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19112101
昨日の所感。
職種を変えるべき:0pt
職種を維持して職場だけ変えるべき:0pt
今の仕事でもやってけそう:+1pt

行動の意思決定をするのは私の場合思考ではなく感情なので、ここで理屈で考えて結論を出して決断し行動しなければならないわけではなく感情がしきい値を超えたら自然に行動するだろう、という着想を得てなんだか少し気が楽になった。
それともここ二日間は仕事が比較的穏やかだったから多少気持ちに余裕が生まれただけかもしれない。
| 雑記 | 07:18 | - | - | permalink |
19111902
心が寂しいのでテレビでも見るか!と思ってニチアサと金ロー以外でめったに見ないテレビをつけたらNHKのクローズアップ現代で車上生活者の取材をやっていたので見ていた。
今の日本は些細なきっかけで誰でも貧困に転落すると思っている。他人事ではない。
で、27歳で元製造工だった人が取材されていて、彼は今の生活から抜け出すためにプログラミングを勉強していた。そう、プログラミングってそういう位置づけだよなあ。
手に職!と考えた時の有力選択肢になる。

自分は一応プログラミングという領域では「手に職がついている」と言えるんだな。だから今は比較的生活が安定している。しかしうーん。職業上の不安が消えるわけではない。でもスペイン人だったら不安を感じないかもしれない。なんか私の中で脳内スペイン人が育ってきた。スペインのどこ在住っていう設定にしようかな。聖地モンセラットか、オレンジジュースの美味しかったバレンシアか、バルセロナからちょっと離れた労働者のための村か… スペイン行っといてよかったな。

高齢者で貧困に陥っている人は「ドライバーだったけど職を失って」というパターンが多い気がする。さっきクローズアップ現代で取材を受けていた60代後半の男性もそうだった。
しかし、だからドライバーが仕事として不安定ということでもないか。20年後には「プログラマ/システムエンジニア/Webデザイナだったが仕事を失って」というケースがバンバンでてくるかもしれない。そういう仕事は三十年前にはほぼなかったんだから、我々世代が高齢者になってみないとどういう位置づけになるかはわからない。

あー

せっかく考え事がノッているのでもうちょっとなんか書くか。
職業観を更新しなくてはというテーマ。
私は独身でこどももいないので精神がおとなになりきれていないと思う。だから若い頃の延長線上で特にモードが切り替わらずに精神が継続している。
で、子供の頃の職業についての考えというのは上昇志向だ。
* これこれになりたい
* これこれがしたい
* これこれができるようになりたい
* こういう仕事がしたい
* 仕事を通してこういうことを達成したい
みたいな。
「将来マンガ家になる!」「いつか名作ゲームを作る!」「映画作りに関わる!」みたいな。

しかし、十何年も労働してきて、職業にそういう上昇を求めなくなった。仕事にポジティブな期待を抱く余地がなくなったと。
なんだけど、転職時に求められる志望動機って基本的に上昇系じゃないだろうか。
今後は上昇を念頭に置いた転職はありえないと思う。「成功したい」「いつか成功したい」「いつかの成功のためにこれを身に着けたい」「いつかの成功のための第一段階としてここから入りたい」というのがもう転職で獲得したい価値の中に含まれない。「いつかのゴール」がないからだ。私にとってのかつての「いつかのゴール」は「仕事としてマンガを描きたい」「仕事としてゲームを作りたい」「仕事として映画を作りたい」とかの創作系だったんだけど、私にとっては創作は趣味でやるからこと価値があるという結論を得たのでそれらは職業文脈から消滅した。

40歳も過ぎて、職業人生の中盤に適応した横方向の転職パターンを構想し、身につけるべきだと感じる。
生きるために仕方なく働いてやる、という方針の時、職業になにを求める?
* 場所。住まいからの近さ。これはスペイン人も重視している要素らしい。来世はスペイン人に生まれたい。
* 残業が少ないこと。スペイン人は残業しない。来世はスペイン人に生まれたい。
* 作業そのものがそれなりに楽しいこと
* ひとを使わないで済むこと

ストレスなく気楽に働いてプライベートに余力を残し、余力を趣味のマンガにつぎ込む、マンガの到達点が人生の到達点、というのが理想。
なんだけど、上記の動機を述べても職は得られないだろうな。その都度応募する職種について自分の適性をアピールしなくてはならない。うーん。

しかしスペイン人は仕事も進学先も実家から近いところを最優先で選ぶらしい。素晴らしい生き方だ。来世はスペイン人に生まれたい。スペインに旅行に行って、正直景色にはドイツやベルギーのほうが感動の度合いが強かったんだけど、ひとびとの気質についてはスペイン人に惹かれているようだ。
| 雑記 | 23:29 | - | - | permalink |
19111901
本日の所感。
職種を変えるべき:0pt
職種を維持して職場だけ変えるべき:0pt
今の仕事でもやってけそう:+1pt

今日は比較的穏やかだった。

自分が些細なことで悩んでいてうっとおしいのでスペイン人の職業観など検索していた。若者の失業率60%! なのにみんな楽観的! 生きるために働いているのであって働くために生きてるのではないという哲学! 残業絶対しない! 素晴らしい国だ。スペイン人になりたい。アイカツでも紅林珠璃ちゃん推しだったし。
でも大空あかりちゃんの話を思い出すと涙腺が緩む。彼女はスターライト学園の入試に一度落ちてるんだぞ! アイカツブートキャンプ!

そういえばスペインでは飲食店の店員さんがよく舌打ちしているのを目にした。それでいい。

ジメジメ悩むこの傾向は我ながらイヤだな。スペイン人のようにカラッと明るくいたい。だがスペイン人が全員そんなふうに明るいだろうか。暗いスペイン人もいるはずだ。ステレオタイプに判断してはならない。

だが、感情の動きというものは制御できない。好むと好まざるとに関わらず心は動くのであり、我々ができるのはせいぜい理屈で追いかけて解釈することだけだ。我々は感情の奴隷なのだ。


性格診断やると意思決定を思考で行うか情緒(感情)で行うかという項目があり、ブログにいつも理屈を書き付けている私は自分は思考タイプだと疑っていなかったんだけどその後の実感では物事の決断はいつも情緒が決め手になっている。「理屈で考えるとこれこれこうするほうが正解なんだけどなんか心がついていかず、心の向く方に行く」というのが原則になってる。以前一度フリーランスで絵で食えないかと試してみるために会社をやめたことがあるけどそれが典型的な行動。

なので自分の性向を把握した上で予測するなら、今回の繁忙期を経て今検討中の転職を実行に移すかどうかは今後の感情の動きに決定権があると思う。
繁忙期が終わるまでの間にストレスたまることが続いて「これはもうここでは長く続けてらんねえな」という感情の高まりがしきい値を超えたらGOの方向で行動を開始するだろう。
残業こそあれ、あまり社内で衝突せずに開発を区切りのいいところまでやりきれてまた穏やかな期間に入るのなら、喉元過ぎれば熱さ忘れるで私の感情暴君もしばらく引っ込むだろう。
感情任せなので、やってみないとわからない。仮にいま理屈で考えて「よしじゃあ年始から転職活動始めよう!」と決断したとしても、意外とそれまでに仕事が穏やかに進むのであれば転職に必要なモチベーションやエネルギーは萎えていくだろう。

生きるために働く! 可能であれば労働なんて存在しないほうがいい! 仕方ないから働いてやっている。そうだよ「仕方ないから働いてやっている」というつもりなら、応募可能でちょっとやってみたい仕事があるならそれだけでアドである。運転を仕事にしてみたいというのはちょっとある。

仕方ないから働いてやっている。
| 雑記 | 21:58 | - | - | permalink |
19111802
本日の所感。
職種を変えるべき:+1pt
職種を維持して職場だけ変えるべき:+0pt
今の仕事でもやってけそう:-1pt

プログラマというのは繁忙期とそうでない時の落差が激しい。
通常時の平穏さは繁忙期にツケを回すことで成立している。だから「通常期には平穏なんだからそれを享受するために繁忙期ちょっと我慢すればええやろ」と考えて適応することができれば望ましい。
なんだけど、繁忙期はみんな余裕ないから職場の雰囲気が最悪になる。
平穏期に楽して繁忙期にツケを濃縮して積み立てるような職種より、一年を通して平板にしんどさが割り振られるような職種の方がいい。もちろんそんなものはないのだろう。客商売なら年末年始や連休が繁忙期になる。飲食店なら一日の間でもランチタイムの殺人的忙しさとアイドルタイムの暇さという落差がある。
でも落差の大きさの大小というのはあるんじゃないか。
要点を言うと私はいつもこの、システム開発の繁忙期という存在に恐怖している。今後この世界に耐えていけるのかという問いに悲観的な見通しを持っているということだ。


コードを書くのが楽しいという資質への評価を過大にしすぎているんじゃないかと考え始めている。
「○○するのは楽しい」というのはもっとありふれた現象であってコードを書くことだけを特別に貴重なものと考えるとバランスが悪いのではないか。
コンビニで言えばおでん作るのは楽しかった。デジタル雑用で言えば画像をパスで切り抜くのは結構好きだった。
日常の家事でも、包丁で野菜を切るのは結構好きだ。
あー

悲観的になってきたな。私は末端労働者志向がある。管理職になって作業させる側よりも作業者になって末端の作業をするほうがいい。しかし世間的には年齢が上に行くに従って本来は管理側の役割が求められるし、末端の作業者はみんなやりたがるので競争率が激しい。すると、若い人間のほうが有利だ。
うーん。

いや、スペイン旅行に行った時添乗員さんが言っていた。スペイン人はたとえ仕事がなくても借金してとりあえずバカンスに行ってしまうと。それだけ未来に楽観的なのだ。自分のこの暗くて悲観的な気質は情けない。じめじめしている。からっとあっけらかんとしていたいんだけど。

箒で掃いたり包丁で切ったり車を運転したりという「作業」は基本的に好きなはずだ。なんか末端アルバイト志向だよなあ…


逆に仕事でやったことがあって嫌いな事業は何だったかを考えてみたらどうか。
商社の仕事。ダイエット食品なんかのビフォーアフターでモニターの人をカメラで撮影する(静止画)。商品撮影や人物撮影がちょこちょこあったけどこれらはしんどくて嫌いだった。
特に人間を撮影する場合がしんどかった。やはり人間要素はマイナスになっている。
思い出してきた。付け爪とかヘアアクセサリとかの撮影の際はたいてい、社内の女性スタッフに声がけして協力を依頼して撮らせてもらう。これが非常にしんどかった。「人を動かす」ことに大きなストレスを感じるといえる。

そういえば介護職でも基本的に「ひと(ホームの入居者)に動いてもらう」ことが仕事だったな。「薬を飲んでもらう」「水分をとってもらう」「リハビリしてもらう」。それらはやっぱりしんどかった。

プログラマで以前いた会社ではほんの僅かの回数だけど客先に挨拶に行くことがあった。これもきつかった。やはり人要素。
営業系は絶対ムリ。

というか「作業でないもの」がしんどいと言えるんじゃないか。
でも前の会社で新人プログラマにものを教える機会があった際はかなりやる気が出た。ものを教える。人相手だし作業というわけでもないのに楽しさを感じた。法則がよくわからないな。

この歳になってもまだ適職診断みたいなものをやろうとしている。自分の職業については一生フラフラと悩みそうだ。ここしばらくは安定感があったんだけど崩れてきた。転職の予感を抱いて覚悟しておいたほうがいいだろう。
| 雑記 | 23:41 | - | - | permalink |
19111801
転職考え事続き。
岡田斗司夫氏は自身の悩み相談でこういう事を言っていた。
悩んだら個々の問題に分解してみる。手を打つことが可能な問題と不可能な問題とが混ざってごっちゃになって考えている時、それが悩みになる。個々の問題自体は手を打つのが簡単であったりする。
たとえば「部屋が寒い」「なぜ人類は環境を破壊するのか」という2つの問題を混ぜて考えてしまうとする。
前者に打つ手は暖房を入れること。
後者には手を打てない。
混ぜて考えている限り答えが出ない。分けて考えることで暖房を入れてスッキリできる。

現在の自分の問題。
* 仕事が繁忙期で残業が続くだろうという見通し
 →仕方ない。残業して対応する。一時間が基本で、一日あたりの残業時間が二時間を超えると経験上体を壊す確率が跳ね上がるのでそれはなるべく避ける。
 →マンガを描く余力についてはなくても構わない。
 →ストレス解消のために工夫する。甘いもの食べるとか。
* 職場の人間関係
 →今は忙しくてみんな精神に余裕がない。
 →基本的に衝突があると覚悟すべきで、一時的なものだと諦める
 →険悪な結果を引きずらないこと
* 職場が遠い
 →今に限ったことじゃないし気にならない時期もある
 →射程範囲の遠い問題
 →これにとらわれているのが悩みの原因
* 転職願望がある
 →今に限ったことじゃないし気にならない時期もある
 →射程範囲の遠い問題
 →これにとらわれているのが悩みの原因


射程範囲の近い問題と遠い問題があり、ごっちゃになって考えているのが原因。
直近の問題に対処することだけ考えると、「体を壊さないように残業する」。以上、となりシンプルな結論だ。
しばらく人生の我慢の局面だ。

---

この繁忙期をなんとか乗り越えつつ、「この会社で続けていけるのか」「この職種で続けていけるのか」を考えていき、繁忙期が終わる頃に暫定の結論を得よう。
転職意識がフェードアウトしていくなら継続。
「会社は無理だけど職種は大丈夫」なら同職種で転職活動。
「職種も無理」なら別職種で転職活動。
一旦の方針。

| マンガについての考えごと | 06:51 | - | - | permalink |
19111703
職業について考えるのはかなりしんどい。精神が消耗する。しかし自然と考えてしまうのでやっぱり書きつけて整理する。

自分とプログラマという職種との相性について。
ここのところの考え事では「自分はプログラマに向いている」というのを疑いようのない前提としてみなしている。これを疑う。

確かに向いている面はある。
* コードを描くこと自体は楽しい
* 自分なりに工夫できるとそれが一種の自己表現になるのでそこに面白みを感じる。自分なりの工夫の余地がある
* ひとりで黙々と作業できる
* 高度なことをやっているという感じがし(コードだけに)、自尊心が満たされる

ひとりで黙々と作業できるけど開発自体は本質的にはチームワークだな。だから「ひとりで」要素はプラマイゼロかもしれない。

一方で、自分はプログラマに向いてないんじゃないかという観点で考えてみる。
第一に向上心がない。これ以上勉強したりしてまで最新の技術についていくためのコストを払いたくない。これはプログラマとしては「悪い」傾向である。
厳密性がない。いつも詰めが甘い。コードをレビュー(上司や同僚に自分の書いたコードをチェックしてもらうこと)に出しても、つねに「細かいところまで目が届いてない」。
システム作りのプロセスが長くて複雑なのがきつい。案件受注から案件定義、設計、実装、テスト…というふうに、何ヶ月もかかって複雑なことをする。そのしんどさにいつも怯んでいる。ゲーム会社にいた時、ひとつの案件が終わってそろそろ次の、というタイミングで、「ちょっと自分のスキルじゃついていけないな」と感じたのは事実。だからしんどさに直面する前に逃げるように転職したという面がある。
繁忙期がしんどい。納期間際や納品直後は開発のリソースが足りなくなったりバグ対応が多くなって残業が増える。単純にしんどい。これをいつも恐怖している。

つまり「コードを書くのが楽しい」という仕事の末端のところにポジティブさがあるだけで、総合的に判断すると決して「良いプログラマ」ではない。
「草野球するのはは好きだけどプロとしてはやっていけない」「絵を描くのは好きだけど仕事としてやるにはしんどい」とかそういうものの類だとみなせるんじゃないか。

「向いている」という言葉を「少ない労力で大きな成果を出せる」と解釈するとして、私の場合「(残業がない限り)作業は苦じゃない」けど「大きな成果が出せているわけではない」。下手の横好き。言うほど向いてないのでは?

あ〜こう表現したらどうか。
コード書くのには向いている。楽しめるので。
仕事としてプログラマするのに向いているわけではない。能力的に高いパフォーマンスを出せるというわけではない。


と、このように自分のプログラマ適性にケチをつける哲学を構築していくと、職種の幅を広げた転職には有利かもしれないけど現在の仕事を続けるのにマイナスに働くのが大きな問題だ。私は明日も普通に会社に行ってプログラマの仕事をしないといけないのだから。自らを苦しめている。

「末端の作業が楽しい」ということをもって「向いている」と判定するのであれば、「コードを書く」というアクションは交換可能なはず。例えば私は刃物を研ぐのが好きなので仮に刃物を研ぐだけで仕事になるならその仕事は「向いている」。ただし優れた研師になれるかどうかは別問題。うーん。

コンビニはなぜ5年も続いたんだ?いや何年やったんだっけ。まあいいや5年で。
向いていたと言うほど向いていたわけではない。好きな業務塗装でもない業務があった… というか「能力的にできたから続いた」だけだな。おでん作るのはかなり好きだった。レジ打ちや接客は好きでも嫌いでもなかった。

ああそうだ。「将来性」をキーワードに考え事をしようというのもあったんだ。
プログラマ(エンジニア)としての向上心がない。テクノロジは進化していくのだから今後プログラマをやればやるほどジリ貧である。プログラマを続けるには技術についていく努力が必要。その労力を払ってまでプログラマという職種に執着しているか? してない気がする。
一方で、社会は進化していくんだからプログラマに限らずどんな職業だって変化についていく努力は必要である。
プログラマだったら具体的には新しいライブラリを使うとかJavaScriptを新しい中間言語で書くとかになる。これは仕事上では日常的にやっていて、じつはそこまで苦にしてはいない。新しい知識がはいることで「自分は高度なことやってる」感を感じて自尊心が満たされている、というのはあると思う。

自分はプログラマとしては三流である。三流でも仕事にしていくためには「才能ある人より人一倍努力しないといけない」といえる。じゃあそのコストを払ってまでプログラマを続けたいか。ノー。結局向いているか向いてないか問題は自分が望むか望まないかという意志に依存してくるのではないか。志望する動機が薄れたのならその時点では「向いていない」と解釈すべき?

うーん。胃が痛くなってきた。これから年末年始にかけて繁忙期なのにこんなので耐えきれるだろうか。
もっと自分はプログラマ職でHAPPY!ということを考えてバランス取らねばならない。
クラスをやメソッドやインターフェイスを具体的に考えるのは楽しい。
自分が書いたコードが動くのが楽しい。
あれ、なんか自分で書いてて白々しく感じているな。自分の今後の人生において別になくても構わない程度の面白さでしかない?

マンガを描いて得られる楽しさや達成感は換えがたい。これは一生モノの価値だし交換不可能な重要事項だ。

仮に「コードを書く」のと同程度に価値を感じることのできるアクションが見つかるならリプレイスしてしまって良い。
いや、そもそも「それをするという末端のアクション」に価値の基本を置こうとしている事自体が視野が狭いかもしれない。学術論文を書くのもインチキ宣伝メルマガを書くのも「書く」という切り取り方をすれば「書くこと」で同一にみなすことができる。しかし両者は本質的に異なる。

「コードを書く」を別の切り取り方で解釈してみる。
* ものを作る
* ロジックを組む
* 自分の工夫を入れる

「自分の工夫を入れる」というのは私には重要な要素であるように感じる。ということはマニュアル通りにやってそれから逸脱しないことが求められるような仕事ではキツイだろうと予測される。今私は(自分でも謎だが)タクシー運転手の職を念頭に置いていて、その仕事はこの観点でいうと向いているだろうか?
近所のタクシー会社は結構古い会社なのですでに決まったやり方を守らねばならない保守的なところである可能性はある。一方でタクシーは多くの時間をひとりで働くので自分の工夫がしやすいのではないかとも感じる。さらにその反面、業務に工夫の余地があるだろうかとも感じる。いや、どんな仕事であれ工夫の余地はあるか。うーん。

そろそろ打ち切っておくか。しんどい。
軽く結論を出しておこう。私の言う「自分はプログラマに向いている」の正体は「コードを書くのが楽しい」程度のことでしかない。別の職種の別の職能においてそれにリプレイスできるものはそんなにハードルが高くないのではないかと考えられると。「お湯で皿を洗うのが楽しい」程度のもので交換できるのではないかとね。だからそこまで執着するほどの重要事項ではない。

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追記1。
これから年末年始にかけて繁忙期だし、現在の仕事だろう。ここは生存だけを目標にしよう。マンガを描くなどの高度な目標は立てなくてよい。日常的な残業を飲んでとにかく凌ぐことだけ考えよう。

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追記2。
自分はエンジニア(システムエンジニア)タイプではない。
ツイッターの相互フォロワーさんにエンジニアタイプの人がいて、そういうひとはツイッターでRTする記事がテクノロジの話題に寄っている。
* VRチャット
* Unity
* ロボットテクノロジ
* 3DCG など
そういうふうに興味関心の方向性自体にまずエンジニア向けかどうかというのがあると感じる。デジタルの新しもの好き。自分はそのタイプではない。その意味でもプログラマ適性に疑いを感じる。

「この先もプログラマで続けていくのにあたって楽観的な予測がしにくい」という指針は得られるんじゃないかな。しんどくなっていくよと。たぶん今のこのしんどみはその第一歩なのだ。じゃあ何に向いてる?

---

もっとあっけらかんと単純に考えればいいんじゃないか。
* 遠くまで通勤するのが嫌だから近所で働きたいよね
* 繁忙期に残業三昧になるのが嫌だから残業のない(少ない)仕事が良いよね
* 別にプログラマじゃなくてもいいんだよね
蓋を開ければこの程度のことなのだ。
| 雑記 | 23:08 | - | - | permalink |
19111702
デス・ストランディングを五時間ほどプレイしたので休日を休日として消費したとみなそう。
もうちょっと転職の話題を考える。

職業選択において「こういう仕事が良い」というイメージは過去の記憶と結びついて導き出されている。
コンビニ店員時代に感じた「座ってパソコンに向かってできる仕事が良い」。
デジタル雑用時代に感じた「じっくりひとつのものを作ってスキルが深まる仕事が良い」。
上記ふたつから導き出された職種がプログラマであり、上記の記憶があるから自分にとってファイナルアンサーな究極の職業という印象がついている。
これを批判したい。

第一に、理想の形は変わる。状況や経験に合わせてゴール自体が動いていくというのが私の哲学だ。だから「座ってパソコンに向かってじっくりスキルを伸ばしながら物を作れる仕事」というゴールは「以前のゴール」にすぎないと考えられる。
介護職だってコンビニ店員時代に比べれば「専門性があってひとの役に立ち、正社員で働けて求人の多い仕事」という理念に照らせばそれを満たしていると言える。
デジタル雑用時代も「座ってできるパソコンの仕事」の時点での理念形は満たしていたと言える。

だから次の職業理念系にアップデートすべきなのだと考えられる。
場所のフレキシビリティは重要。すると最初の要素は「職場の融通が聞きやすい仕事が良い」。
例えばタクシー運転手を本当に検討するなら「ひとに接する」「ひとにサービスする」ということにポジティブな態度を持っているべきだが自分はどちらかと言うと人と接しないほうがいい。しかし、コンビニ店員や介護職をやっていたときも仕事としてひとと接する事自体は別に苦ではなかった。介護職が無理だったのは認知症ケアがしんどいからで、あれはどんな人間がやっても消耗が激しいと思う。
ひとに対して感じよく接する事自体は自然にできると思う。向き不向きで言うと可もなく不可もない感じ。その程度の意識で仮にタクシー運転手職に応募したとして受かるのか?
いやでも、「地域を支える」という角度から見てみたらどうだろう。海外旅行の際に帰ってくる時、駅から自宅までタクシーを使う機会があった。地域住民を支える足としてのタクシー。しかし私は逆になぜこんなにタクシー運転手に肩入れしているんだろう。職種を変えるにしてもタクシー運転手はひとつの候補に過ぎなかったのではないか?
ま、いいや。予め考えておいたことが役に立つかもしれないし考えてると不安が紛れる。

地元、というか「好きな土地」で働きたい→「好きな土地」の構成要素として貢献したい…貢献したいと言うとなんか胡散臭く聞こえるな。「好きな土地に根ざしたい」こうかな。で、どの土地にも仕事がある普遍的な仕事。やっぱりタクシードライバーが念頭から離れてないな。
コンビニのバイトした時、店長に志望理由を「自分はマンガ家を目指しているのでフリーターの期間が長くなると思う、なので仕事の基礎力として様々な業務を内包するコンビニから始めようと考えた」というようなことを言った記憶があり、それは店長からも理解を得られた。

うーん。

まとまってないな。「アップデートされた『こういう仕事が良い』観」について考えるという課題を得た。一旦区切ろう。

---


メモ:
仮に最寄り駅でプログラマの仕事があったとして、ということを考えてみてはどうか。

| 雑記 | 20:49 | - | - | permalink |
19111701
転職についての考え事。

人生の現実的側面に直面することが自分の弱点であるらしく、転職を検討する/転職活動をするときはいつも精神が不安定な状態になっている。

自分の人生の危機はいつも職業関連だ。
* 大学卒業時の進路選択時
* 5年やった商社のデジタル雑用担当からの転職を考え始めた際
* フリーランスやってみたが自分には無理だと結論して再就職活動開始した際

今回も別に転職を決定したわけでもないのに精神の不安程度が大きい。これは人生における仕事の優先順位を可能な限り低くしている私にとってはシャクな現象だ。瑣末事に心を奪われている。
不本意である。

主観的価値観と客観的重要度との対応がおそらくチグハグなのだろう。普通に考えれば人生における仕事の重要度は高い。

で、ブログを書いているわけだけど、ということは私は精神を落ち着かせたいときにはブログを書くんだな。自分の頭の中を整理して現状分析や今後の俯瞰を行い、不安の原因が実際以上に大きく見えてしまうことを防ごうとしていると。
もっと気楽に考えたい。楽観的に。テイクイットイージーに。過去何度も転職を成し遂げて成功体験の積み重ねがあるんだから「転職なんて別に脅威じゃねえぜ」と言えるはずではないのか。

転職によって人生の分岐があるわけで、分岐先に悲観的な予測をしてしまうことが不安を大きくしている。


昨晩はうまく寝付けなかったんだけど、脳の回転に任せていたらタクシードライバーに転職したらというシミュレーションが行われていた。最近検討した求人では私はタクシードライバーに特に関心があるらしい。
仮にタクシードライバーになったとして、以下のメリットが考えられる。
* 地元で働ける
* 地元の地理により詳しくなる
* 勤務の間一人でいる時間が長い
* 拘束時間が長い(2日分の労働時間をつなげて一気に働き次の日休みというサイクル)が残業自体は原則なさそう

地元愛が強い場合メリットが多そうに予想される。
一方でデメリットも脅威である。
* 客商売なので変な客に遭遇する可能性は常にある。そのストレス。
* 長時間座りっぱなしなので腰に悪い。これはプログラマも同じか。
* 運転なので交通事故の危険性は常にある。被害も加害もあり得る。

これらに自分がどれくらい耐えられるのか、許容範囲なのかどうかが問題になってくる。
一方で、じゃあ現職であるプログラマには職業上のデメリットがないのかといえばもちろんある。
* 納品間近になると残業が多くなる
* 難解な/解明不可能なバグに遭遇する可能性がある
* 技術は常に進化していくので常に新しく身に着けていかねばならない
* 今の会社はそうでもないが、多くの会社では残業が日常茶飯事になっている
* 職場が主に都心にしか無いし、多くの求人で「勤務先は各プロジェクト先」になってしまう。場所を重視する私には不利。
* 人間関係が閉鎖的になるので職場のメンバーとの相性いかんによって快適度の上下が激しい

要するにこれまでもその都度その仕事におけるそれなりのデメリットと付き合いつつ働いているわけだから、今後も新しい仕事に就くとしてそれに耐えることができないだろうと悲観的になる必要はない。やってみないとわからない。


職の貴賤意識の問題について。明確に明示的にこれについて書いてこなかったけどこれが問題の本質な気がする。
現状での脳内転職シミュレーションは「プログラマ→タクシードライバー」である。
で、私の中に「より優れた(世間に対して恥ずかしくない)職業からより劣った(世間に対して恥ずかしい)職業に、愚かにも自ら進んで転落する」というイメージがある気がする。
これは無意識的なもので、考えを経てでてきている結論ではなくて先入観から出てきている心情的なものだ。
これを解きほぐしたい。
理屈で考えれば上記の心理は普通に間違っている。
* 一般論として職業に貴賎はない
* どんな職業であれ就業して金銭を得て生活を成り立たせているだけで偉大である
* そもそも私は世間体なんてくそくらえだと常々思っている
* 仮に職業の価値に上下があったとしてもそれは世間共通のものさしで測るべきではなく当人との相性によって決定されるべき。私にとってプログラマよりタクシードライバーのほうが優れた職業である可能性はあり、やってみて確認しない限りわからない。
* 自分にとっての仕事の上下というのは効率の問題で、より消耗が少なくてよりゲインが多い職業に価値がある。介護職はストレスが巨大な上にそんなに収入にならないので私にとっての価値は低かった。現在のところプログラマが一応は最も効率がいい職業ではあるが不満点もある。

つまり上記の心理は非合理的というか自分の哲学に照らしても認めがたい内容なのでこの心理を理屈で上書きして克服するべきだ。自分の哲学と自分の心象とが矛盾しており、一貫性がない。一貫すべきだ。
どんな職業に就こうと自分の最重要事項である趣味のマンガが失われるわけじゃないのだから自分という人間の構成要素が受ける影響は小さいはずだ。小さいとしたい。些末要素が入れ替わるだけなんだから。深刻に考えすぎている。
不本意である。

職業面における自分の現状の認識は「プログラマ」だけど、「いろんな職の経験者」とすることができればむしろランクアップなんじゃないだろうか。「転職経験豊富なので時代の変化にフレキシブルに対応できる」、ほら、なんかそれっぽく聞こえる。
「今は○○だけど適宜変更している」と。
あーだから、一時期ツイッターのプロフィールにも「現在の職業:プログラマー」と書いていた。一時的な属性にすぎないというアピールがあったな。


これまでの転職苦節遍歴を振り返ってこれも書いておきたい。
職業での自己実現という要素が消滅した。
以前は以下のような項目も目標の一部だった。
* マンガを作る際に使う脳の回路を仕事でも使いたい
* 趣味であれば個人レベルでの作品しか作れないが仕事で集団のものづくりに参加すればより偉大な作品が作れる、偉大なものを作りたい(ゲーム業界を志望していた頃の動機)
* 人生で最もエネルギー傾けられるのが仕事なんだから仕事で偉大な物を作りたい

これらの要素は消滅し、「そういうのは自分にとっては趣味でやるからこそ価値があるのであって仕事にしても価値は発生しない」というのが結論になった。
だから私が仕事に求めるものは… 自分へのメリットのみかな。自分に適性があること。割くリソースが最小限で得られるゲインが最大限になるようなのが良い。その分の余力を趣味に費やしたい。そう考えると社会を前進させる系の職種ではなく社会を維持する系の職種がコンセプトと一致しているようにも感じる。

過去に商社のデジタル雑用から転職を決心した際は、「自分は職業において有意義なことを全くやってない」「有意義なこと(この時念頭に置いていたのはゲーム制作だった)をやらねばならない」「有意義なことをやっていない自分は人生を無駄にしている無価値な存在だ」という巨大な焦りを感じた。仕事を通して自己実現しなくてはならないという強い強迫観念を抱いた。
しかしこの系統の心の動きは消滅した。これは大きな進歩だと言える。経験により学び、向上したのだ。



そろそろ土日の貴重な時間をこのテーマに割くのももったいないので今回の結論をまとめたい。

次に転職活動するとして、プログラマという職業に縛られすぎているので職種を一度変えるのを課題としたい。地元で働きたいという欲求が大きいためタクシードライバーが現状での有力候補である。こんな感じか。
転職する!というジャッジはまだ先送りだけど心の準備として現状での方針があれば滑り出しもスムーズになりやすいだろう。
「予感」というものは大事で、今までも大きな活動をする際にはそれに先立って予感を抱いていたことがきっかけや準備として役立った。受験時の受験勉強も、過去の転職もそうだったし、行動力のない私が不可能だと思っていた海外旅行に行けたのも親孝行として母を海外旅行に連れ出せたものやっぱり先行する「予感」を抱いていたから可能だったと言える。
今回は次の転職の「予感」の最初の準備になった。こう位置づけよう。
今の仕事も永遠には続けないだろう。その終わりはどういう形だろうか。定年退職? 会社からクビにされる? 自ら転職する? 時期は? 遅かれ早かれの場合遅いと早いのどっち寄り?
「自ら転職するだろう」「そう遠い未来ではない」こう「予感」しておこうかな。仮に長く続いたらそっちのほうが「そんなに長くいるつもりじゃなかった」「意外だった」と感じるように予感しておく。

---

誤字チェックのために読み返していたんだけど、こう振り返るとゲーム業界を(一年弱だけど)経験したのが決定的なターニングポイントになっているな。
「仕事を通した自己実現」という仮設に決定的な終止符が打たれている。それは同時にプログラミングというスキルツリーにおける前進のモチベーションの消失も意味している。
ゲーム会社→今の会社に転職した際の動機も、「より通勤が便利なところ(東京と反対側)を職場にしたい」というのが最大の動機だった。で、そのときも職種を変える求人にも応募しつつ、プログラマ職でも探してみて今の会社に行き着いたんだった。
プログラマとしての向上心やこだわりがあったわけではなく、勤務地を変更するのにあたって使える手札にプログラマの経験があったからそれを使ったと言うのに過ぎないんだな。仮に職種を変えてより近くの職場に移る場合、前回の転職と実は同じ系統の延長線上に過ぎないことをやっていると言える。前回の転職は、まずプログラマという職種を維持して次に勤務地をより有利にしたという実績ではなく、まず勤務地をより通いやすくするという大目的があって次にそのために方便として利用できたプログラマという鍵がたまたま適合したという順序。で、それでもまだ勤務地に不満があるんだから次の転職は自分にとっての継続した願いをより高いレベルで叶えるためのものと位置づけることができる。
| 雑記 | 11:33 | - | - | permalink |
19111602
職業について考えごと。

前回の記事では「プログラマ」という単語の登場回数が多い。これは私にとってプログラマという職能が現実世界における達成でもあり同時に恐れでもあるということの表れではないか。
自分は現実世界(経済社会)への適応に困難を感じていたので、まともに収入が得られるプログラマという職に就けているのは意外な幸運だと感じている。これは自分にそれなりに適性があった為とそれなりに努力した結果なのだろうと思う。なので人生の達成としてカウントしていると。
一方で、プログラマという手札を手放すと生活できないのではないかという恐れがある。生活においてプログラマという属性に依存している。これに危機感を感じているんじゃないか?
例えばうちの父は長い間写植を仕事にしていたんだけどパソコンの普及で仕事が絶滅した。プログラマという職能も所詮その程度だと私は思っている。なにか思いも寄らないきっかけで職種そのものが絶滅するかもねくらいの程度のもの。テンポラリな属性であって自分の本質ではない。
自分の本質はマンガを描くことにあると思っていて、それは趣味の分野だから職業とは関係なく、職業のために身につける属性は常に交換可能なテンポラリなものであると思っていると。

そうか、転職を考えるたびに精神に発生するモニョリは、仮初めの属性に過ぎないプログラマという職能に過剰に依存していることについての違和感なのかもしれない。

で、昼寝しながらこう考えた。
というかいつも転職のことを考え出すと無限に眠くなる。これは精神が逃避を図っているのだとも考えられるし、あるいは転職を考えてるときはたいてい仕事にネガティブさを感じていて精神が疲れているので眠いということかもしれない。

プログラマから職種を変えても別にプログラミングの能力を失うわけではない。職種を変えることへの恐怖が現実に起こることに対して大きすぎると感じる。
で、仮に次にタクシー運転手やホテル従業員になったとして、そうすると経験職種が増えることになる。これはかなりのアドではないか。
私が経験した職種。
* 喫茶店店員(高校の時)
* 配管工の手伝い(大学のとき):工務店系は合わないなと感じた
* コンビニ店員:5年くらいやったので不向きではなかったと思う
* 介護職:ストレスが強くて自分には不向きだなと感じた
* Web制作
* デジタル雑用係:
  Webサイト作り、Web店舗運営、メルマガの装飾、画像加工、販促用画像の作成、
  簡単なプログラミング、社内ネットワーク構築、社内PCメンテナンス…
  やることがとっちらかっているのがしんどかった。
  集中してひとつのことをやるほうが向いてると感じた。
* プログラマ
  机に向かって集中してひとつのことをやるので向いてはいる。
  職場の選択肢が大きく制限されるのが不利な点。
  また、自分としてはこれ以上の発展性は無い。現状維持しか無い。

これしかない。
現状の認識は職種を変えることを「経験や積み重ねをドブに捨てる」「達成した貴重なものを手放す」「待遇が悪化する」とマイナスに評価しているが、これもものの見方の一面でしかないと考えればいいんじゃないか。
ポジティブに考えると以下のような感じ。
* 経験職種が増える。
* 今後の転職における選択肢が増える
* 複数の職を比較評価できる
* 経験した職の数だけ人生や世界を見る視点が増える=人生の基盤となる知見が向上する
* 仮に地方や海外に移住するとして、現地で経験職種の求人があれば仕事が得やすくなる

単純に人生経験が増えるんだからポジティブなんじゃないか。
今後の人生で経験しておきたい職種を列挙する。
* タクシー運転手
* なんらかの教育業界関係の仕事
* なんらかの観光業界の仕事(まあホテル関係だろうな)

次点
* 倉庫関係。職場としての倉庫。
* 墓地関係。というか庭師的なもの。ただしやっぱり○○造園みたいなブルーカラー系の仕事になるだろうし、配管工手伝いのときに感じた「自分には合わない」感は発生しそう。
* 警備関係。ただ、弟が以前やっていたけどちょっと後ろ向きな選択なのではないかとも感じる。職場が魅力的(近いとか、好きな場所であるとか)ならアドが多そうな気もする。

「どんな場所でも働ける」というのを達成目標とする場合、「経験職種が多い」というのは理にかなっていると思う。
一方で問題は年齢で、「いろいろな職種を経験する」という方針に矛盾している。年齢が上がるほど転職は難しくなるので戦略的におかしい。若者が社会に出るにあたって立てる方針であるなら理にかなっているが40になってから言うには「今更何いってんだこいつ」感があるのは否めない。
しかし、選択肢が少なくなる方が目移りしなくて選択しやすいという側面もある。

少なくとも「プログラマとして更に上を目指すぜ! もっと良い企業にステップアップしていくぜ!」という動機は感じられない。それよりも「求める場所で妥当な仕事をいつでも得られるようになりてえなあ」というほうが目標としては魅力的。もちろんそう理想的にはいかないだろうけどね。


上記の発想を得たことで少し気が楽になったかな。

---

ホテル業の求人を見て、ちょっとハードルが高い(自分向けじゃない)なと感じた。
* 主要なホテルがある場所は遠い(このエリアだと箱根か横浜)
* 仮に職に就けたとしても、業務内容に高確率で「アルバイトの採用と指導」がある。苦手分野。人を使う立場より人に使われる立場がいい

一方でタクシードライバーは結構いいじゃんという気がする。
* 世界中どこでも仕事があって普遍性がある
* 地元で働けそう
* 勤務が不規則なのがデメリット
* 給料や休日の面での待遇も不安

まあ結論を急ぐようなタイミングではないけどね。

---

更に求人サイトを見て雑感。
求人の多い職種。
* 営業
* ドライバー
* 店舗の管理職
* 飲食店
* 介護職

これらはどこにでも求人がある感じ。
ドライバーに注目してる。
* 運転免許は持ってる(車マニアではないが)
* 仕事中の主要な時間は一人でいられる
* どこにでも求人がある

タクシー、バス運転手、配送ドライバーと種類がある。自分だったら…やっぱりタクシーかなあ。一人でいられるというアドが薄まるか。

一方で、一度に就業できる職業はひとつなんだからその都度そのタイミングで見つかるレア求人に応募すればいいという気もする。つまり仕事に普遍性を求めるのとは逆の方向。例えば近所のではないけど水質管理施設の職員というのがあった。もし近所の施設で募集があれば応募したいと感じる内容。一方で、そういうのはレア求人だと言える。

| 雑記 | 19:43 | - | - | permalink |
19111601
考え事。
マンガについてではなく今回のテーマは転職。

自分にとって仕事は重要でなく交換可能な瑣末事に過ぎないという認識なんだけど、じゃあ今の仕事から変えるという場合を検討したい。
ただまだ絶対に転職するというモードではない。

転職によって獲得したい価値。
* 現住所の近くで働きたい。つまり職場に合わせて引っ越すのではなく住所に合わせて職場を選択したいということ。
* 常にその時の職場に縛られたくない。

いや、まだ項目ごとに箇条書きで要点をまとめられるほどに固まった考えがあるわけではないから雑想的に書いていこう。書くことで自分の中の要点を見つけ、転職サイトで求人を探す際の指針にできるようにしたい。

昨日ざっと転職サイトを見た所感。
まず年齢制限で引っかかる。職なんてどんどん変えればいいじゃんというのが私のスタンスなんだけどそんなことを言ってられない危惧がある。

「スキルアップ」には興味ない。「将来より高度な仕事ができるようにスキルアップしましょう/できます」というのに価値を感じない。つまりもう自分も職業について上り坂ではなく下り坂で考えてる。

自分は現在は一応職業はプログラマなんだけど、現在よりもさらにスキルアップして高度な仕事をするという場合具体的にどういう内容を考えられるだろうか。
銀行なんかの、バグの許されないシステムに開発に関わる。そんなのやりたくない。
末端のプログラマじゃなくもっと上の立場になり、クライアントとコミュニケートして案件の定義や提案なんかを行う。やりたくない。
ゲームとかの魅力的なコンテンツに関わる。以前少しゲーム会社にいたけどコンテンツがゲームになったからと言って魅力は感じなかった。そういうのは客として楽しめればよい。だからやりたくない。

つまり、プログラマという職種においては私にとってはもう別に上のレベルはなく、ただ維持があるだけだ。
経験が増えればミスが減るし実装も素早く行うことができる。後はその積み重ね。新しい技術が出てきたらそれに対応するだけ。
だからまあいいっちゃあいい。このスキルで金銭が効率良く稼げるなら悪くはない。



私は仕事について、「場所」に大きな重要性を常々感じている。
例えば海外旅行に行っても、「こういうところに住んでみたいなあ、どういう仕事があるかなあ、プログラミングの仕事あるだろうか」というふうなことを自然に考えている。
で、プログラマの仕事は「どこにでもある」仕事ではない。場所の普遍性で言うと低いと思う。
なんだけど、プログラマにはリモートワークという選択肢があるのが悩ましい。リモートワークについては私が適性がない。
たとえばフリーランスのプログラマになってちまちまと案件を受けて仕事してはどうかという選択肢について検討すると、無理。以前フリーランスで仕事しようと試みたことがあり(プログラマじゃなくて絵のほうだけど)、自分にフリーランスは無理だと痛感した。仮にプログラマでフリーランスなら仕事が安定して取れるとしても仕事をとってきたり経理なんかを自分でやらないといけないというのは割に合わない。
選択肢としては勤め人になって働くというのは必須。

場所を優先して仕事を探す場合。
例えば商店の店員のような仕事はどこにでもある。しかしアルバイトになるし収入も低い。一人暮らしの生活を支えることはできないだろう。
場所を選ばない普遍的な仕事でありながら生活を支えるのに十分な収入が得られるのが理想なんだけどそういう仕事はないだろう。収入なり場所なり仕事内容なり労働条件なり、なにかしら犠牲にしないといけない。

プログラマという職について。
プログラマになった経緯。
小さな商社のデジタル雑用担当として画像作成からWebサイト作成からいろんな業務をやる。
どの職能も中途半端にしかやってないのに危機感を抱く。
やったことのある仕事の中ではプログラミングに可能性と適性を感じた。
仕事を通して「なにかできるようにならねばならない」という意識があり、その「なにか」の位置に代入するのに「プログラミング」は適していた。

つまり自分はプログラミングが(多少なりとも)できるということがおそらく自分のプライドや満足感になっている。仮に転職して職種が変わる場合これが失われるわけだから自意識が下降する可能性はある。
という予想は前回前々回の転職活動時にも感じたんだけど、本当にそうだろうか? 今でもそうだろうか。
例えば今すぐに年金生活者になれるとして仕事を引退するとする。残りの人生でプログラミングをすることはあるだろうか。高い確率で、ない。自分の人生にとって別になくても構わない要素だと言えるのではないか。
そう考えると、むしろプログラマという職種に縛られているとみなすことができるのではないか。プログラマという職種の制限を受けているから、自分が希望する「場所」を優先した職業選択の機会を遠ざけていると、こう解釈することもできるかもしれない。

それに、私は転職の回数が多い。今後もどんな仕事についても数年で交換してしまうだろうと予測するのなら、別の職種も経験してみるのもいいのではないか。転職市場的にそれが不可能である可能性はあるが、一度職種を変えたら二度とプログラマに戻れないというものではないだろう。運転と同じで一度覚えたらそうは忘れない。仮に別の職種を数年やってみたとして、収入や仕事内容など総合的に考えてプログラマのほうがマシだなという結論が得られるならその時点でまた転職すればいい。といってももう年齢が40を超えているので不可能かもしれない。その時はそれが縁なのだから縁に従った選択をすればいいか。

「なにかができるようにならねばならない」という問題意識が過去には巨大だった。
現状、その時想定していた「なにかができるようになった状態」は達成した。その結果、これを維持していきたいという願いが発生するほどの拘泥は感じていない。
だから次の問題意識を発生させれば良いのか。
場所の選択に有利であること。
こだわりを減らす方向で考えるべきではないか?

例えば私が若者に対して職業選択のアドヴァイスをするなら「自分に適した職能のうち換金効率のいいもので働けばよい」と言うだろう。これは自分がプログラマになれたことで割と良い収入を得ることに成功した体験からの話になっている。ド文系の学歴を歩んできたのに30過ぎの年齢でプログラマになれたのは単純に向いていたからだと思う。コードを書くのに向いていた。
あーわかった、自分にとって稼げる職能がプログラマ以外にもある可能性はある。別にものすごく稼げる必要はない。職を得ることができて生活が成り立てば良い。でも専門職以外ではむずかしいか?

仕事で自己実現という要素は完全に考慮しなくなった。ゲームや映画やマンガを作るのを仕事にしたいという方向。それは趣味でやればいいし私のように人からごちゃごちゃ言われたくないタイプは趣味以外ではやらないほうが良い。
自分の自意識を支える能力についてもそれはマンガを描くことがまずあるんだから職業のために身に着けたプログラミングがその位置にいる必要はない。

職種を変えるとしてどんなのが良いかを考える。
選択可能であるかどうかは一旦ここでは置いておく。この年齢で未経験者が選びようのない可能性は大いにあるが一旦厳密には考慮しない。
選択肢が少ないからこそ選ぶことになったみたいな出会いもあるかもしれない。
営業系は無理。
ホテルとかの施設のフロントなど。海外旅行に何度か行って観光業って良いかもしれないと感じたのであり。近所に職場はない気がするし収入の規模も低いかもだが。
教育系。プログラミング教育なら職があるかも。過去に何度か転職に試みて毎度落とされた分野。結局人と接する仕事なのでそんなに自分は適性ない気がする。以前よりこだわり度は低い。
タクシー運転手。タクシーならそれこそ日本全国どころか世界的に仕事のある普遍的な職なんじゃないだろうか。ただ、勤務が不規則で長くてきついという印象と、変な客に遭遇した際のストレスは恐れるべきな気がする。もっと高齢になってからの選択肢だろうか。
運送業。運送業は仕事がきつくて低収入という印象があり、今後は労働条件がさらに悪くなろうと感じる。ドローンとか自動運転車とかが発達してきているため。積極的には選びたくない分野か。
倉庫業。うーん。場所や職場が魅力的なら悪くない気はする…けどフォークリフトとかの免許が必要かな。座間あたりに米軍基地があってそこの求人見たときは面白そうとは感じた。
介護は経験したことがあるけど無理だった。
うちの父の墓地はきれいなところでいつも庭師の人が環境を手入れしている。ああいう仕事もいいなと感じる。ゴルフコースのグリーンキーパーの仕事も以前求人を見かけたけど魅力を感じた。でも庭師と言うと専門職かな? 未経験者がいきなり就ける仕事ではないかもしれない。

こう考えると専門性の高い選択肢は私にはもう存在せずいわば「誰でもなれる」職業が中心になるが、そういうのはもちろん収入が低い。なんだけど生活が成り立たないレベルなんだろうか。うーん。

職種を変えないで職場だけより近くにできる選択肢があるならそれは検討の余地がある。

そのへんか?
今のところ場所に外のこだわりが薄い。職種についての態度も曖昧なので転職の機は熟しているとはいいにくい。しかし近々か、もしくは遅かれ早かれ転職する気はする。そのための準備として検討をもう少し深めておきたい。

コンビニでフリーターをしていた時、「こういう立ち仕事ではなく座ってじっくりできる仕事が良い」と感じていた。
小さな商社でデジタル雑用をやっていた時、「こういう雑多な仕事ではなくてひとつのスキルをきちんと伸ばしていきたい」と感じていた。
その行き着く先のプログラマになって、「別に取り立てて言うほどの感慨はないな」というところか。
コンビニの際は単純に収入が低かった。
デジタル雑用の際はしんどい業務も多くて単純にそれが嫌だったと言えるか。
下→上の進化ではなく横のスライドに過ぎなかったと考える。

そうだ。
「今の仕事が貴重なのでこれにしがみつく、そのために多少のことは我慢する」というムーブメントを絶対したくないという思いが強い。
常に転職に対応できるようにしておきたいというのはこれのためというのが真相な気がする。自分の態度・感情の問題なのだ。

一旦区切っておくか。転職サイト見ると時間があっという間に過ぎるし精神力大きく消費するから見すぎないようにしないとね。

---

ちょっと転職サイトを見た。今回の雑感。
プログラマの職は「勤務地:プロジェクトにより異なる」というものが多い。
勤務地を重視する私としては「クソだな」と感じる。
一方で、すぐに転職しがちな私としてはプロジェクトごとに勤務地が変わるのはプラスかもしれない。
なんだけど、結局勤務地は首都圏の通勤がきついところが中心になるだろうから、やっぱり「クソだな」でFAか。

塾の運営職。教務職ではなく運営管理。
ひとにものを教える仕事に以前魅力を感じていたんだけど塾講師や家庭教師の経験のない私には応募ができなかった。しかし今は別に教える仕事に特に能動的に選びたいと言うほどの意欲はない。すると教育業界で、且つ、自分が教えるわけではないポジションが視野に入ってくる。悪くないかもしれない。

ホテルのフロント職。おそらくフロント業務以外にも様々な雑多な業務が付随するだろう。海外旅行を経て観光業に興味をいだいたので検討の射程に入る。勤務地で言うとうちの近くだとせいぜいビジネスホテルだろうけど悪くないのではないか。転勤がなくて通いやすい勤務地だったら魅力を感じる。

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