の分身)と概ね良好な関係ではあるけどスキスキといったノリではないようにしてる。だからむしろニコニコ静画のコメントで「イチャイチャが足りない」と書かれたりする。これは一応私なりに「踏みとどまろう」としていることの反映だ。

オリジナル漫画なら、邪竜の翼シリーズではヒロインのピンナとナカヨシとは恋愛的な話はさせていない。これは踏みとどまり。
ヒーローズアンドヴィランズではちょっと踏みとどまりが足りない気がする。ヒロインのマーメイドと主人公のナカヨシとはちょっと感情の距離が近い。



今後の課題。
主人公をちゃんと成長させる。
私は「キャラが変化するのが好きではないので成長など描かなくてもいいのだ」という立場が長かった。
でも成長を描くべきだという意識はあった。
少し前に見出したコツが「成長とはその人物本来の姿に近づくことだ」というもので、邪竜の翼2でのナカヨシにはこの要素の導入を試みた。

以前「主人公自身は成長しない(ぶれない)で、周囲に成長をもたらす」というのをポリシーにすればいいやと考えていたことがある。
なんだけど、これは自分の成長の拒絶を正当化するための詭弁に過ぎないんだなと自覚した。大塚英志氏の『感情天皇論』にまさにそういう指摘がある。著作の中でいくつかの小説に触れてるんだけど、男性作家が女性登場人物の成長を手助けするというパターンを共通して見出していて、「男性による女性の成長促し欲」という「よくある傾向」として指摘している。これは自分が成長しないでいることをごまかすための詭弁だとそれで気づいた。

ああ思い出した。大塚英志が評価している作品、というかシーン。
劇場版『エヴァンゲリオン まごころを君に』のラストシーン。人類補完計画で人類が溶け合った世界においてシンジは溶けずに個人としている。で、同じく個人として存在してるアスカの首を絞めるんだけど、アスカからは「気持ち悪い」と拒絶させる。このシーン。
ひとつに溶け合うこと(他者性の消滅に身を委ねる)ことに対して踏みとどまったのが評価される。
アスカがシンジを「気持ち悪い」と拒絶したことが評価される。ここではシンジにとってアスカは「他者」なのだ。

だからそういうことだ。マンガを描く際、甘いキャンディのような異性キャラは魅力的であるというかマンガを描く魅力の最大の構成要素はそれだ。しかし、それに対して踏みとどまることに、より上位の価値を感じる。しかし困難である。

可愛い女の子に愛されるマンガ描きたいなら描けばいいじゃんという話なんだけど、そういうマンガ描きたいかと言うとちょっと違う。やはり「こういうのを目指したい」というのを考えるときは高尚な頭が働く。だからここでも頭と感情のせめぎあいがあるのかな。頭では大塚英志的な価値基準のちからが強く、実際に描くときにモチベーションを刺激するのは美少女キャラによる甘やかし要素である。うーん。

話が散らばってきた。フォーカスを整理すると主人公を成長させるということ。
* ちゃんと変化する
* 私にとっての成長のイメージは「認めたくない自分を認める」ということ。ケガレの受容
* 慈母的美少女の胎内への回帰欲望に抗う

ということは私は「美しい愛」よりは「しんどい非愛」を描くべきだというのが理屈上での結論になるな。
そうかもしれない。

「愛」とか「好きという感情」なんかは、一種の銃弾というか攻撃の意味があると思う。
それを受ける側にポジティブなものだけでなくしんどさももたらす。
感情によっては執着化してトラブルの原因になる。
薬(毒)のようなものだ。

だから二次元キャラとかアイドルとかはそれらを受け止めるサンドバッグやデコイとしての役割があると思う。(だからここではアイドルは中の人とは切り離された虚像であるべきだという立場)
実体がないから攻撃を受けてもダメージを受ける本体がいない。残像拳とか身代わりの術のようなものだ。
現実世界の人間が現実世界の人間しか好きになれないなら好きのもたらす毒がもっといろいろな害悪の原因になるはずだ。

親子や家族の間には自然な愛情はあるべきで、安定した愛情のある環境が人間の基本的な世界観の形成には必要なのでこれと上記の「好き毒」とは別の話。だから私が毒視しているのは仏教でいうところの愛欲なのかな。

そうだな。「愛毒」の概念と「美少女への踏みとどまり」とは軸を通せば一貫性がある。むしろ「愛は素晴らしい」という主張のほうが通俗的(世間ではそうされているからそう思う)みたいな位置づけだ自分の場合。

この路線で考えてアイデア出せないかな。

---

映画なんかを見ていてもくっつきそうでくっつていない男女がいるとして、エイヤッでキスとかしてくっついてしまうシーンになるとがっかりしてしまう。つまり私自身すでに「恋愛はオミットされてるほうがいい」という価値観を強めに持っているということだな。
恋愛小説的恋愛要素で最近感動したものあったかな…? ぱっとは思いつかない。個人と個人とが作中で恋愛的に求め合う時、「いや嘘だろ」とか「個人と個人とは別の主体なんだから委ね合うように求め合うのは無理だろ」みたいに感じていることのほうが多い。そっちに重心を持つべきなのだ。
なんだけど、フィクションなんだから嘘でいいんだなうーん。えろまんがなんかは好き感情があったほうが私は好きだ。あれは割り切って読んでる分野だからだろうか。うーん。
| マンガについての考えごと | 12:16 | - | - | permalink |
19120102
マンガの考え事も少し。

着想。
なろう系小説を読んでいるわけではないんだけど自分の持ってるなろう系小説についての先入観がヒントになって出てきたもの。なのでなろう系小説についての知識が間違っていても勘弁してほしい。というのが前置き。
なろう系小説でのファンタジー観は基本的にドラクエやFFのようなゲームのシステムを持っていることが暗黙の了解になってる。
ソードアート・オンラインでは、最初に主人公が閉じ込められるのはまさにゲームの中だったからレベルとかステータスとかのゲームシステムがあるのに違和感はなかったけど、その後出てきた作品では割と「そこはゲームの世界の中である」という断りなしに、ファンタジー世界がクエストやステータスやレベルというゲームシステムを持っているものとして描かれているように感じる。

で、これを逆手に取る。主人公が事故にあって転生するんだけど転生先は現実世界。「あれ、事故ったのは夢だったのかな」と思っていると自分の知ってる現実世界とちょっと違う。世界は現実なんだけどゲームシステムがあることが前提になっている世界で、ステータスやレベルがあり、転職には必要ステータスや消費ポイントがあったりする。
ゲームシステムが当然のものとして世界に組み込まれるのは本来おかしいんじゃないのという異化の効果を狙う。
で、主人公はゲームシステム(世界を支配するシステム)に抗ってもいいし、システムを逆手に取ってもいいし、ゲームシステム自体は実は現実に実際に行われていることを可視化しているのに過ぎなくて現実はこんなに抑圧されているんだということを風刺として描いてもいい。そこはまだ着想なし。


もう一個なんか書いておきたい考え事の種があったように思うんだけど忘れてしまった。思い出したら書こう。

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思い出した。マンガに男性キャラを複数出す工夫を考えたいんだった。でもこんな時間なんで今度にしよう。
今脳内にあるヒントだけ列挙。
* 自分の人格を分与する。つまりどのキャラも切り取り方が違うだけで自分の分身
* 各キャラには異なる役割が割り振られるので「かぶる」ということはない。ナカヨシが複数になるだけなんじゃないのと感じるが、仮にそうだとしても「主人公のナカヨシ」「味方キャラの脇役ナカヨシ」「敵対者ナカヨシ」「ライバルキャラとしてのナカヨシ」など、役割が違えば出てくる面も違ってくる。そして、全く同一の役割のキャラがひとつの作品に複数出てくることはまず無い(意味がないのでひとりに統合しちゃうため)
| マンガについての考えごと | 21:24 | - | - | permalink |
19112301
残業こそ続いているが精神は通常の状態に戻ってきた。
精神に余裕が出て初めてマンガに脳が割けるようになる。
マンガのことを考えよう。

ふたつ。

1.
小島プロのゲーム作品『デス・ストランディング』をプレイしている。当初あんまり面白く感じなくてプレイやめようかと思ってたんだけど船に乗ってレイクノットシティに着いたあたりから面白くなってきた。
この作品では「物を運ぶ」という現実世界ではありふれたアクションが神聖化されている。物を運ぶことが偉大で尊い事業になっている。そのために世界が分断されてたり移動が困難だったりするようなSF設定が整えられている。
この作品を通して、現実世界での配送業にも偉大さを感じるようになりつつある。現実世界の見え方に良い影響を与える作品だ。
デスストの手法を応用すれば現実世界にあるありふれたアクションを魅力的に感じさせるようにできるだろう。「家事」「介護」「ガチャ爆死」など。
デスストから、現実世界でのアクションをテーマ・出発点にして作品を作るという手法を学べる。
応用できないかな。仮に私がタクシー運転手に転職したら「人を運ぶ」ということをテーマにしたマンガが考えられるかもしれない。映画だとタクシードライバーや運び屋が主人公というのは結構ある。運転手はプログラマよりも物語向きの職業なのだ。ひとを運ぶなら自動車でなくてもいいし運ぶのは人でなくてもいい。

2.
涙腺が緩い。
中年になってから、というともう10年くらい経つ気もする。最近というほど最近の現象ではない。
知ってる歌を口ずさんでても歌詞に感動して涙腺に来たりする。
デスストでもBB(赤ちゃん)をあやすアクションをすると泣けてきたりする。
マンガや映画で父親がこどもや妻に向かって「絶対に守ってやるからな」というシーンがあるとたいてい涙腺に来る。このブログのこの行を書いてるだけで涙腺が緩んでいる。
そういう、自分が涙腺を刺激される場面を核にしてマンガを作れないか。「父親が我が子の赤子に『守ってやるからな』という場面」が中央に来るだろうな。
| マンガについての考えごと | 17:16 | - | - | permalink |
19111801
転職考え事続き。
岡田斗司夫氏は自身の悩み相談でこういう事を言っていた。
悩んだら個々の問題に分解してみる。手を打つことが可能な問題と不可能な問題とが混ざってごっちゃになって考えている時、それが悩みになる。個々の問題自体は手を打つのが簡単であったりする。
たとえば「部屋が寒い」「なぜ人類は環境を破壊するのか」という2つの問題を混ぜて考えてしまうとする。
前者に打つ手は暖房を入れること。
後者には手を打てない。
混ぜて考えている限り答えが出ない。分けて考えることで暖房を入れてスッキリできる。

現在の自分の問題。
* 仕事が繁忙期で残業が続くだろうという見通し
 →仕方ない。残業して対応する。一時間が基本で、一日あたりの残業時間が二時間を超えると経験上体を壊す確率が跳ね上がるのでそれはなるべく避ける。
 →マンガを描く余力についてはなくても構わない。
 →ストレス解消のために工夫する。甘いもの食べるとか。
* 職場の人間関係
 →今は忙しくてみんな精神に余裕がない。
 →基本的に衝突があると覚悟すべきで、一時的なものだと諦める
 →険悪な結果を引きずらないこと
* 職場が遠い
 →今に限ったことじゃないし気にならない時期もある
 →射程範囲の遠い問題
 →これにとらわれているのが悩みの原因
* 転職願望がある
 →今に限ったことじゃないし気にならない時期もある
 →射程範囲の遠い問題
 →これにとらわれているのが悩みの原因


射程範囲の近い問題と遠い問題があり、ごっちゃになって考えているのが原因。
直近の問題に対処することだけ考えると、「体を壊さないように残業する」。以上、となりシンプルな結論だ。
しばらく人生の我慢の局面だ。

---

この繁忙期をなんとか乗り越えつつ、「この会社で続けていけるのか」「この職種で続けていけるのか」を考えていき、繁忙期が終わる頃に暫定の結論を得よう。
転職意識がフェードアウトしていくなら継続。
「会社は無理だけど職種は大丈夫」なら同職種で転職活動。
「職種も無理」なら別職種で転職活動。
一旦の方針。

| マンガについての考えごと | 06:51 | - | - | permalink |
19111401
なんか考えよう。
シャニマスネタはスタートダッシュが終わったらしく浮かばなくなったので一旦離れよう。シナリオやカードが増えてまたネタが浮かぶようなら描けばいいしそうでないならそれはそれでいい。

二次創作描こうというつもりでゲームをやるとマンガに描くことが第一でゲーム自体を楽しんでないなと感じた。

自分は趣味がマンガを描くというアウトプットに寄っていて、インプットなり、自分が純粋に楽しむための趣味が不足してるなと感じる。
映画を見るのも趣味だけどこれもたのしみというよりは教養のために見ておこうという動機でチョイスすることが多い。「マンガの役に立つ」以外のものさしが弱い。

理想を言えば健康のためにいい運動になるような趣味を見つけられるといいんだけど、しかし趣味とは生活習慣に組み込まれるもので、生活リズムはもう出来上がっているので新しい要素を追加できる空きはない。土日は調子が良ければマンガに費やしたいし、マンガのアイデアが浮かばなければ… 映画見たりしてるな。マンガのネタが浮かばないモードの時のインプットの選択肢として運動が入ると良い。

自然が好きなので体力に自信があれば登山がいいんだろうけど体力には自信がないし朝早く山に行って登るとかそういうリズムがめんどくさく感じる。

最寄りの駅にバッティングセンターとかできるといいんだけどなあ。

リングフィットアドヴェンチャーが店頭に復活したら買おう。

二次創作離れて創作マンガのアイデア探しを始めねば。
しかし現状ではなにも浮かんでない。
| マンガについての考えごと | 00:18 | - | - | permalink |
19110901
しばらくなかなか順調にシャニマスマンガが描けていたんだけどネタが尽きて勢いがストップしたので作戦会議。

そういえば少年漫画『鬼滅の刃』を単行本が発売してる分全部読んだ。とても面白い。主人公の竈門炭治郎くんが優しい性格なのがとても良い。
ただ、結局敵はひとりの個人(鬼舞辻無残)でしかなく、現実世界のなにかの象徴だとか言うことはないので少年漫画のエンターテイメントってのはそういうもんだよねというのは感じた。

私はマンガ描き始めてから当初は少年ジャンプの思考の枠組みだったらから悪役っていうのは基本的に性格が歪んだ個人にすぎないという認識がスタート地点にあった。鬼滅の刃はその路線だなと感じる。

おとなになって映画を見たり映画の解説を聞いたりするようになって悪役に現実世界での問題や恐怖を象徴させるという手法を知って自分にはそっちのほうが合ってるなとは感じる。

鬼滅の刃の好きなところは優しさという価値が尊いものとして描かれていることで、主人公の竈門炭治郎くんがそれをキッチリ担っているし天狗の仮面の師匠や冨岡さんも構成員。禰豆子ちゃんが人食ったら腹切って死にますの手紙のところが特に良かった。
あとやっぱり少年漫画的なアクション超能力周りがたのしい。私はてんびん座の生まれなので属性では基本的には風が好きなんだけど鬼滅の刃では水の呼吸の各種技がお気に入り。特に「伍ノ型 干天の慈雨」がよい。詠春拳にも通ずる柔らかくて優しい剣術であるところが好きだ。




アイドルマスターシャイニーカラーズのことを考えよう。

ストレイライトの三人についての現状の認識を整理する。

## あさひさん
* ひとに話しかける趣味というのは面白いものを探す情報収集
* 群れずに行動するタイプだが寂しがり屋でもある
* 森行ったら棒とかどんぐりとか拾ってそう
* ひとりで突っ走ってしまい気づいたら一人ぼっちというのがパターン
* 自由と寂しさという組合せ
* だから存分に自由を発揮して、いつもだったら気づくと一人ぼっちという状況において、気づいたら付いてきてくれてる仲間がいて安心するというのが描けたらいいんじゃないか

## 冬優子さん
* マンガでは本性サイドばかり出てくるのでカワイイサイドも描いてあげたい
* ストレイライト以外の所属アイドルの前でも猫かぶりモードらしいのでそれを尊重して描いてあげたいけど他アイドル描くのがめんどくさい
* 人工的なかわいいふゆ像を頑張って作り込んでるはずなのでそれを評価してあげたい

## 愛依ちゃん
* ゲーム内イラストのいくつかが自分的にツボって三人の中で最推しに昇格した
* 感じている魅力の属性は「セクシーさ」なので、アイドルなのにも関わらず現状ではえっちなコンテンツが欲しいという感情
* 私は別にギャル好き属性も褐色好き属性もなかったはずなんだけど最近好きになるキャラが褐色とかギャルが多い。理由はよくわからない。
* やっぱりあさひさんと冬優子さんに比べてキャラが薄いのでテコ入れしてあげたいけど未だに愛依ちゃんの核の部分をつかめていない
* 人柄の良さに魅力を感じるというのはある。だから肉体のセクシーさだけでなくて性格にも魅力を感じているのは事実
* ネット上で見つかる人気投票では今のところシャニマスで最下位らしい。愛依ちゃんの魅力を抽出してプレゼンするようなマンガが描けると良さそうなんだけど

すると課題。
* あさひさん:いつもなら一人ぼっちである自分を発見するようなシチュエーションにおいて付いてきてくれている仲間を発見する
* ふゆこさん:進化したふゆ像をプロデューサーが評価する
* 愛依ちゃん:愛依ちゃんの魅力が読者に伝わって愛依ちゃんファンが増えるようなネタを描く


愛依ちゃん推しなので愛依ちゃんネタを考えよう。
その魅力とは…
セクシーさ? 気さくさ、人柄の良さ? そのあわせ技? うーん…
ファンはちょろいので、愛依ちゃんがプロデューサーに恋してる的な描写をすると効果はありそうなんだけど、その属性は千雪さんと凛世ちゃんが持ってるので愛依ちゃんにやらせても取ってつけた感があるな。

うーん。
あさひさんと冬優子さんが険悪なムードになった際にそれを緩和させる能力がある。うーん。

いやまった。別に魅力を描く必要はない。ただ描けば良い。なにが受けるかわからないので情報が増えるだけで良いのだ。だから読まれた際に読者に及ぼす効果を狙って描くのではなくそのキャラに基づいたネタを導き出すという普通の発想法の方をとるべきだ。

あー
愛依ちゃん弟と妹がいるな。お姉ちゃんキャラか。長女だろうか。
冬優子ちゃんがお姉さんのような役目になっている。愛依さん的にはそこに癒やされるのではないか。
あさひさんは弟や妹に対するように面倒を見ているんじゃないか。

愛依ちゃんは友だちが多い。これはあさひさんとは対照的ではないか。あさひさんはものすごく狭い人間関係で生きてる気がする。愛依ちゃんは際限ない人脈の広がりがありそう。弟の友達とか妹の友達のお母さんとか近所のおばさんの息子さんとか。人脈のハブ的な。
冬優子さんは猫かぶりで接している相手と本性で接している相手で内外の別があるはず。猫かぶりで接している相手(外様)については数も多いだろうけど人間関係としてカウントされていないんじゃないか。本性で接している相手(譜代)については心のカーテンを突破してきた分だけ信頼が厚いけど人数がすごく限られていると思う。だから血液型A型じゃないか? …設定調べたらA型だ。やはり。

すると人脈の広さでは愛依ちゃん>冬優子さん>あさひさんの順になると思う。ネタになるかな?
あさひさん:普通に友だちが少ない。あさひさんの個性について来られる人間が限られているため。友だち間で階層(うわべだけ/ほんとうの、のような)はない。
冬優子さん:友達の人数自体は多い。しかし友だちには譜代と外様があり、自分の本性を見せている譜代友だちが本当の友達で、こっちは人数が少ない。
愛依ちゃん:友達の数は多い。友だちに限らず近所付き合いとか人のつながりが多そう。しかも裏表なく、上辺だけ繕った関係の相手というのはいなさそう。人間関係力がある。

しかし友だちが多いことはキャラの魅力には繋がりにくいか。

あー

愛依ちゃん家族構成ネタを出したいが弟と妹がいることがわかるだけで上の兄弟がいるかどうかわからないのでなんとも言えないな。


歌詞でネタを考えてみるかな。
ストレイライトのテーマ曲(らしい)Wandaring Dream Chaser にの歌詞(引用元)。

二番の歌詞が興味惹かれる。

時代を巻き込むくらい ほとばしるCrazy
強引なNaked heart さらけ出すよ
中途半端じゃなくて 思いのままに暴れたい
失うものがあっても We'll be alright

歪んだ光だって 重なり研ぎ澄まされ
未来 照らし出せる チカラになるから


ほとばしるクレイジー。狂気要素がある。
歪んだ光。ストレイライト(迷光)のことだろう。これも狂気要素だ。
失うものがあっても。冬優子さんの猫かぶりが剥がれることを暗示しているんだろうか。

西洋美術史の用語で言うなら「バロック」が該当すると思う。「歪んだ真珠」を意味するポルトガル語が語源という説が有力なあれ。いびつさの概念を含む美的感覚だ。
ストレイライトのいびつさとはなんだ?
いびつなアイドルということは王道ではないということだ。
ストレイライトは「アイドルをアバターとして身にまとう」というコンセプトを持っているから虚像であることを隠していない。それがいびつさだと言えるのではないか。すると「失うもの」は「虚像であるを開き直ることで失われるもの」であるとも言える。

うーん。

狂気と歪み。
あさひさんはナチュラルにズレてるところがあるからそれが狂気だと言っていい気がする。
愛依ちゃんはあがり症をごまかすためにミステリアスキャラを装ってる。これが歪みだと言えるのではないか。
冬優子さんは猫かぶりキャラでアイドル像を作っている。これも歪み。
「歪み」じゃないな「歪んだ光」だ。真実の姿ではない別の姿が投射されてくるから歪んだ光なんだろう。
「真実の姿」があるとして(仏教的に考えれば諸法無我なのでそんなものはないんだけど)、しかしその物体を見るために得られる反射光がその物体の本当の姿から離れている場合「歪んだ光」だと言えると思う。だから本人とそのアイドルとしてのアバターとの差分を歪んだ光と表現してるのかな。

うーん。

煮詰まっている。区切ろう。
| マンガについての考えごと | 22:17 | - | - | permalink |
19102001
アイドルマスターシャイニーカラーズ、目指していた芹沢あさひさんでの本編(W.I.N.G.)クリアに成功した。
期間限定イベントだったストレイライト.ランのシナリオもシナリオ開放アイテム使って全部読めたので、あさひさんについてのゲーム内での基本的な知識はおさえられたはず。

あとはだから二次創作で描いたものが私にとってのシャニマスの本編になると。

どうせ一次創作でも二次創作でも需要なんか気にせず描いているのでシャニマスマンガももっと遠慮せず描きたいものを描くべきな気がする。
何を描きたいのかと言うと「アイドルについて自分はこう思う」というモノが多いので、つまりせっかく二次創作なのに作中のキャラたちよりも作者である自分(プロデューサー)が発言したいという欲求が強い。なので、二次創作といえばキャラクターが魅力的に描かれたのがみんな読みたいだろうけど(私もそうだけど)、でも気にせず理屈っぽい内容のを描いてしまうべきだと。



語りたいトピックが2つある。
ひとつめ。あさひさんが作中で「トップアイドルになったとして、その先に何があるんすかね?」的な疑問を抱く。パフォーマンスを極めてアイドルの頂点に上り詰めたとしてじゃあその先はという疑問。これは本編シナリオ読み進んでも特に結論が出てくるわけではない。「探していこうな」「きっと見つかるよ」みたいな落としどころじゃなかったかな。
これは芸術全般に言えることで、例えば「絵がうまくなりたい」という欲求があるとする。神絵師になりたいと。では神絵師になってどうする?
プロのマンガ家になりたいとする。デビューして売れっ子になったとして、その次は?
目標をパーセンテージで表現できるものに設定してしまうと100%になった時点で終わってしまう。あさひさんはリハーサルが嫌いという話をするときにも「もう完璧に踊れるダンスを何度もやらされて意味がない」というこという。100%という想定があるのだ。

アイドルを極めた先、自分の意見はこうだぞというのを描きたい。これ実は1ページで描けるんじゃないか。さっさと描いてさっさと次のネタに行ったほうがいいな。
芸術の目的というのは究極的には「世界を良くすること」なので世界が良くなる度合いを無限に拡大していけば終わりがないとかそういう話がしたい。

ふたつめ。あさひさんのいる三人組ユニット「ストレイライト」には「虚構-実像」という軸があって面白い。
つまり、猫かぶりキャラである黛(まゆずみ)冬優子さんは完全に「アイドルとしてのキャラ」を作っている。素の自分は嫌われると考えている。
対照的にあさひさんはどこに行っても完全に素のままで、しかし現実感覚が薄いから素のままの姿が一種妖精的なキャラになっている。キャラを作って本当の自分を押し隠して我慢してまでアイドルやるならそんなものに意味はないと考えている。
ギャルの和泉愛依(めい)さんは虚構・実像の要素の角度がちょっと違って、極度のあがり症であるために本番に弱い。そこでなるべくセリフを言わなくて済むように無口でミステリアスなキャラでアイドルをやっている。素の自分が嫌いということではなく、自分の弱点を補うための工夫として虚構のキャラを利用している。

虚構の取り入れ方は各人の作風だと思うというのを描きたい。
マンガでも、私なんかは常に自分の投影が主人公じゃないと描けない。自分に寄せたところに作風がある。
一方で作中世界と作者とが切り離された作風の人もたくさんいる。虚構を作り上げるということだ。
だから冬優子さんの猫かぶりは作風なのだ。彫刻家が彫像を掘るように冬優子さんは虚構のアイドルキャラ「ふゆ」を構築している。なので、冬優子さんの向上の方向は「素を出していくこと」ではなく「キャラの構築度を洗練させること」であるべきだ。とかそういう話をしたい。

愛依さんの弱点補い工夫の話をもっと敷衍できないかな。そこも考えよう。
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19101501
アイドルマスターシャイニーカラーズのマンガを描き始めた。








まだろくにゲームやってないのにいきなりマンガ描いて良いのかというと、まだろくにゲームやってないのにいきなりマンガ描いていいのだ。

しばらくシャニマスでマンガを描きたいのでここでそれにあたってのスタンスを整理しておきたい。

私の学びでは艦これやアイマスと言った美少女キャラがたくさん出る作品の二次創作にはそのキャラたちだけを出すべきで作者固有の要素であるアバター(提督やプロデューサー)は出ないほうが良い。
つまり、作者固有の要素が出ずに作品世界そのものを匿名的に充実させていくような作品のほうが需要があるし受けも良い。作者固有の要素はノイズになり、読者が見たいものと逆らう方向に働く。
なので、んなこと知ったことかというスタンスで行きたい。ノイズがない=匿名的=誰が描いても良い(自分が描かなくても良い)ということなのだ。

私は芹沢あさひさんに興味を持ってシャニマスを始めたんだけど、同ユニットのメンバーである冬優子さんや和泉愛依さんにも興味が出てきた。
あさひさんは天才肌なんだけど、あの世間とか常識とか需要とか気にしないでひたすら「芸の高み」のみ目指す姿勢にシンパシーを感じる。ひとの話を聞かないところとか。
例えばあさひさんとの会話は2歩先で返すとペースが合う気がする。

あさひさんから語りかけがある。「今日はいい天気っすね!」
その内容を受け止める。(ああ、そうだな)
その内容を理解する。(天気の良さに言及したということは外出に興味が向いてるんだな)
その理解した内容をもとに次のステップに進んだ話題を見出す。(そういえば以前見たがっていたヒーローショーは前回は雨天中止で見られなかったど今なら見られるはずだな)

「今日は例のヒーローショーは駅前のショッピングモールの屋上でやってるぞ」

こういう感じ。

と、いうことは私がアイマスや艦これで描きたい内容は「自分が彼女たちとどう関わりたいか」というものなんだな。自分があの世界の登場人物になったとして、彼女たちとお話したり仲良くなったりしたい。その欲望がベースにある。
あさひさんはエキセントリックな性格と圧倒的なスペックで周囲を置いてけぼりにする。気づいたら孤独になっていたというタイプらしい。そこを埋めるのがストレイライトのユニットなんだろうけどプロデューサーである私も「似た性格なのでわかる」的なのを発揮して独自のアプローチができたら面白いと感じる。その辺を意識しようかな。

スタート地点となる抱負はそんな感じ。あとはゲームの知識付けつつネタが浮かぶのを期待しよう。
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