Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

Love & Comic 本サイトへ戻る

18111001
アイデア考え。

主人公を考えている。
やりたくないことをやらねばならない運命を変えるために頑張る。
読者にも思い当たるフシがあるというふうな作りにしてはどうか。

組織。仕事。上からの命令。
命令をやらずにするケースというと?
組織が変わる。
組織が潰れる。
転職する。

うーむ。正直言って燃えてこないな。葛藤する人物は私は別に興味ないらしい…?
僧侶の主人公はどうだったか。別に葛藤しない。哲学を持っており、それに従って生きている。それのほうが描きやすいならそれで行っても良い。

経済対詩の綱引きという要素を考えてみよう。
ヒロインがいて、彼女を巡って対立する勢力が2つある。経済を象徴するものと、詩を象徴するもの。

詩の側を考える。
* 宗教組織
* 獣や竜などの自然の側に属する人外種族
* サーカス
* 楽団
* 劇団
* バンド
* スポーツのチーム
* 海賊
* 空賊


経済の側は詩の側から逆算すれば良さそう。
まあでもありふれたものになる。会社とか役所とか警察とかだ。
この時点で自分が完全に詩の側に肩入れしているのを感じる。

もののけ姫を参考にするなら、ヒロインは最初から詩の側に属している。その集団を主催しているわけではなく中心人物に保護されている立場。
海賊だったら海賊娘。サーカスだったら看板娘的な曲芸師。宗教組織だったら教祖ではなく巫女。
対立する組織はただ利害関係が衝突するということではなく世界観自体が相容れないということであるべき…?
宗教なんて抜けて学校へ行け。でもこれだと学校で教える科学的世界観を否定しているように聞こえる。
サーカスなんて辞めて会社で働け。
劇団なんて辞めて会社で働け。
海賊なんて辞めて会社で働け。
スポーツなんて辞めて会社で働け。
うーん。全部会社で働けになる。

経済の側の着地点。
* 会社で働け
* 定職のある人間と結婚しろ
* 店を継げ
* 畑を継げ
* 軍に入隊しろ


『老人と海』では、老人はカジキを釣ろうとする。釣ったあとも持って帰るのがまた課題だったりする。カジキを征服するのが老人にとって人生の価値=詩なのだ。

経済とは何で詩とはなにか。
経済とは生きるために必要なことで、詩とは生きる意味だ。

人生を経済と一致させすぎると虚しい。
人生を使徒一致させすぎると破滅する。
両方のバランスが必要。

ではタタラバと森とは両立できなかったのか?
タタラバと森とはやはり両立不可能な関係だった気がする。

詩を駆逐しないでいられない経済。
海賊…
公的な治安維持機構と違法組織は両立できない関係だな。

詩の側に分類したものは治安もしくは風紀を乱す。
サーカスや劇団だって「風紀を乱すので取り締まる」というのが時代によってはあり得るだろう。
でもそうすると経済の側が完全に悪になるな。というか経済ではなくなるな。

なので経済の側は直接的に金に関わる所が良い。会社。商売。お店。


あんまり進んでないな。ここまで。
| マンガについての考えごと | 00:56 | - | - | permalink |
18110801
アイデア探し。

ヒント。
* 経済と詩の対立
* 冷酷なことをしなくてはならない運命にある優しい人物

主人公を強者(自分の思う通りに生きている自由人)ではなく弱者だととらえられないか。
私の主人公のナカヨシはたいてい強者だ。
しかし、私自身は社会に適応するためにいろいろ苦労したし、恐れていることもある。無職になることとか、しんどい仕事を回されることとか、キツイスケジュールで残業が続くとか。
過去の人生でも精神的な危機は数回あって、すべて現実世界との適応が問題になっている。



なので生存のために本来の自分とは別に社会に適合するためのペルソナを構築してきているはずだ。誰もが。

我が主人公も、生存のために構築したペルソナがある。で、それはそれで本人的にも模索しながら苦労して自分に快適になるようなモノを作り込んできたはずだ。
それがなんらかの不測の事態によって計算とは異なる展開になってくる。
例えば会社なりマフィアなりの組織でいいポジションを得ているとする。
本来組織行動は嫌いなのにもかかわらず。
* 収入のため
* 無能な上司に苦しめられた経験があるので自分が上に行ったほうがマシだと思った
* 職場の待遇改善のため(部下が働きやすいように)

なんだけど組織のトップが不慮の事故で死んで、トップが交代する。すると組織全体の方針が変わり、主人公が許容し難いような組織体制になっていくとか。

主人公は決して自分の人生をコントロールできているわけではない。そこで、ペルソナと本質との間に矛盾が生じ、戦いに従事せざるを得なくなる。

うーん。

具体的なアイデアがまだないが。今日はここまで。
| マンガについての考えごと | 00:41 | - | - | permalink |
18110701
考え事。

最近のヒント。
* もののけ姫の構造。ふたつの対立する概念。ふたりの母親。
* ブチャラティやジャイロ・ツェペリのキャラ造形。冷酷なことをしなくてはならない運命にいる優しい人間。

前にも書いたかもしれないけどジョジョイタリア編のブチャラティ(私がジョジョシリーズでもっとも好きなキャラ)とスティールボールランのジャイロ・ツェペリ(二番目に好きなキャラ)とは同じ構造を持ってるキャラで、冷酷なことをしなくてはならない運命にあるが本人は心優しい人間なのでそれをやりたくない。

ブチャラティ:麻薬をこどもに売るような組織に忠誠を尽くさねばならない
ジャイロ:処刑人として無実のこどもを処刑しなくてはならない

で、ふたりとも、真の自分として生きられるように戦っている。
この構造、利用できないだろうか。男性主人公側の物語として。


もののけ姫は生みの親であるエボシ御前と育ての親であるモロとがサンを巡って綱引きをするはなしだと岡田斗司夫氏が解説していた。ふたつの対立する世界観での綱引き。

この構造をヒロイン側のお話として利用できないか。

ふたつの構造をうまく融合させてひとつのまとまりあるお話にできないか。

物語全体としてはもののけ姫が下敷きになるのではないか。
* どんなヒロインか。
* 二人の母親に相当するキャラはどういうキャラか。
* 何と何との対立なのか。
* 主人公が避けたがっている運命とはなにか。
* どうすればそれを避けることができるのか。

ふたつの概念がある。大雑把に言って経済と詩。具体的には違う言葉になるかもしれないけど大筋では経済と詩。
主人公は経済から始まって詩に着地するというのでどうだろう。経済に冷酷さが属し、主人公はそこから逃れるためになにか頑張る。

アメリカに旅行に行って感じたのが宗教性の薄さ。日本のように自然を祀る神社もないしヨーロッパのように教会が街の中心ということでもない。一応教会自体はあったけど。もっと内陸のほう行くとキリスト教福音派が大きな勢力を持ってるとかもあるみたいだけど。


経済の側。
* 商売
* 都市
* 権力
* 組織
* 科学
* 合理性
* 近代
* 秩序
* 政治
* 仕事
* 軍隊
* 散文
* 正義
* 警察
* 建設
* 法律
* 裁き

詩の側。
* 自然
* 音楽
* 芸術
* 原始
* 個人
* 自由
* 宗教
* 遊び
* 罪
* 酒
* 滅び
* 恩赦
* 許し


本人は歌手をやりたがっている、大手企業の跡取りとか。
ジャイロもそうだったけど「親の仕事を継ぐ」というのはこの構造に向いている。ブチャラティは父親を救うためにマフィアに入らねばならなかったという事情があるぶんさらにうまいとおもう。

本人の意に沿わないことをやらねばならないという時、その原因は?
* 組織の論理
* 契約
* 仕事
* 立場

主人公は厳しい正義の側にいて、罪人を裁かねばならない… やはりジャイロになってしまう。先回りされている感じだ。さすが荒木先生だ。

あー待った。
主人公にとって避けたい冷酷な行動が、一般社会もしくはその作中社会においてとても名誉なものであるというのがいい。
たとえば…
とてつもない金額の懸賞金がかけられた賞金首がいて、デッドオアアライブではなく「殺した者に」賞金が贈られる。
主人公はなにかの事情で賞金稼ぎに参加することになるのだが参加するポーズだけ見せてればいいやと思っていたらその賞金首と鉢合わせしてしまう。うーん。

冷酷であるということを除けばものすごく利益になるような行動。
やはり殺しだろうな。しかも正義の名のもとに行われる。つまり悪だとされているものを殺すという行事になる。相手が人間でないのなら、狩りということになるな。
その心臓がとてつもなく高価で売れる魔物がいて、それを狩ると名誉だと認められる。森に入った主人公はたまたまその生き物が事故か何かで身動き取れなくなっているところに遭遇する。
いやダメだな。抜き差しならない避け難さがなくてはならない。

殺さなくてはならない。うーん。
冷酷なことをしなくてはならない。
借金の取り立て? レッド・デッド・リデンプション2で借金の取り立てをするイベントがあって、嫌な感じだった。

やりたくないけどやらねばならない。
なぜか。
やらない場合の代償が大きいから。
代償とはなにか。


この路線、手応えはいいな。
気付いたのが邪竜の翼は実はこの構造だったということだ。無意識にやっていたということは私の琴線に触れる構造だということだろう。
やらねばならないこと=邪竜を捕まえてこなくてはならない=冷酷な事業。
本人は邪竜を解放する。やりたいことを優先する。
邪竜の翼ではやらねばならないことのやらねばならない理由は本人の利益(命がかかってる)だった。

本人としても大枠ではその行動を肯定しているような事業。
保安官?


あんまり進まなかったがここまでにしておくか。
| マンガについての考えごと | 00:31 | - | - | permalink |
18110402
なんか考えよう。

まだ次回作のための強い牽引力を発揮するようなモチベーションは発掘できていない。

一応ヒロヴィラのアイデアの続きを考えてみるか。脳にエンジンがかかってくるかもしれない。

ナカヨシたちが人守会の主張に耳を傾ける。
別に人守会のキャラに直接語らせなくてもいいんだな。人守会もWebサイト持ってるだろうし、検索すればわかることだ。

ナカヨシたちが人守会の主張を知ったとして、どういう行動が取れる?
最終形を想定する。ミュータントも怪獣人間も人類の敵ではなく共存可能だ、と伝え、すべての種族がそれに基づいて行動する。

障害:
* 人類は他種族を信じない。
* 怪獣人間は人類への復讐行動に出る。
* ミュータントの中には共存を望むものもいるしまじで人類を支配する側になろうとするものもいる。

もし人守会からの迫害を平和裏に解決するのなら、順番として先に非人類種族の平和的意思統一が必要。
しかし、思想の自由というものがあるから、意志の統一を他人に押し付ける訳にはいかない。
人類との共存を自発的に表明する事はできる。
で、多分そういうグループはナカヨシが作らなくてもあの世界にすでに存在するだろう。
ということは人類との共存を望む非人類グループにナカヨシが入会する? そうするとチームとしての行動ではなくナカヨシ個人としての行動になるな。マーメイドは改造人間なだけで種族としては人間なので。

うーん。


なかなか脳がヒロヴィラに密着してくれない。
また別のことを考えるか。

もっと低いハードルでスタートアップできる短編が考えられないか?
あるいはいつもの路線に寄せて、「ナカヨシがなにか善いことをする」というのをショートカットしてさっさと考える?

連想が働かん。

怪獣人間たちが襲撃の報復のために都市を… いや人守会の基地を襲撃するとする。
ナカヨシたちはどちらにつくだろうか。
基本的には怪獣人間たちに与するのではないか。
人守会側に死人が出ないようにするのが精一杯か。
しかし、この襲撃がきっかけで人守会が対決姿勢に本腰を入れて暴力がエスカレートするきっかけになるかもしれない。
だったら怪獣人間たちを止めるべきではないか。
人守会の中心人物たちがいて、彼らが怪獣人間たちに命を救われるということがあれば人守会はもう活動を続けるのが難しくなるだろう。で、その際の驚異は怪獣人間たちによってもたらされるものではいけない(自作自演ではいけない)。
「争いをやめるには恩を売ることだ」という知恵を怪獣人間が持っている? ナカヨシが説得する?
すると人守会が敵とみなしている種族以外の原因によってピンチに陥る必要があるが。

「お前たちは俺たちに恩ができた。もう俺たちを攻撃するのはヤメロ」
うーん。

これがもしフィスクとデアデビルの関係だったら、フィスクは恩を受けたことなんか考慮しないだろう。
通じないやつには通じないのだ。

したらやっぱり、なるべく人を殺させないように兵器を壊すという話になるかなあ。

この辺の落とし所が難しくてなかなか続きが描けないんだよね。


複数の正義の対立みたいな複雑な構造はまだ私の力量では扱えないかもしれない。
世界をディフォルメして作中の善悪の構造を明確にするのは必要な操作かもしれない。

邪竜の翼のときは『ジャンゴ 繋がれざるもの』を下敷きにしたな。なにか下敷きにしたい映画を探すべきか…
タルコフスキー監督の『ストーカー』? うーん。


ちょっとひらめいた。ふたつの対立する概念と、間に入る主人公。
* 経済VS詩
* 科学的世界観VS神秘的世界観(自然崇拝)

もののけ姫はナウシカの作り直しだと岡田斗司夫氏が指摘している。
ナウシカももののけ姫も、科学的世界観と自然崇拝的世界観との対立だ。

科学:トルメキア、たたら場
自然:腐海、王蟲、シシ神の森

アシタカはその共生を目指す。

科学対自然という対立構造は私にもしっくり来る。
でも私にとってもっともしっくり来る構造は経済対詩だな。
2つを融合させてもいいとおもう、科学=経済VS自然=詩。

しかし自然も物理法則で動いている。ここでいう自然というのは自然を通して崇拝される神的概念のほうが核心であるはずだ。
合理主義対神秘主義?

もののけ姫のストーリーを岡田斗司夫氏は以下のように解説していた。
* エボシは実はもののけ姫の実の母親である。
* エボシは毛沢東を美女にしたらというシミュレーション的存在で、共産主義的。無神論で、科学的世界観の権化。
* タタラバでは厳しい産児制限をしていて、だからこどもがいない。それを徹底させるためにエボシ自らが子を捨ててみせる必要があった。それがサン。
* エボシは人身売買で売られたという過去を持っているので、社会的弱者が抑圧されないで生きられる理想の国を作ろうとしている。その途上にあるのがたたら場。
* 育ての親であるモロは自然神。神秘的世界観側。
* エボシはタタラバが独立国としてやっていけるようになったらサンを取り戻して人間としてきちんと育てたい。
* つまり、エボシとモロという二人の母親がサンを巡って綱引きしているというのがもののけ姫のストーリーの構造である。

対立するふたつの概念があり、その権化となるようなキャラがそれぞれいて(エボシとモロ)、ひとつの目的物(サン)をめぐって争っている。
その争いの間に入っていくのがアシタカである。

対立の基本構造自体にはアシタカは組み込まれていない。

するとこの構造を参考にするなら、まずナカヨシ抜きで経済対詩の構造を作る必要がある。
何を巡るどういう対立なのか?
昔話やなんかから応用可能な構造を見つけたい。


今日はここまでにするか。
| マンガについての考えごと | 00:52 | - | - | permalink |
18110401
なんか考えよう。

ヒント
* 真の自分に近づくということが成長
* デアデビルシーズン3のフォギー

デアデビルシーズン3をヒントに。
フォギーとマットとの関係を見本に。
マットは当初自己破壊衝動が強くて自暴自棄になっている。
フィスクに関しては当初は殺す一択しか考えていない。
しかし最終的にはフィスクは法に裁かせるべきで絶対に殺させないという方針になっている。
この方針転換に大きな影響を与えたのはフォギーだろう。

ヒーローズアンドヴィランズでこれをできないかな。
ナカヨシをフォギーの位置にしたい。でもナカヨシあいつはヴィジランテ=違法な存在だな。
絶対殺すマンがむしろ合法側にいたらどうだろう。張刑事が合法側だな。うーん。

警察組織のことになると私は全然わからないので張刑事をきちんと描く力量がないというべきだな。
新キャラを出すかな。モデルはパニッシャーになるのではないか。するとむしろデアデビルシーズン2に近づく。

いや あんまりピンときてないな。別の方角を攻めよう。


理解力…
ジャーナリストの安田純平氏の件について調べていて、テロ組織にも言い分があるというところまで理解が進んだ。
* 現代では悪の権化というとテロ組織だという印象がある
* 太平洋戦争中の日本においては悪の権化は鬼畜米英だったはず
* しかし世界史的にはナチスと手を組んでいた日本のほうが悪の権化に近い
* 当時の日本の事情でいうとABCD包囲網という経済制裁によって資源が輸入できなくなり、資源を求めて太平洋に進出せざるを得なかった
* しかしABCD包囲網が作られた原因は日本軍が中国で侵略を始めたからで、ここは言い訳ができないように見える
* しかし中国での日本軍は国の意思を無視して独断で暴走している組織だった

つまり何を悪とするのかは立場によって違う。
「身代金によってテロ組織に資金が流れてしまうのが問題だ」という論点があり、どうもこの論点自体必ずしも成立するわけではない(身代金が支払われている実態が確認し難い)らしいんだけど仮にこれを採用するとして、それでも世界史的に見れば最終的にはそのほうが世界を良い方向に導くという結果につながるかもしれない。何世紀か経ないと結果がわからないようなものだろうけど。
つまり、日本も属している国際秩序の側が実は抑圧者なのではないかという疑いがあるということだ。この場合国際秩序=アメリカという図式を念頭に置いている。ブッシュ政権は911テロへの報復としてイラクを攻めたが、その時口実になった「イラクが大量破壊兵器を持っている」というのは嘘であることが判明していて、ブッシュ一族と利害関係がある石油利権のために戦争を起こしたということがわかっているらしい。
つまりアメリカが自国内の一部の利益のためにむやみに中東に軍事的介入をして現地の人々を抑圧しているという図式は成り立つらしい。これは今もそうなのかな? 過去の話?
とにかく、中東のテロ組織はそういう、欧米からの抑圧に対抗して生まれたという側面もあるらしい。らしいばかりなのは私もきちんと勉強しているわけじゃないからなんだけど。イスラム教内での宗派対立や中東の民族対立だけが原因ではなく、欧米(日本も属している国際秩序体系)による抑圧も原因であると。
だから抑圧を受けている側にしてみればそれに対抗する抵抗勢力(テロ組織)のほうが解放軍として正義に見えるということがあるだろう。


私がマンガを描き始めた際、ジャンプの少年漫画ばかり読んでいたから、以下のようなモチベーションを持っていた。
「単純に図式化された勧善懲悪式のお話ではなくていろんな正義のある話が描きたい。」
ヒーローズアンドヴィランズは今のところ単純な勧善懲悪式に近い。

悪の権化の言い分も理解できる(正義の基準が動いていく)ようなお話を考えられないだろうか。
悪の権化など存在しないのだというメッセージになっていくような。

ヒロヴィラで今のところ悪の権化的に扱っているのは?
自分のマンガなのに設定を覚えていない。ええと…
「純粋人間種族至上主義団体」だな。固有名付けたような気がするが…
『純粋人類を脅威から守る会』略して『人守会』だ。

人守会は悪の組織として設計されている。
でもその言い分もあるのではないか。
シミュレーションしてみよう。
人守会にとっての問題意識は「このままでは人類が絶滅する」というものだ。
現在世界の覇権を握っている人類だが、それを上回る種に直面している。
* ミュータント
* 怪獣人間
* アンドロイド
現在の人類であるホモ・サピエンスはネアンダルタール人との闘争で勝利して地球の覇権種族になったという過去がある。らしい。『サピエンス全史』という本に書かれているらしい(未読)。

ディフェンディングチャンピオンである人類にとって別種族は闘争の対象である。やらなければやられる。
なので人守会の戦いは防衛にすぎないのだ。

人守会の防衛兵器に闘いを挑む時:
* 自分が人類であれば「敵に味方するのか、裏切り者!」となる
* 自分がミュータントや怪獣人間であれば想定通りの種族間闘争になる

ナカヨシはミュータントなので、種族闘争上の敵だと認識されている。
ナカヨシは「理解力」で特色付けていきたい。耳を傾ける能力。
すると人守会の中の人を新キャラとして出し、その立場を表明させるとわかりやすいな。
で、ナカヨシはその主張にも理解を示す。
ミュータントとしては「別に覇権なんか要らないから共生しようぜ」というメッセージを出していきたい。人守会に「敵視している別種族とも共存可能だ」と信じさせることができればそれが勝利になる。

以下の流れが基本形になるか。
* 聞く
* 理解する
* 提案する
* 相手がその提案にレスポンスする
* 次なる提案をする
* 交渉に入っていく


導入の思いつき。
ナカヨシが、人守会の言い分を聞くべきだなと言い出して話を聞きに行く。

一旦区切ろう。
| マンガについての考えごと | 12:11 | - | - | permalink |
18110301
なんか考えよう。

レッド・デッド・リデンプション2。
やり始めると時間が吹っ飛ぶのであんまりやらないように自制している。つまり続きが気になってしょうがない!やってしまう!というゲームではない。
どうも私はこのゲームの巨大なポテンシャルを認めつつもやめたがっているらしいな。つまらないからやめるのではなく時間の食われ方リスクが大きすぎるので深入したくない。「深入りしたくない」この表現がぴったりだな。
別の方向に興味を向けて(なんなら別のゲーム買って)RDR2からは足を洗う方向でいようかな。

映画『ヴェノム』を見た。
あんまり期待していない映画だったのだがかなり面白くて得した気分になった。
でも特に語るべき点もないかな。気楽に見て、普通に面白い、軽くて良作、という感じ。

マーベルドラマ『デアデビル』シーズン3をひと通り見た。
これは超名作だ! 素晴らしい出来だった。
ツイッターではネタバレしないように感想を言っていたけどここは私のブログなのでネタバレ込みで感想を書く。
かと言って感想が綺麗にまとまっているわけではないな。書きながらまとめよう。

まずメモ。
* フィスク許すまじ
* フィスクはお話が進むごとに印象が変化するように計算して描かれている
* ブルズアイが出てきたのが何よりエキサイティングだった
* ブルズアイの投擲アクションが地味になりがちなマーベルドラマアクションにマンガ的要素を持ち込んでいて楽しい
* 法律と正義という、デアデビルの本質に相応しいテーマに寄り添っている
* 法律の正義をあくまで信じているフォギーがマジでかっこいい

序盤の印象は「フィスクそんなに悪いやつじゃないじゃん、むしろ詩的で好感すら覚える」というものだった。
けどこれは、フィスクによる印象操作であることが判明する。フィスクはFBIを掌握してしまうんだけど、それはフィスクへの警戒を解いていた視聴者としての自分もそうなっていたに違いないという危機感を抱かせる。
で、ブルズアイ(エージェント・ポイントデクスター)にとっての心の支えの女性を殺させたあたりでやっとフィスクの本性を思い出し、こいつは絶対許せんと感じるように変化した。
で、フィスクはマットやフォギーの動きの先の先を読んで常に先手を打って罠を仕掛けてくる。フォギーの実家がすでにフィスクに逆らえないように掌握されているのが判明した際、社会に生きてる限りフィスクには誰も勝てないなと感じた。打倒すべき巨悪としてふさわしい描かれ方だったと思う。

マットたちの反撃はやっと終盤になってフィスクに効くようになっていくんだけど、フォギーの方針に感銘を受けた。
つまり、マットは「法律では打倒できない悪と戦うために」デアデビルになった。最終的には法律は役に立たないと感じているのだ。
だからマットはもうフィスクは殺すしか無いという方針で当初動いている。
一方でフォギーは法律の正義を信じている。「法を超越する者など存在しない」と言い切る。フォギーにとって殺すという選択肢は葛藤すら引き起こされていない。この法律に対する信頼性とその一貫性は感動的だった。

フォギーから感じたのは、真のヒーローはコスチュームも着てないし、ただの人なのだということだ。ただ、信念を持っていてそれを行動の原理にしているということなのだ。

で、マットも最終的には頭を冷やし、真実を知ったブルズアイがフィスクを殺そうとするのを阻止する立場になる。シーズン2でもパニッシャーに悪人を殺させないために力を尽くしていたのがデアデビルだったが、本来の彼に戻ったのだ。殺させない。殺す・殺さないで厳しい一線を引いていて、殺さない=法の正義に委ねるという選択を意味する(殴っても傷害罪だと思うんだけどそのへんはよくわからない)。

そして結局法の正義が勝つのだ。とは言っても、法律以外のものが決め手になっているが。つまり、フィスクが人々を操っていたのと同じ方法論でフィスク自身が倒されることになる。愛するものの安全が脅かされるという脅しを食らうのだ。

作中でフィスクはやたらと愛する人を大切にするんだけど、これは作劇的にはフィスクを打倒しうる切り札として必要な要素なのだ。構造が必要としている要素だ。

エージェント・ナディームが殺されるシーンはフィクションで人が死ぬシーンの中ではかなり悲しさを感じさせるものだった。
ナディームのそれまでの経緯を知っていて感情移入しているからだ。
* FBIという仕事の割には家族に十分に贅沢させてあげられていなくて、手柄を求めている
* フィスクが取り引きを持ちかけてきて、フィスクからの情報提供により大きな手柄を立てる
* 手柄のためにフィスクを信用していく
* いつの間にFBI自体がフィスクに操られており、自身もフィスクを裏切れない立場になってしまっていた
* 家族の安全にためにフィスクに逆らえない
* 殺しなどにも加担させられるようになり、自分のやっていることを恥じるようになる
* 手柄よりも正義を求める本心からの要求が強くなってくる
* 家族の安全が何よりも気になりつつ、勇気を出してフィスクを裏切る。フィスク告発の証言を行う。
* フィスクのほうが上手で、ナディームの証言ではフィスクを罪に問えない
* ナディームは「遺言として証言を残す場合は証拠能力を持つ」という例外規定を利用するため、より重大な証言を動画に残し、フィスクから派遣された殺し屋を受けて立って殺される
* この証言動画がフィスクを再び刑務所に戻す決め手になる

ナディームは失敗もしたがもっとも大事なものとして正義を選び取った男なのだ。


デアデビルのいいところのひとつは「これは自分にも関係ある話だ」と感じられることだ。
家族が危険にさらされる場合、闇雲に正義のために行動できるだろうかと自問する。
そして、ナディームから学ぶ。結局正義を選ぶしかないのだ。脅されてもなんでも、悪の側についたらもっと悪くなる。

ドラマ『アイアンフィスト』がしんどかったのは、自分には全然関係ない話だとしか思えなかったからだ。超常的な力を用いる悪の組織ザ・ハンドがいて、アイアンフィストはその宿敵として戦いを挑んでいく。自分に引き合わせて想像をふくらませることができない。自分の問題ではない。だからどうでもいい。


さて。
で、何か次のマンガに活かせるような刺激を抽出したいんだけど。うーん。
一旦区切りたいので今日はここまでにしておくか。
| マンガについての考えごと | 00:03 | - | - | permalink |
18110101
レッド・デッド・リデンプション2ばかりやってないでなんか考えよう。
その前はフォールアウト4やってたし。マンガモードから離れてゲームモードになってるらしい。

少しはマンガに脳を使おう。

レッド・デッド・リデンプション2ではなるべくひとを殺さないようにという目標でやってるんだけどシステム的にそうも行かないところもあり、また、私も安易に銃を撃ってしまう。
例えばならず者に遭遇したとして投げ縄で制圧できる可能性がある時でも相手が投げ縄の射程範囲内に行ってしまうと銃を取り出す。
殺したくないが殺したほうが手っ取り早いなというジレンマを感じながら遊んでますね。

ストーリーでは主人公はギャング団の一員なので罪のない市民の家に忍び込んで財産を盗んだりする。
所持金が増えて嬉しい半面、やはり心が痛む。
いっぽうで、ミッションに関係なくうろうろしていると突発遭遇イベントで人助けをできることがある。
* 毒蛇に噛まれたひとに薬をやる
* 馬が事故で死んじゃったひとを馬に乗せて街まで送る
* 野生動物に襲われてるひとを助ける

良いことができた際は気分が良い。

フォールアウト4では…レイダーやミュータントの頭をビルの屋上からライフルでふっとばしている印象が強い。殺さないように工夫しようとか善行をしたとかの経験は思い当たらないな。

あー

マンガのヒントの文脈を思い出そう。

* ダークファンタジー考えようと思ってあんまりモチベーションが高まらなかった。
* 邦人ジャーナリスト解放を巡るネットでの賛否両論の現象に興味をいだき自分の考えをマンガの形にできないかと思ったけどそこまでモチベーションが高まっていない。
* RDR2で善人プレイすると満足度高いのでそこからなにかヒントを得られないか。

うーん。どれもこう、強いモチベーションに結びついていないな。
ドラマのデアデビルシーズン3が面白いのでちょこちょこ見てるけどマンガに結びつくような刺激はやっぱり得られていない。

まだインプットのターンかな。投げ縄もって西部に行くか…

| マンガについての考えごと | 00:20 | - | - | permalink |
戦争とジャーナリズムについて02
法人ジャーナリスト解放の件について興味が持続しているので引き続き考えてみる。
今朝午前三時にトイレに起きた際にこれについて考え込んでしまって朝まで眠れなくなっていた。

眠れずに考えたことはツイッターに書いてたのでそれを一旦コピペでまとめよう。

---

失敗するために行動する者は存在しない いや 例外もあるな 自己破壊衝動というものもある アナイアレイションだ しかし 原則として行動は成功を目指して実施される

求人に応募してくる人間がいるからブラック企業がなくならないのだからブラック企業撲滅のために何人たりとも就職転職すべきではないという主張があると仮定して、妥当と言えるだろうか ブラック企業を目指して求職するものはいない

医療ミスで人が死ぬことがあるから医療など行うべきではないという主張があるとして、妥当と言えるだろうか 医療ミスで殺すために行われる医療は存在… するかもしれない 保険金目当てだろうね 推理小説の分野だ

難病に苦しむ患者が治療を求めて病院に来るとして、医者が「この病気は治療が難しく、医療ミスで死なせてしまって訴えられるリスクが高いので受け付けないように院長から言われています。うちでは治療出来ません」と拒絶されるとする ブラックジャック(非合法医者)の出番だな

渡航禁止というのは法的拘束力を持たない 行かないほうがいいよと推奨するのみで、国民の自由を重視している

親が子供に、ちゃんと企業に就職した方が生活が安定するからそっちのほうがいいよ、でも子供の自由を奪いたくないからフリーランスで生きていくことも禁止まではしないよ、という態度を取るとする

フリーランスで活動していた人が生活が行き詰まったとして、親がやめとけって言っていたのにフリーランスを選んだそいつがバカだ、と責められるだろうか 本人としてみれば、フリーランスイコール仕事がなくて野垂れ死ぬということとは思っていなかったはずだ それを避けるために努力していたはずだ

例えを考えるというのは自分の創作の根本的技法なのだなと感じる 例えを考えるというのは同一の・あるいは類似の構造を持つ別の表現を構築するということで その構造が「発音」であるとき、ダジャレになるのだ

---

いくつか気になっているポイントがあるみたい。分析するとええと…
* 安田氏の行動への批判が失敗やミスをしたという結果に対して行われており、フェアではない。捕まるために現地に行ったわけではない。
* 海外渡航の自由は保証されている。海外渡航の自由を行使したに過ぎない。

---

次のものは他人のツイートの引用。消えるかもしれないので埋め込みではなくテキストコピペで。
安田氏批判の典型的なポイントが列挙されていると思うので。

```
安田氏が批判されてるのは、

・必要最低限の安全対策を怠った
・本人も自己責任論を唱えていた
・テロリストに身代金が流れ、現地の人が危険に晒されている
・他の日本人も狙われやすくなった
・救出に動いた政府をなぜか批判した

からなのに、安易に「自己責任論者が批判してる!」という印象操作。
```

各個に反論できるだろうか。


---
・必要最低限の安全対策を怠った

必要最低限の安全対策とは具体的に何を指すのか。
それは専門家に聞かねば内容がわからないのではないか。
そして、海外の危険地域での取材における安全対策について詳しい専門家とは、自らの命をかけてる当事者であるジャーナリスト本人ではないのか。
「安全対策として○○をすべきだったのに安田氏はそれをしていなかった」と具体的に指摘しなくては成立しない批判だと感じる。少なくとも危険地域取材の素人である私には「必要最低限の安全対策」と聞いて思い浮かぶものがひとつもない。

少し検索してみようかな。

参考になるのはこのへんか。
ニューズウィーク「それでもフリーランス記者は紛争地へ向かう」
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/09/post-3378_1.php
引用
```
(安全対策について)
「『これをしろ、あれはするな』と言ってくれる専門のアドバイザーがいるのは、CNNやBBCといった大手だけ」と、ピーターは言う。「たいていは記者の自己判断に委ねられる。だからフォーリーも自分で考えて行動するしかなかったんだ」
```

大手は危険な取材をさせたがらず、危険な記事作成についてはフリーのジャーナリストに依存しているらしい。
なぜならフリーなら失敗したり死んだりしても「うちの責任じゃないよ」と切り捨てられるから。
そして、フリージャーナリストは資金が限られているゆえに大手であれば可能であるような十分な安全対策を事前にしにくい、という事情が見える。

つまり、「必要最低限の安全対策を怠った」という批判は、「安全対策に十分な予算をかけられるはずの大手こそが取材に行くべきであって後ろ盾の無いフリージャーナリストに危険な取材について依存すべきではない」ということではないか。

また、上記記事から読み取るとして、「安全対策」とは「専門のアドバイザーのレクチャーや事前訓練を受けること」なのかな? それが「必要最小限レベル」なのかな?

安田氏自身はそういうレクチャーや訓練は受けてないのかな? 検索すればわかるかな?
…ちょっと検索しても見つからないな。
海外渡航の安全対策でちょっと検索してでてくるのは、「危険な地域には原則として近づかない」ということみたい。現地で取材するということそのものがこれと矛盾する。
「必要最小限レベルの安全対策=危険地域に近寄らない」という図式であるなら、それは「そもそも取材に行ったのが間違い」となり、議論が後退してる気はする。


---
・本人も自己責任論を唱えていた
・救出に動いた政府をなぜか批判した

これについては… 私としてはどうでもいいや。
本人がこう言っていた系のことは結局、構造には関係なく、感情の問題でしか無い。「動く要素」だ。重要でない。
スキップ。

---
・テロリストに身代金が流れ、現地の人が危険に晒されている

この主張、まるで確定した当然の科学的事実のように語られていることが気になる。
十分に検証された主張なのだろうか。
すくなくとも、日本国政府が公式見解として「身代金の支払いはなかった」といっている。日本も払ってないしカタールも払ってない。

ソース
内閣官房長官記者会見 平成30年10月24日(水)午前 文字起こし
安田純平さん「解放」情報 菅義偉官房長官会見詳報

国連にも所属している一国の政府が公式に発表している事実と異なることを確定的事項として論じるにはよっぽどの論拠が必要なはずで、そこまでの確定力を発揮させられる手続きや機関も限られるはずだ。
国際的な学術機関だとか、ペンタゴン・ペーパーズみたいに公文書のリークを受けた新聞社だとか、そのレベルでないといけないのではないか。


「シリア人権監視団の方から、安田さんの解放にあたって、カタールが身代金を払ったという話が出ている」
これか。たしかに情報ソースとしての確度は低くないな。政府発表にはなんらかの事情がある(テロに譲歩したという発表はできない)と斟酌するなら、シリア人権監視団の情報のほうが事実に近いと判断するのはそこまで的外れではないと言えるな。

一旦棚上げ。

---
・他の日本人も狙われやすくなった

これについては、うーん。
この論法に日本的相互束縛の悪しき風潮を感じるというだけなんだけど…
いや待った。逆の立場、自分にとって有利な立場から発せられた発言でこの論法が使われたらどう感じるだろうか。賛成し得るんじゃないだろうか。
例えば…
「今回の件で『失敗した挑戦者は徹底的に叩かれる』ということが改めて確認され、他の日本人もより冒険をしなくなってしまう」
うん。それなりに聞こえる。
ということは論法自体にケチを付けるのも反論として雑か。

「他の日本人も狙われやすくなる」というのは事実なのかどうか、その上昇率は何%くらいなのか、それは無視し得ない規模のリスクなのか、ということかな。
影響力の大小の見積もりがなくてはこの批判の妥当性が検証できない。

これは私が例えで今考えた「他の日本人も冒険しなくなる」という論法においても同じ批判が成り立つ。影響の度合いの見積もりが出せないなら意味を生じない批判だ。
だから、「他の日本人も狙われやすくなった」という指摘単体では弱い。どれくらい影響があるという見積もりとその根拠がセットになった場合、その根拠の強靭度に応じて批判としての妥当性が生じると。

---
すると重要な批判はふたつになる。
・必要最低限の安全対策を怠った
・テロリストに身代金が流れ、現地の人が危険に晒されている

前者はとりあえず「だから後ろ盾のないフリージャーナリストではなく大手の新聞社が安全対策に十分な予算をかけて自社の記者を送るべきだった」というのを落とし所にしておこう。ジャーナリズム界の構造的問題があるのかもしれない(大手がフリーを鉄砲玉的に使い捨てているのかもしれない)。

後者は…
調査によるな…
政府発表よりも信頼し得る情報源があるのかどうか。「シリア人権監視団の情報」の信頼度をどの程度だと解釈するか。

いやまてよ、それが本質か? 違うんじゃないか?
仮に「テロ組織に身代金が渡っている」のが事実だとして、それでも私は安田氏の行動を是と主張するだろうかという話。
是とする。
それはだから、失敗すること前提にチャレンジを評価すべきでな無いからだと、こういうふうに深夜の考えごとにつながっていくのだ。


一旦まとめておきたい考えはこんなものかな。

これらの考え事をうまく昇華してマンガにできるのが望ましい。そのへんの変換の試みは別の機会に。

---

もう一個あったや。





重要な指摘。
私は「危険を冒したジャーナリズムが成功した際の成果が大きい」ということを自分の態度の立脚点の基礎にしている。
けれど、「当事者による情報発信」ができる時代になっているのだから、記者が入っていかずとも戦場の当事者による情報発信によってジャーナリズムが成立する可能性がある。
もし、権力による統制が強固で、通信機器が没収されて当事者による情報発信が封じ込められているというのであれば、外部の人間が入り込んで情報を伝えるのには意味がある。
しかし、シリアについては当事者による情報発信があったはず。

ええと

このへんか
https://www.bbc.com/japanese/38741175
https://www.bbc.com/japanese/38217904

そうすると、「当事者による情報発信とプロのジャーナリストによる情報発信とどちらのほうが質が上か」という議論になるのかな?
おそらく翻訳についての話も絡んでくると思う。主要な情報発信は英語で行われるだろうし、日本人は英語の記事は読まないので、リアルタイムで重要な当事者情報発信を翻訳する「翻訳ジャーナリズム」みたいなものがあれば十分なんじゃないか、という立論は可能だと思う。

うーん、この件については私はまだ定見を持ってないな。
ただ、体制として「危険地域のニュースは当事者発信の翻訳のみに頼る」としてしまうと、情報統制の行き届いた場所については手の打ちようがなくなるのでそれはまずいというのが現段階では感じることかな。


| 雑記 | 12:02 | - | - | permalink |
戦争とジャーナリズムについて01
考え事。
今回はマンガについてではなく、危険地帯でジャーナリストが取材する件について。

かなりめんどくさいテーマに足を突っ込んでいて、自分でもげんなりしてきたんだけど、調べたり考えたりせずにはいられないので、私にとって重要なテーマなんだろうなと感じる。

渡航禁止指定の危険な国で取材することが即「身代金によってテロ組織を利する」とイコール視されている論調がネット上では見て取れ、違和感を感じる。

本来何のための取材なのかというと、よりより良い世界のため(テロ組織の力を削ぐことにもつながっていく)のはず。
直接的か間接的か、テロ組織に対するダメージにつながっていくことが目的なのではないか。

ということは、もしジャーナリストの活動が成功すればテロ組織にとってマイナスである。
もしジャーナリストを捕まえて身代金をせしめればテロリストにとってプラス… 必ずしもプラスなんだろうか。いや、プラスか。世界に恐怖を与えることで影響力を講師しようとしているんだから。

つまり、テロ組織とジャーナリズムとの間で戦いがあって、勝った方がよりその目的に近づくということではないか。

すると、ジャーナリズムが戦場で取材する際に得られる成果の期待値と、失敗時にテロ組織の利益になってしまう場合の期待値とが数量的に算出でき、それが比較できれば良いはず。
だがそんなことはおそらく不可能だろう。

すると、以下の二者のどちらのほうが大きいかというのは各人が想像するしか無いんじゃないか。
1. ジャーナリズムがテロに対して与えるダメージ
2. テロ組織がジャーナリストから得られる利益

ネット上での論調で気になるのは、[1]の見積もりがゼロとして換算されているんじゃないかということ。

たとえ話。
毒餌式の殺虫剤というものがある。本質的に虫を殺すためのものだ。
で、効率よく虫を殺すために誘引効果を持っている。虫を吸い寄せる。
このとき、「殺虫剤の誘引効果で外から虫がやってきて家の害虫が増えたらどうするんだ! そんなモノ設置するな!」と文句を言うとする。

このとき、以下の2つを比べている。
* 殺虫剤によって殺せる虫の総数
* 誘引効果によって外から寄ってくる虫の総数

後者の方を大きく見積もるのはナンセンスである。と、いうのも私は過去に勤めた会社で毒餌剤を扱ってたから知識として知っているだけなんだけど。つまり誘引効果は半径数m程度にしか届かないので室内に設置した毒餌剤が室外の虫を誘引するケースは考えにくい。
毒餌剤は虫を殺す事を目的に作られているものなので、その最大の効力が発揮されるのは虫を殺すことにおいてである。


で。
戦場でのジャーナリズムが最大の効果を発揮するのはどの分野においてであろうか。
戦場の情報を伝えることでどんな効果が得られているのか。
このブログでも自分のツイッターでも、「戦場でのジャーナリズム」について考えているばかりで、そこからもたらされたニュースの内容には関心を払っていない。危険を経て届けられた折角のニュース、私自身が見てないじゃん、ということがある。
しかし、例えばドレスデン空襲とか原爆投下とか南京虐殺とかの規模の人類史的悲惨が現在リアルタイムでどこかで行われているとする。それは隠蔽されて闇に葬られるべきか、報道されて白日のもとにさらされるべきだろうか。
もし日本で虐殺が行われてて自分や自分の家族がそれで殺されるとして、その事実は闇に葬られてほしいだろうか、世界史に残って欲しいか。
それはやっぱり報道されるべきだし報道されてほしいだろう。

でも待った、文脈が詩の方に寄り過ぎた。


ジャーナリズムがテロリズムに与えるダメージについて調べるべきだという話だったんだ。
それがリスクに見合わないほどに極小なのではないかというのが問題提起。

連想するのはベトナム反戦運動とジャーナリズムだ。アメリカでの話。
ベトナム戦争の実態をジャーナリズムが国民に伝え、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストが国家機密文書ペンタゴン・ペーパーズのリークを掲載したことで、ベトナム反戦運動に火がついて終戦に向かったという認識。
一応さらっと調べると、大筋では間違ってはいないようだ。ただ、数値化はできないので私にとって都合のいい主観的なストーリーに過ぎないのかもしれないけど(反戦運動がなくてもベトナム戦争の終結の時期は変わらなかっただろうという説もあり得る気はする)。

ベトナム反戦運動という前例を根拠にすれば、戦場ジャーナリズムは戦争を阻害する可能性はあるとすることができる。
では対テロ戦争においても同じことが言えるだろうか。
少なくとも、やはり可能性があると言えるんじゃないだろうか。ペンタゴンペーパー流出事件やウォーターゲート事件のように、ジャーナリズムが歴史を大きく変えるケースというのは実在したし、それらの事件は起きる前には予想だにしないことだっただろう。
だから、現在の中東での戦場ジャーナリズムも、現段階からでは予想もつかない道筋で歴史を良い方向に大きく変える可能性はあるし、それを目指してジャーナリストたちは危険を犯して仕事しているのだと思う。


ただやっぱり、思うて学ばざればすなわち危うしだな。知識が足りない。通勤中に読む本選びのテーマに「戦争とジャーナリズム」というのを追加しよう。
| 雑記 | 20:42 | - | - | permalink |
18102701
ダークファンタジーでアイデア探してたけど、モチベーションを刺激する別のテーマを見つけた気がする。

ジャーナリストの安田純平氏がテロリストから解放された件についてだ。



安田氏の行動を是とするか非とするかで意見が分かれると思う。
私は是の立場だ。
で、自分の考えをまとめるために調べ物をしていていろいろ知った。
* 渡航禁止というのは注意勧告に過ぎず法的に禁止されているわけではない
* 身代金が払われたという事実は政府は否定している

https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201810/24_a.html

価値あるニュースというのはそれを隠蔽したがる勢力のいるニュースのことだというのは映画『ペンタゴン・ペーパーズ』かもしくは『大統領の陰謀』かで語られていたことだ。あれ?ちがうかも。

視点。
* 正義を行おうとして失敗した者を責めるのと、不正を行おうとして行われた不正を責めるのとは違う
* 権力=正義ではない。権力に逆らってでもなそうとされる正義がある。アメコミヒーローのビジランテがそのテーマ。
* 国は国民の自由を守り(海外渡航の自由を保証している)、危険に陥った国民を助けている。国けっこうちゃんとしてるじゃんという側面。
* 存在しない身代金を妬む人々。自分の信じたいものを信じるという側面。
* 書きたい記事のために事実を捏造したくなる誘惑。私も「身代金は払ってないという公式発表」を探しててどうも見つかりそうもないと感じた時(結果的には見つかったんだけど)、これは事実は捏造して記事(上記のマンガ)を書いちゃいたいなという誘惑を感じた。

アイデア探してみようね。
| マンガについての考えごと | 13:36 | - | - | permalink |
1/430PAGES | >> |
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES