Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

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17012201
うーむ
なんか今回はビジュアライズに手こずってるな。

とりあえず簡単なパーツを作り、背景とかはあとに入れるとして、セリフをガンガン当て込んでいってたたき台を作ろうと思ったんだけど、どうも歯車が噛み合わない。









なので、やはりマンガとして描くか。素材とツールを上手く使ってシステマチックに作るという発想ではなく。
セリフを削り、コマ割りして、1ページずつ進んでいくと。
「会話しかなくて動きがないようなシナリオをいかにしてマンガで描くか」という課題だと考えるか。
| マンガについての考えごと | 11:37 | - | - | permalink |
17012101
脚本のたたき台ができたとして、どうやってビジュアライズするか。

ほとんどが会話なので素直にマンガにすると似たような絵をたくさん描くことになる。
お嬢様と執事フォーマットでやるなら描く絵の数を減らせるしセリフの増減にも対応しやすい。でもなんか物足りない。

他の選択肢としては背景と立ち絵を用意してたとえばNスクリプトなどでエロゲっぽく作るとか。
会話風の小説を簡単に作れるというWebサービス(名前忘れたので検索で見つけられなかった)を利用する。アイコンと吹き出しでテキストを表示するようなやつ。

できれば後々印刷物として再利用できる方がいい。なのでゲームフォーマットやWebフォーマットでないほうがよい。
やはり基礎となる一枚絵を描いて表情差分とセリフ入れ替えが妥当か。ちょこちょこ別撮りカットを入れてもいい。

それでいくか…

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ヒロインのキャラデザ…


難しい!
髪型というのはマンガにおいて性別を表現する最大の記号だ。
中国の文明でも髪型は非常に重要な要素だ。
ダム子は女らしくあれプレッシャーに抗っているので女性らしい髪型はしていないはず。しかし、男っぽい髪型をしているというのも違うのでは? そもそも一人称的女子というスタート地点でのコンセプトで言えば一人暮らしの女性が部屋に引きこもっているようなセットしてない(あるいは最小の労力でまとめられるような)髪型をしているのではないか。

考えあぐねる。
ということはこのテーマについてダム子自身が葛藤するのではないかということだ。
なので、今回のエピソードでは髪型は露出しない(被り物をかぶってる)?

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だいたい決まった。ちょっとボーイッシュ気味な感じの髪型。
「毎朝起きるたびに性別がランダムに入れ替わると想定して、どっちにも対応できる髪型にしておく」みたいな理屈を言いそう。

| マンガについての考えごと | 21:17 | - | - | permalink |
哲学女子のシナリオ第一稿
# マイ哲学女子

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## 登場人物
* ナカヨシ
会社員。
今回はほぼ脇役。
ダム子との差別化のために一人称を「俺」とする(私の好みではないが今回はダム子のほうがが重要なので)。

* ダム子
ダム子はハンドルネーム。freedomでダム子。
本名はおそらく由子(ゆうこ)。
社会からの「女はこうあるべき」という圧力に負けじと突っ張っている。
一人称は「私」。

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## 脚本

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1. 喫茶店 / 昼食時 / 土曜日

ナカヨシとダム子、喫茶店で座っている。

ナカヨシ「さて。ダム子よ。俺に話したいことがあるということでセッティングされた今回の会合だが
今回の議題は何だ?」
ダム子「クレープが食べたいのだ。」
ナカヨシ「ほう。
君のことだ。長い文脈が背景にあるのだろう。補足を頼む。」
ダム子「ナカヨシは判っているな。話を進めやすい。」

ダム子「話の導入には私の常設テーマが今回も登場する。ナカヨシは何度も聞いたことがあるだろうから話が重複するかもしれない。序盤のプロセスをスキップするか?」
ナ「いや、いつも考えているテーマへの考えも、そのときどきによって微妙に異なってくるものだ。フォーカスするポイントがズレていったり時事ニュースの影響が反映されたりする。話すことでそれらが表面化するかもしれないから何度でも口に出すことは有用だろう。なので、チュートリアルからはじめてくれ。」
ダ「承知した。」

ダ「我々の側の性別、女性というものは、常に、社会から『女はこうあるべし』という圧力を受けている。
かわいくあれ、従順であれ、働き者であれ、貞淑であれ、淫乱であれ、良き母であれ…
つまり、男に都合の良い奴隷であれということだ。会社に都合の良い奴隷のことを社畜というのだからこの男に都合の良い奴隷のことを男畜(ダンチク)と造語してもいいかもしれない。
で、私はこの圧力に屈しないことをポリシーにしている。奴隷化の圧力から自らを解放するのだと。」
ナ「ハンドルネームの『ダム子』もたしかフリーダムから来ているのだったな。」
ダ「うむ。フリーダムアットラスト。フリーダムアットラスト。」

ダ「そこでクレープだ。
ナカヨシはクレープについてどう思う?」
ナ「美味しそうではあるが、生地は小麦粉で作られ、大量の生クリームが添付された食物なので、カロリーの塊だ。健康に悪い。
しかし君が聞きたいポイントはおそらくそういうことではないな?」
ダ「私に言わせればクレープというのは女の子のための食べ物の権化だ。女の食べ物だ。」
ナ「なるほど。パブリックイメージ、社会的に付与された記号的な意味の側面を重視しているのだな。」
ダ「だから、たとえば香水のにおいがして髪の毛をふわふわにしてヴィトン?マ・クベ?だかなんだかのブランドの財布を持っているような女子大生やOLがいるとする。彼女らがツイッターにこれから食べようとしている料理を画像つきでつぶやくとする。そういうのが私には『飼いならされた奴隷』のように見える。で、その食品がクレープであろうものなら平常な精神ではいられない。深呼吸して素数を数えるようなルーティンが必要になる。」
ナ「ツイッタークライアントソフトで『クレープ』をミュートワードに設定しておくといい。」
ダ「で、先日、テレビを見ていた。厳密に言うとテレビを見るのに集中していたわけではなく作業用BGMとして流していた。
あるテレビ番組でゆるふわな女性…芸能人?アナウンサー?がおいしいお店を紹介するという体であるクレープ屋に赴き、クレープを食べるというのをやっていた。それが非常に美味しそうに見え、私の食欲を刺激した。このクレープを食べたいと。」
ナ「普通の女性であればありふれたことだろうが君に限って言えば珍しいな。」
ダ「そうなのだ。
そもそもテレビというのはマスコミ。マスコミのマスというのは大きいという意味だ。要するに私が戦っている女性奴隷化強制力の主要な担い手だ。ゆるふわ美女にクレープを食べさせるという所業それ自体が罠だ。女はクレープでも食ってろという洗脳である。その意図は見え透いている。
しかし、クレープを食べたい。
これは私が洗脳されたということではないのか?
ここで私がクレープを食べてしまったら私の今までの人生を否定することになるのではないか? 奴隷解放のために戦っていた将軍が奴隷の虐殺を行うようなものに見える。」
ナ「なるほど。葛藤があると。
頭ではクレープなど食べるべきではないと考えている。
心はクレープを食べたいと要求している。
頭と心とが一致していない。」
ダ「そう。そこでナカヨシに意見を聞きたい。
もちろん、どうすればいいか決めてほしいということではない。決断は自分の責任で行う。そうでないと奴隷だ。ただ参考意見を聞きたい。判断の材料がほしい。」

ナ「第一の案。
クレープから記号的意味を剥がせばいいのではないか。
今回の問題はダム子にとってクレープが女子奴隷化圧力の権化的な食品であることに由来している。しかし、たとえばクレープの歴史について正しい知識を得れば、洗脳の尖兵というクレープ観は訂正されるだろう。そうすれば、たとえばキャベツを食べたいとか豆腐を食べたいとかの、普段食べているものをチョイスする場合との差異が生まれなくなると予想できる。」
ダ「残念ながらそれはすでに試みた。
クレープはフランスのブルターニュ地方が発祥の地で、もともとは小麦粉ではなくそば粉で作っていたらしい。そもそもそのへんの土地では小麦が作れないから蕎麦を作ってそば粉を焼いたものをパンの代わりに食べていたらしい。その薄焼きそば粉クレープのことはガレットと呼ぶ。
で、ブルターニュ地方に狩りでやってきた貴族… なんとかいう王妃だったかな?が庶民の食べていたガレットを気に入って宮廷料理に持ち込み、改良を経て小麦粉を使うようになったのがクレープなのだという。
特に日本ではクレープは独自に発展したもので、1977年に原宿で提供されだしたものが雑誌などに取り上げられてブームとなって定着したのだという。『生地に甘い果物や生クリームなどをはさむのはフランス発祥ではなく、原宿発祥のものである』とウィキペディアにはある。
つまり調べた結果、日本におけるクレープはマスコミがそのイメージ作りに関わったスイーツ=女性向けの食べ物である。
しかし、重要なのはそういう歴史なのではなくて、私の脳内にあるクレープの位置づけなのであって、仮に客観的に考えてクレープが奴隷化の手先でないことが判明しても私の心がそれを女子的食物の権化だと頑なにみなし続けるのであればそっちのほうが影響力が強い。」
ナ「なるほど。ここでも問題になっていることは今回のトピックと共通で、『心を制御できない』ということに集約していくのだな。」
ダ「私が言いたいのはまさにそういうことだ。」

ナ「第二の案。
感情に従え。
結局は頭と心、理性と感情のどっちに意思決定の手綱を握らせるかという問題になる。
私の経験で言うと人間は結局感情には最終的には逆らえない。人間は、というかべつに動物が含まれてもいいんだけど、自分で自分を完全には制御できない。感情に振り回される。
最終的には感情に逆らうことは出来ないのだと謙虚に認めることは自分は完全な存在ではないということを受け入れるということでもあり、倫理的な態度であるといえるのではないか。」
ダ「しかし、感情のままに生きるというのは、うつくしくないのでは?
たとえばニュースを見る。税金が上がる。怒りの感情が湧く。怒りの感情のままに…たとえば家族に当たり散らす。唾棄すべき行動なのでは?」
ナ「たしかにそうだ。
だから難しいところではあるが… 感情の制御は試みるべきだし、理性と感情とが対立した際にその都度葛藤を感じるということも大事なことだ。
『感情を制御する』という断定系ではなく、『感情を制御しようと試みる』という目標を方針として抱いておく。それを完璧には達成できないと理解した上で感情の制御を試みていく、感情に支配されるのではなく、感情を支配するのでもなく、感情と付き合っていこうということだな。」
ダ「クレープを食べたいという感情と向き合い、それには逆らえないということを認め、屈服すると。負けを認める分人間の器が大きくなると。」

ナ「待った。もっとポジティブにとらえよう。
女性奴隷化圧力に逆らうこと自体は真の自由ではない。この方針は逆に言えば、社会が『女性的』とレッテルを貼るものから自分を排除するという意味において逆説的に自分の自由を奪っている。
たとえば一枚の紙に絵を描くとする。教師が『女子は紙の左側半分だけに、男子は紙の右側半分だけに描きなさい』と指示するとする。
このとき、自分に禁じられたサイドだけを使って絵を描くのであれば、それは結局教師の決めた枠組みにとらわれているのと同じになる。そうではなく、画用紙の全面を、あるいは裏まで使って描くことこそ本当の解放であると。
『押し付けられている基準』から考えるのではなく、自分自身の基準から考えるのが真実の道である。」
ダ「それは… 私も常々考えていることだ。
女でないものを目指すのではなく、自分自身を目指す。
ただ、そうだな、これまでは自然に生きていてもあんまり『オンナノコオンナノコしたもの』に欲求が向くことがなかった。
なので今回の事態は、ケースとしては予測できたが実際に直面してみて改めて戸惑っている、というのに近い。」
ナ「ならば、クレープを食べることこそが、勝利につながる。真なる自分を探求するための試みを実行したという意味で、社会に勝利している。」
ダ「そう言ってくれるか。」

ダ「おそらく、私が今回の会合で欲しかったのは、それなのだ。
自分以外の手による、背中の後押しだったのだ。
どうも君には私にとって良心の検問所みたいになっていて、なにか後ろめたいことがあるとき、この検問所で『よし。行け』と言ってもらうことで気が楽になるらしい。勇気が出る。」
ナ「それは光栄なことだ。
それに、同じことは俺も感じている。ダム子は俺にとって裁判官的な…それとも検事なのか? 裁判用語には詳しくないが、とにかく良心の番人みたいに感じている。
ダム子の許さないことはできないように感じる。逆に言えばなんか罪を犯してしまったなというときでも、ダム子が理解してくれるならそれで許されたような気になるのだ。」
ダ「我々はそれぞれ良心の外部記憶装置として機能しているのだな。」

ダ「よし。じゃあ
決心した。クレープを食べに行こう。店を変えよう。実は目をつけていたクレープ屋はこの近くなのだ。」


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2. クレープ屋 店先のテーブル / おやつ時 / 土曜日

ダム子、テーブルに座っている。
出来上がったクレープをナカヨシが受け取ってテーブルに持ってくる。

ダ「これが… クレープ(イチゴバナナチョコ)… いや、もちろん見たことはあるが。」
ナ「こういうのはめったに食べないのでいい機会だ。美味しそう。」
ダ「ツイッターにスイーツ画像投稿しちゃうゆるふわモテOLの気持ちがわかる… 私は今画像投稿をしたい誘惑に駆られている。食物への喜び…というか期待かこの場合はまだ食べてないので、を具体的な行動で表現したがっているのだろうか?」
ナ「投稿するといい。今回の課題のひとつに『感情に従うという経験を積む』と言うものがあるはずだ。毒を食らわば皿までなのだから、クレープを食らわば画像ツイートまで、ということができるだろう。」
ダ「しかし私のツイッターのメディア欄にはこれまで自分で描いた作品しか載せていないというのが私の誇りの一端を担っている。」
ナ「むむ。ならば選ばねばならないな。これはある意味自身の潔癖を崩すことで人間らしさを獲得するということでもあるかもしれない。」
ダ「うーん。自分はクレープの画像をツイートしてしまうようなゆるふわな女では…いや、そうなのか…?」

ダ「わかった。決断しよう。ツイートする。自分の殻を破り自己を拡張するということは手を汚すということなのだ。」
ナ「スイーツの画像をツイートすることは罪ではない。決断を誇ることだ。」

ダ「ツイートした。いただこう。」

実食。

ナ「どうだった?」
ダ「結論から言うと美味しかった。(笑顔)」
ナ「それはよかった。」

ナ「君はクレープひとつ食べるにしてもそこに至る哲学を構築しようとするのだな。」
ダ「哲学というほどちゃんとしたものではない。」
ナ「今回の一連の行事は楽しかった。
俺は君の生き様が大好きだ。」
| 物語文章 | 12:15 | - | - | permalink |
17012004
よっしゅ。

今日考えていたアイデアはいい線いってるのではないか。これで描けるようさらにテコ入れする。

主人公は社会人でサラリーマン。おそらくプログラマーだろうが職業は作中では触れられない。
ヒロインは… 社会人? 妹? いや今回は、妹みたいな余計な属性はいらない。
SNS経由での知り合いで、趣味が合う(たとえばネトゲやpixivで知り合った)。で、比較的近所(首都圏)に住んでおり、何らかのトピックが持ち上がったときに集まって飲みつつ話し合ったりする。
そうだな。リアル私の場合、よく弟(実家に住んでるので一緒に住んではない)と一緒に映画に行く。また、pixivでの知り合いで気の合う方と一緒にやはり映画に行ったり、最近だったらFF15について語り合う会をやったりした。そういう、「こいつとは語り合える」ポジションの相手で、且つ、異性であるというもの。

お話の流れ。
■ヒロインに語りたいトピックが生じ、SNS経由で主人公と語り合おうということになり、待ち合わせの予定を決める
■待ち合わせ当日の待ち合わせ場所。集合。
■飲食店に入る。
■クレープについての話。
◇先日テレビを見ていたらどこそこのお店のクレープが美味しいと紹介されていて、食べたくなってしまった。
◇しかし、葛藤を感じている。
◇なぜならクレープというのは自分に言わせれば女子的な食べ物の権化である。
◇我々女性というものは社会から「女であれ」という圧力を常に感じている。これに抵抗することを自分の重要なポリシーにしてきた。
◇たとえばよくスイーツの画像をツイートしてる女性がいる。私に言わせればあれは社会の圧力に屈服した・もしくは洗脳された結果の危険な行為だ。
◇なので、クレープを食べるという行為は今までの自分への背信行為になる。
◇しかし、人間の感情は自分でさえ制御することは出来ない。
■ナカヨシの見解。
◇重要なのは「社会の定めた女性らしさ」に沿っているか反しているかなのではなく、己の物差しに照らしてどうかということだ。
◇クレープを口にする時、その動機が純粋にクレープを食したがっているということであればそこに不純さはない。
◇しかし、もしクレープを食べたいその理由が「クレープを食べる私かわいい」という記号的なものであるのなら、そこで初めて君のポリシーに違反するだろう。
◇クレープを食べたいというその理由が食欲から発生しているのであれば、それは罪ではない。堂々と胸を張って食べるべきだ。
■ふたりで件のクレープ屋にいく(なので実は彼らが集合していた飲食店はあらかじめそのクレープ屋の近くにセッティングされていたのだ)。
■クレープを注文する。
■手元に来たクレープを見て、嬉しみがこみ上げる。画像つきツイートをしたい欲求にかられる。「今こそ彼女たちの気持ちがわかる…!」
■「クレープの画像をSNSに投稿するような人間になりたいのかを自問せよ」とアドヴァイスする。葛藤。
■「感情に従うのも重要だ」という提案。
■SNSに投稿し、クレープを食べ、おいしい。
■「たかがクレープを食べ、SNSに飯テロをするごときのことで、これだけ真剣に悩む。私は君の生き方が好きだ」

こんな感じかな。

お話はなるべく後ろから語り始めてなるべく手前で語り終えるのがいいという。
なので、出発点はおそらく飲食店で話し合っているあたりからがいいだろう。「で、なんだい話したいことって」「うむ。実は他でもない」あたりから始める。

ほとんどが会話になるな。ベースとなる絵を描いて表情差分と吹き出しだけ入れ替える形式にする?
今回は「恋は光」が見本になっているのでできればマンガの形式のほうがいいのだが。
うーん。

まあ、一旦テキストのみで脚本(会話の設計)を作ってしまい、それから形式を考えるか。
| マンガについての考えごと | 00:45 | - | - | permalink |
17012003
アイデア練り続き。

マイ哲学女子キャラを作るためにその女性の思考をシミュレートしている。

女性はかくあるべしという屈辱的な内容の社会からの圧力がある、ということを考えた。
それに対してどういう態度をとるかという話だった。

「女に対して社会からは都合の良い奴隷になれという圧力がある。そんなものには屈しない。ではどういう女性になるべきか。それは自分がどういう人間になりたいのかということに依存する。ではどういう人間になりたいか。」

でもそれを言ったら男性にもそういう圧力はあるのではないか。「優等生であれ」「社畜であれ」。会社に都合の良い歯車としてただ黙々と働け、文句を言わずサービス残業しろ、とかそういうの。

ということは主人公の男性と哲学女子とは共同戦線を張ることになるのではないか。「他人の求めに従うのではなく自分の願いに近づくべき、では何を願う?」

ちょっと着地点を見失ってきたので確認する。
主人公とヒロインとの調和の取れた関係を描く。
何らかのアクションが行われ、その結果が描かれる。
このヒロインは一人称的女性キャラとしたく、一人称的女性キャラを描くための今回の仮説が哲学系自問自答女子である。
男女の違いをキャラ付けする際のヒントとして社会から女性に対する圧力について考えていた。

主人公とヒロインとははじめから知り合いである。
ふたりは哲学的な話をする間柄である。
どっちかが(おそらくヒロインのほうが)なんらかの哲学的話題を持ってきて、話し合いのテーマとする。
そのテーマについての考えごとを経て、「なのでこれこれをやってみようと思う」という感じで行動が起こされる。
その結果が描かれる。

うーん

ちょっと参考にまた「恋は光」を読み返していたんだけど、こちらに多少とも文脈が出来てくると見本に他人の作品を読むのは逆効果になるな。向こうは完成している。こっちはレベルが低い。やる気が削がれる。

会話劇になるだろう。お嬢様と執事のような。

いま具体的に問うべきものは何か。どんなアイデアを出せばいいか。
■作中で哲学女子が提起する問題
■作中で描かれるアクション(何らかの結果の出る行動)

哲学女子は女性としてのあるべき姿に反抗するとして、では自分はどうなりたいのか、という自問を抱く。
強い人間?
人気者?
うつくしい人間?
賢い人間?
我が哲学女子が何に価値を見出すか、というところの設定になる。
うつくしい人間になりたい、というのはあると思う。うつくしさの内容が複雑なだけで。
男女の差で言えば、やはり目で見えるうつくしさの比重の大きさか?

「今まで自分はおしゃれには抵抗してきたが最近ちょっとおしゃれに妥協点を見いだせた。そこで洋服選びに協力してもらいたい。」
→服屋に行く?

そうか、アクションから理屈を逆算してもいいのだな。

映画に行くとする。
「シン・ゴジラには恋愛要素がないという。世の一般的な女性向け映画は恋愛要素があるという。自分はシン・ゴジラを見て楽しめるだろうか。そこに世の一般女性という概念と自分という実態との間の偏差が表れるはずだ。シン・ゴジラを見に行こう。」
こういう感じ。
悪くないのでは。

理屈はあとから付け加えられる。

なのでアクションを考える。

「映画に行く」「服を買いに行く」どうもこれらは恋愛ジャンルのマンガにはテンプレート過ぎて採用したくない。映画に行くのならピクシ部でやったし。
そこで、もっと偏ったことをやらせればどうか。SFにしてしまう? 火星でサバイバルするとか。
現代の現実を舞台にしたほうが読みやすいというのはある。

どういうアクションか。
むしろおそらく、ほとんどのシーンは会話になる。だからアクション部分で奇を衒おうとすると挫折のもとになる気がする。「映画を見る」「図書館でテスト勉強する」とかみたいにありふれた(過去に描いたことのある)イベントでもOKだとするべきだ。

でもなんかビビッと来る着想でないと出発できない気がするな。



結局参考資料を読んでしまっていた。
どうも私の解釈はアクション(出来事)への比重がまだ大きい。しかし、恋は光読んでていつも重要なのは会話である。アクションは全然重要ではないのかもしれない。
「何を話すか」ベースで考えるべき? それこそ場所やシチュエーション、伴う行動(アクション面)はどうでもいいのかも。

「ちょっと話したいことがある。今日時間あるか?」
「じゃあ晩御飯一緒にどう?」
「わかった。いつもの店で。」
→次のコマからは飲み屋かなんかのシーン。
みたいに。

あっ

逆の発想か!「アクションなしで描けるか」というチャレンジとする。つまり会話のみ。結果の出るアクションすら無い。マンガの構造すら会話に依存する。「可能な限りシンプル」という方針。
「会話が面白い」という指針もあった。

「こういうふたり羨ましいなあ」という男女を描きたい。


私の人格を分与したキャラクターはうつくしくありたいという願いをコアのところで抱くだろう。
しかし人間にはうつくしくない部分が存在する。欲望とか嫉妬とか無能力とか怠惰とか。
また、人間は自分の感情を制御できない。望まない心の動きが生じることがある。
こういうのはどうだろう。哲学女子はなんらかのきっかけで醜い感情が湧いている状態。それをどうにかsolve(解決)したい。そのためにはまず話して整理することである。
うーん。
ではその醜い感情とは何か。
恋愛ものなら嫉妬であるが別にそのジャンルに寄せる必要はない。
ニュース? 最近触れたニュースで何らかの怒りを喚起するもの。で、そこで非難されているものを叩きたくなる。しかし、叩くという行為はうつくしくない。この怒りの感情を持て余す? うーん。

自分の身近から題材を取るべきではある。
最近の自分の身近というと、やはり職業問題。小康状態とは言え一生自分につきまとうだろう。しかしそれを女性キャラの口から言わせる?

あー

わかった。キモい発想だが、女性として生きている並行世界の自分をイメージし、当人にとって重要なトピックを空想する。
きっと、良い人間を目指しているだろう。
女性的魅力にではなく人間としての普遍的な価値みたいなことを考えているだろう。女性的な魅力については無頓着である。
一方で、意外と女性という性別に基づく役割意識を持っているのではないか。たとえば私がゲームをやるとき、「女の子にばかり戦わせて自分は高みの見物をしているようなのは嫌だ」という傾向がある。だからFateエクステラとか艦これとかをやる気にならない。
我が哲学女子がゲームをやるときなにを考えそうか。「支えたり癒やしたりする役割がいい」というだろう。ヒーラーを選びそう。だからhimechanという概念が嫌いなのではないか。「おれあ好きでヒーラやってるんであってちやほやされたいわけじゃねえ!」とか。そのために男性キャラを使っているかもしれない。

なるほど!「うつくしい人間を目指しているがチヤホヤされたいわけじゃない」、つまりチヤホヤされることを目指すことを不純に感じるような潔癖さを持っているのではないか。媚びたくない。
(男に)チヤホヤされたいわけでも媚びたいわけでもなく、ひととしてうつくしく価値あるものになりたいのだけど、その腑分けは難しい。

なのでオシャレ。
お洒落や化粧というのは、本質的に、チヤホヤされることを目的としているのではないか。それは卑しい所業なのではないか。もしくは社会が押し付けてくる「女はかくあるべし」という圧力に屈したことになってしまうのではないか。それはうつくしくないのではないか。

もし彼女が興味をいだいたものがガンプラやサバゲーといった「社会の一般常識から言って女の子っぽくないもの」であれば、むしろ彼女にとっては幸いなのだと思う。「それを求める自分の動機は純粋である」。哲学的に正しい。

つまり、彼女の中にお洒落や化粧への興味が湧いている。しかし、哲学がそれにブレーキをかける。しかし、話し相手であるナカヨシが肯定するのであれば哲学面での問題が解決した気になる。
ひとには「この人が認めてくれれば自分は救われる」的な、マイ裁判官というかマイメンターみたいな役割の相手がいたりいなかったりする。
マイ哲学女子とマイ主人公との間の関係は、お互いがお互いのメンターであるようなものにしたい。

整理しよう。
マイ哲学女子が珍しくなんだか女の子っぽいことに興味を持つ。哲学的にそれに葛藤がある。その葛藤について検討したいのでマイ主人公を呼び出して話し合う。ではその女の子っぽいものとは何か。
ぬいぐるみ? ポケモン? ドール? 占い? 野菜ジュース? スイーツ? BL? むしろBLは社会が押し付けるものではないから彼女的には大OKな分野だろうな。
プリキュア? シンデレラ? 婚活? 韓流アイドル? 男性アイドル? 化粧? ネイル?ネイルも男性は喜ばないことが多い→社会的圧力によるものではないか。

男社会が女性に押し付ける価値観の権化みたいな趣味(女の子っぽい趣味)に興味が湧いてしまい、それに取り組むのにあたっての免罪符を主人公との会話を通じて獲得したい、という構造。
可愛い洋服がほしい…? 私が可愛い洋服を選んで絵に描けるかというと別の話だが。

店なりアマゾンなりで見つけたある非常に女性っぽい商品にひと目で惚れ込んでしまい、欲しくなる。
しかし、それをほしいという自分の衝動が哲学的に肯定しかねる。今まで培ってきたポリシーと相容れない。
しかし欲しいという感情が消えない。
そこで腹を割って話せる相手と相談して心を整理したい。その相手が認めてくれるのであれば購入に踏み切ろうという心づもりもある。

そういうながれ。

ではマイ哲学女子はなにを欲しがっている? いかにも女性的な…
服。カバン。お人形さん。やはり服ではないか。可愛い服。したらこの子は今までどんな服を着て生きてきたんだ? ジャージ? アクセサリ? 源氏の小手?

食べ物? 彼女の脳内で「女の食べ物」の権化というものがあって、しかしそれをテレビか何かで見てすごく美味しそうに感じてしまう。じゃあ普段この子は何食ってるんだ?
でも食べ物なら描きやすい気がする。少なくとも服よりはマンガで描きやすい。

クレープではないか。「私はクレープを食べたがるようなゆるふわガールとは180度異なる方角を目指して生きてきたはずだった。クレープに屈するというのは私が積み重ねてきた生き様の背骨をへし折るということだ。」みたいな。
で、テレビか何かで見たお店でクレープを食べに行く。
おいしい!

いいんじゃない?

たぶん、「たかがクレープ食べるごときのことにそこまで考えないよ!」という読者が大半で、だからこそ、「たかがクレープを食べるのにそこまで色々考えて真剣に悩む人がいるんだなあ」、ということが感動につながる。クレープ自体がどうというより彼らの生きている世界の見え方とか生き様とかそのものが興味深いものになってくれるはずだ。自分はそう願っている。

一旦晩御飯にしつつ寝かせる。
| マンガについての考えごと | 20:05 | - | - | permalink |
17012002
着想。

哲学女子の思想のコアを求める。
つまり、哲学女子の思想が私と全く一致してしまうのであれば、ナカヨシと会話させたときに「異なる意見」が登場しない。
何らかの仮説の一点を設定し、そこを立脚点にしての思考シミュレーションの結果が彼女になるようにしないと会話が成り立たない。
たとえば「どういうマンガを描くべきか」という議論になった時、ナカヨシは「ひとの決めた物差しなんて無視して好きに描け」というだろう。哲学女子も同じことを考えるとする。すると作中で会話させた時、どっちがそれを言い出すかくらいの違いしか持ってこられない。

スタンスの差異が必要。
たとえば「恋は光」において3人目に出てくる女性は「ひとの彼氏を奪いたくなる」という嗜好の持ち主だった。主人公の西条はこれを「他人の評価で決める、いわばアマゾンで言うレビューの良い商品を選ぶようなもの」みたいな感じに解釈する。これは私も蒙が啓かれた。
3人目の女子はきちんと「思考のスタンス」が設定されている。

我が哲学女子をどう設計するか。
構造体としては自分の本質を分与させている。
その土壌に埋める最初の種が異なる。そういう感じ。それを考えるヒントは女性であるということだ。

思いつき。
彼女の好きな童話を設定する。
たとえば私(=ナカヨシ)が好きな童話は「かさじぞう」「浦島太郎」「鶴の恩返し」だ。得にならない行動がうつくしい。

童話には女の子向けというのがある。童話に限らず「女児文化」というのがあり、そこから人生のロールモデルや価値観の基本をピックアップして人格のメインフレームを構築したのだと考えられる。

仮に男性向け童話の中央に「桃太郎」があるとして、女児向け童話の中央には「シンデレラ」がある。男性として生きているとシンデレラは重要なトピックではないが女性として生きる場合にはシンデレラは重要なトピックになるのではないか。

と、いうふうにそうか。男女の性差をヒントにナカヨシからずらしていく。肉体の組成の違い、社会的に求められる役割の違い、取り巻く文化の違い。

さっき思いついたのは人魚姫。
■人魚姫のように己を犠牲にしてでも取り組むような恋情はうつくしい。
■しかし現実には己を犠牲にして愛を捧げるのに値するような素晴らしい男性は存在しないだろう。
■しかし、千億人にひとりくらいいるかもしれない。
■万一そういう男性に出会った時、人魚姫のように己を犠牲にしてでも愛を捧げられるような人間でいたい。その心構えを整えておきたい。
■江戸時代の旗本はいざ戦になったら徳川様のために命を据えてて戦う覚悟を養っていたという。そうありたい。

そういう感じ。

■「女性向け」というジャンルは大抵恋愛を指している。これが気に食わない。バトルやギャンブルが好きな女性だっている。女性は恋愛好きだとする風潮は悪しきラベリングである。
■しかし自分の好きなジャンルを精査して見るに、どうも、恋愛ものが好きらしい。
■外からのラベリングが気に食わないのだが内からの嗜好と一致してしまう。これに困惑する。

シンデレラは嫌い。これは一人称的女性キャラの基本だろう。いや、そうでもないか。「王子様が養ってくれるなら楽じゃん」という、あんまりうつくしくないタイプのキャラになるな。
人魚姫のあらすじをおさらいしよう。



救いがねえな!
王子が溺れてるので助ける。助けた際に人魚姫が王子に惚れる。王子は人魚姫に助けられたということを知らない。人魚姫はそれをどうしても伝えたい。で、魔女と取引して声と引き換えに脚を得る。王子とお近づきになるのは成功するが声が出ないので真相を伝えることは出来ない。そのうち王子が自分の命の恩人だと勘違いの相手の娘と結婚してしまう。

そんなに心惹かれる話ではない。

視野を広げよう。
女性向けコンテンツ。



いまアンデルセン童話とか「日本の昔話」「世界の昔話」なんかの本を、「自分が女性だったらどのお話を好きになるか」という視点で見てみた。
感じたのは、ろくな作品がないということだ。
昔話に女性が出てくると、ほぼ強制的に嫁さんにされてしまう。つまり社会的に女性の価値は嫁になることであると強制されている。
で、「良い嫁さん」という価値観を押し付けられる。美人で働き者。

こういう違和感というか社会からの押しつけプレッシャーを感じながら生きているのが女性なのではないか。
男から見て獲得されるべきトロフィーのような役を演じさせられる。きれいで従順で働き者。子を産む家事奴隷。性的奴隷であり子を産む奴隷でありこどもを育てる家事労働をする奴隷であり老人介護する奴隷である。社会が女性に求めるのは「男にとって都合のいい奴隷になれ」という圧力ではないか。
ということは、女性には怒りがある。いかにして社会と戦うのかという戦略が必要になる。

まてよ。社会からの圧力に対しどういう態度を選ぶか。
■洗脳を受け入れる。かわいい奴隷を積極的に目指す。
■仮面をかぶって利用する。チョロい男どもをうまく操作して社会的地位を築く。性別を超えたパワー、金だな。
■性別による押しつけに抗う。怒りと抗議を抱く。普遍的に人間としてどうあるべきかを求める。
■もっと冷めた反応。「良妻賢母になることを求められてもね〜(ドン引き) ウチラにはちょっと無理があるっしょ」みたいな。明確には言語化されないが鼻息の荒い価値観に対して距離を置く。

うーん。

お腹が空いてきたので一旦区切る。女性の視点をシミュレートするというのは良い角度かもしれない。やはり参考意見が聞ける相手がほしいのう。
| マンガについての考えごと | 14:03 | - | - | permalink |
17012001
ふたつ思いついた。

1.
「同人誌を作りたいのだがどういうマンガを描けばいいか」。これはピクシ部向けのネタでもあるんだけど。
ふたつの立場。
■Twitterやpixivで同人誌の作り方やマンガの描き方を調べ、最善の方法の道筋をつけておき、それに沿う。
■他人が言う「こう作るべき」という指針はすべて無視。他人の決めた物差しではなく、自分が物差しを決めること自体が重要なのだとする立場。
哲学女子はあらかじめネットで情報を調べてある程度まとめてくるんだけどなにが正解なのか混乱してきたという。


2.
哲学女子が「おしゃれしようと思う」といい出す。
「社会が押し付けてくる『女子はかくあるべし』に反抗して生きてきたが、逆にそれを利用してやればいいのではないか」という気づき。
主人公は「自分の物差しで美しくあろうとしていた今までのほうが真に美しかった」という。
| マンガについての考えごと | 09:25 | - | - | permalink |
17011904
考えるぞ。
アイデアを。

哲学女子の自問。

男心や女心と言った性差に基づいた心情を問う、という展開は避けたい。
男性主人公が哲学女子に女心を聞く場合、その解答としての女心を考えるのは私の脳なので、整合性が取れない。
哲学女子が男性主人公に男心を聞くという展開だと、男心を尋ねる女性を私が描くという自作自演感が気色悪いので避けたい。

性差に注目しないトピックがいい。
「恋は光」において東雲さんが抱くトピックは、「恋というものを知りたい」というものだった。これは恋愛マンガというジャンルだから、もしくは作者自身がが恋愛というトピックに興味があるからだろう。
私自身が興味を抱くトピックとはなんぞや?
うつくしさ… うつくしさはあるな。

なんか現代的なトピックで、男女ともに考えることができるものがいい。
つまり、主人公とヒロインとは盟友的な間柄で、「今日集まってもらったのは他でもない。新たな哲学的問題にぶつかったからだ。一緒に考えてほしい。」「わかった。それでその内容は?」「先日ゴミ捨て場にプラスティックゴミを捨てに行くときに気付いたのだが…」みたいな感じ。

どんなトピック…?
マンガを描く時どんな順序でアイデアを出すか。うーん。

アメリカ大統領がオバマさんからトランプ氏になった。トランプ氏は大嫌いでオバマさんのほうが2万倍くらい好きだが、ニュースや何かで情報収集した結果オバマさんよりもトランプ氏の方により詳しくなってしまった。嫌いな対象に詳しくなってしまうのはなぜか。うーん。

哲学女子が男性から告白され、それを受けようかどうか迷っている、という相談?
もっと他愛のないもの… 猫が好きか犬が好きか…

正解を求めるような内容の質問ではじめ、途中で「正解ではなく己の願いを問うべきだ」と発展するようなのはどうか。
もっと自分に寄せて考えたらどうだ。
仮に自分と似たタイプの女性の知り合いがいたとして、ひとつのテーブルに就いて何かひとつのトピックを一緒に考えたいとする。何を考えたい?
マンガのアイデア…

問いのパターン。
■なぜ○○なのか(why) : なぜ人は生きるのか/なぜ人は恋するのか/なぜ人は嫌いな相手に詳しくなるのか…
■○○するべきか(should) : 卒業式に何を着るべきか/選択科目に何を取るべきか/どんなマンガを描くべきか…
■○○とはなにか(what) : 良い人生とは何か/良い人間とは何か/幸せとは何か/恋とは何か…

■どうすれば○○できるのか(how) : どうすればあのこのハートをゲットすることができるのか…
■どこで○○か(where) : デートに行くとしてどこに行くべきか/死体を隠蔽するとしてどこに隠すべきか…

how と where は哲学的ではない気がする。

定義を問うwhat
理由を問うwhy
倫理を問うshould
これらがいい。

正解を探すと思いきや自分の理想を問う流れになる、というのにふさわしいのは、should。何を○○すべきか。
ある程度身近な話題でないとシンパシー得られないのだな。たとえばフィギュアヘッズで僚機のアサルトに持たせるのはアサルトライフルであるべきかロケットランチャーであるべきか、みたいな問いだと広い層からのシンパシーは得にくいだろう。

たとえば哲学女子が「修学旅行は私服で良いということになった。何を着るべきか」という問いを持ってくるとする。結局何を着たいのかを自問する流れになる。
うーん。

恋は光において優れているのは、主人公の見る光の正体は何なのだという謎掛けがあるところだ。やはり謎解きは優れた仕掛けだな。
謎→仮説→検証→なんか違う→次の仮説…

こう、おそらくこの着想で描くなら現実世界を舞台にするだろう。そこにちょっとSF要素なりファンタジー要素なりを入れて、それを謎にしてみたらどうか。
たとえば不思議な植木鉢を拾う。見たことのない植物。植物人間のように見える。元気がない。どうすれば元気になるか。ちょっと違うな。

ひらめきが必要な段階だ。なにかステキな問いを思いつけるとマンガに繋がりそうではあるが。

ひとつ思いつき。
哲学女子は、「女子はこうあるべき」という社会の圧力の抵抗してきた。
しかし彼女は最近、それを逆に利用してやればいいのではないかと感じた。己の本質を変えずに社会に合わせた仮面をかぶり、社会での快適さを手に入れる一助にする。屈するのではなく利用するのだ。
それについてどう思うかと。

今日はここまでにしておくか。
| マンガについての考えごと | 00:44 | - | - | permalink |
17011903
アイデア考え。
直近のヒント。
■一人称的女性キャラ
■調和のある関係

直接の参考テキスト:恋は光

物語を考える。
私がいつも思い描いている「物語の構造」は「問題→解決」というものだ。解決すべき状況があり、それが解決される。
しかし、参考にしようとしている恋愛マンガなんかはそういうくっきりした出来事が起こらない気がする。
外面的に(外界的に)解決すべき状況の推移が描かれるのではなく、キャラクターの内面での変化がこれらのジャンルでの「描くべきもの」本質なのではないか。で、その内面の変化から逆算して出来事を起こす。
そういう仮説。

検証。
恋は光第一話。
主人公が講義で出会った女性に惚れる。
交換日記をしましょうと提案する。
女性がそれを受け入れる。
これは、「問題(充足させるべき欠如)→解決」になっている。主人公は出会った女性と知り合いになりたいがなっていない(欠如)→知り合いになる。
出来事がある。

第二話。
こういう交換日記をしましたという報告。

これは「問題→解決」がないといえるな。いや、それとも、「どういう交換日記を書いたのか知りたいがまだ明かされていない」という欠如状況があり、主人公がそれを開示することでその欠如が補われる、という出来事なのだろうか。

第三話。
主人公と東雲さんがデートに行く。
デート後、その報告を北代さんに話す。
以上。
やはり問題→解決ではない?
いや待て。
これは謎解きなのか。
主人公には「恋する女性が光って見える」らしい。しかしその光の正体が厳密には何なのかわからない。
主人公は東雲さんとデートする。「その結果東雲さんは光るだろうか」という謎が仕掛けられる。結局光らなかった。
謎解きというよりも勝負と考えればいいのか。たとえばピッチャーがボールを投げる。これだけで面白い。なぜならその結末がどうなるかわからないが、結末が出ることは確定しているからだ。つまり、バッターが打つ/バッターが空振りする/バッターが見送る/キャッチャーが取る/キャッチャーが取り損ねる/ストライク/ボール/ファール/デッドボール…
このエピソードにおける「デートをする」というのは投球である。結果が気になる。結果は提示される。
「結果の出るアクション→結果」という構造?いわば try{}catch(Exception $e){} 構文だ。処理が通るかエラーで弾かれるか実行してみないとわからない。やってみないとわからない面白さ。

■アクション→結果

具体的なアイデア出し。
主人公の男性と、彼と調和の取れた関係の一人称的女性とが、何らかの結果の出るようなアクションを実行し、結果が出る。

どんな女性でどんな主人公で何を行う?
この図式における、今までのワンパターンからの改善点は、「困っている」「助ける」要素がないことだ。より汎用性が増した。

一人称的女性キャラを考えることがヒントになりそう。
彼女たちはセクシーではない。つまり、自意識として、卑下が入る。自分は魅力的でもないし美しくもない、というかそもそもなんで魅力とか美しさとか求められないといけない訳? という意識。
自分が自分をマンガのキャラとして描く時、筋肉隆々のイケメンとしては描かない。かっこいいものとしては描かない。価値判断の入らない中性的な属性の器として描こうとする。そんな感じ。価値の付与のない描き方。
どんなパーソナリティか。
自分の分身的なパーソナリティになるだろう。つまり、自分が男性性だと思っているものを属性として持つ。これは脳に性差はないという説を根拠にしている。
自分のパーソナリティを分与するとして、どういう基準で属性を選ぶ? なんらかの意図がそこには介在するはず。
マンガが面白くなるようにしたい。
と、いうか自分の本質(だと自分で思っているもの)を与えればいいのか。「自分の性格のうち特に女性的だと思われる部分」とすると、なにが女性的かというフィルターが挟まり、どうせそのフィルターは先入観や偏見を反映するだけだろう。
いや、違うな。ナカヨシと同様に自分の全人格をそのキャラに移植するつもりでいればいい。ただし、社会的要因(=社会が女性に求める属性や立場、ジェンダーってやつ)が男女でことなるので、発生から現状までの間で辿った道が違うはずだ。


すると女性キャラならではの要素を考える。こういう時こういうことをすぐに聞き取り調査できるような親しい女性(それこそ「恋は光」における北代さんのような)がいたら幸福な人生だったんだけど残念ながらいない。
「社会からの圧力」だろう。価値観の押しつけ。束縛。
■きれいでかわいくいろ
■従順であれ
■結婚してこどもを埋め
■男より活躍するな
■男に尽くせ
■家事をしろ
■こどもを育てろ
■優しくあれ
■でしゃばることなかれ

つまり、犠牲的であれ、自分のために生きるな、ということではないか。
なので、通常の女性が感じている意識は怒りではないか。

思いついた。
社会からの理不尽な押し付けに対して、どういう態度を選択するかによってどういう印象の女性になるのかが変わってくるのではないか。

■うるせえ知るか死ねと反発する。
→言葉使いが悪い。あとは… なんだろ。イライラした人間になる?

■自分がそれらの要求に答えられないのは自分がどうしようもない人間だからだ。
→自虐的・自罰的反応。暗い人間になるのでは。

■社会がそう求めるならうまくそれに応えてやればバカは騙される。
→自己演出のうまい、裏表のある人間になる。悪い女系。

脳内シミュレート。
マイ一人称的ヒロインならどういうことを考えるか。
そう、まず、彼女は頭でっかちで、考えてばかりの人間だろう。例の16分類性格診断で言えば私と同じINFP型になる。理想主義者。ポリシーに従って生きる、つまり、ポリシーがある。
彼女が求めるものは、うつくしさだろう。ただし、うつくしさの基準を外に求めない。誰が決めたのだか判らないうつくしさの定義ではなく、自分で決めようとする。うつくしさとは何か。
すると彼女は自問自答している人間で、生涯に渡る息の長い問いと、その時トピックになっている揮発性の問いとを持っている。その両方共、真の自分を探すという範疇に収まる。

これはあれだな、自分という人間を分析して構造を解釈し、性別を変えて再構築するという作業だな。自分自身をどう理解しているかというのが明らかになる。

自問自答の更に背後には、願いがある。それがその人間の抱える理想。「うつくしいマンガを描きたい」みたいな。

すると、この女性の持つ根本的な願いは何か。
■うつくしい人間になりたい
■うつくしい作品を作りたい(小説家やマンガ家や演奏家志望であるなら)
■善良な人間になりたい

「うつくしい人間になりたい」これかな。

彼女の生涯の自問はこれか。「うつくしさとは何か/なにがうつくしいのか」。ここで、社会の通念や一般常識を導入しない。自分で納得の行く答えを探す。それはどういううつくしさを自分は選びたいのかという自問になる。

大体わかってきたぞ。
既存の価値観にとらわれないが、反社会的ということではなく、コンセプト自体は綺麗事っぽい方向を向いている。

すると、作中での彼女の描かれ方は、「何らかの自問をしており、その答えを探している」となる。この属性は「恋は光」における東雲嬢と共通する。
自問女子。
そうだな、東雲さんとかぶるからアウト、ということではなく、そういう女子こそ私の担当だったのだと解釈するべきなのだ。というか今まで何故描かなかったのだろう。まさに自分のためにあるようなキャラ属性ではないのか?

ということで。
自問女子をヒロインとする。
どういう自問を抱いている?
そのお話自体でトピックになるのは揮発性の質問であるのがいいだろう。話の流れでより大きなテーマに言及されるかもしれないが、揮発性の問い→それへの解答を見出すためのアクション→何らかの結果、というサイクルが妥当だと考えられる。

哲学女子の自問。

一旦ここまで。
| マンガについての考えごと | 20:40 | - | - | permalink |
17011902
今ひらめいたヒント課題。
「女性作家の描く一人称的な女性キャラを作る」。

男性作者が女性キャラを描くと「こういう女性が好きだ」という欲望投影型になりがち。私がそのタイプ。なので黒髪ぱっつんで胸が大きくてそれ以外はスレンダーなクール系美女になる。
しかし、最近感銘を受けた恋愛マンガで特に惹かれたのは作者の投影ポジションであろうと思われる女性キャラたちだ。
■「春の呪い」の夏美さん
■「恋は光」の北代さん

この間ネットで見かけた記事で、脳に性差はないというのがあった。
「男性脳」「女性脳」は存在しない?:英国の研究結果|WIRED.jp

なのでおそらく、この女性キャラを作る際の戦略は、自分の人格の分与だろう。
「自分は男性なので女性の心はわからないから一人称的には描けない」という諦念を強くするよりは、「脳に性差はないのだから一人称的な女性キャラだって描ける」と言い聞かせることだ。



一人称的女性キャラといつものナカヨシとのふたりが主要な登場人物だとして。
ふたりに何をさせるか。お話的側面。
| マンガについての考えごと | 12:25 | - | - | permalink |
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