Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

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17042802
アイデア練り。
だいだらぼっちVS海の怪獣のアイデアがまだ多少膨らみを継続している。もうちょっと練ってみよう。

## 話の大枠
* 地震が起こる
* 海から怪獣が現れる
* 鵠沼海岸に上陸しようとする
* 富士山の力を借りる
* だいだらぼっちが現れる
* 怪獣と戦う

## 話の細かい所の着想
* 富士山と呼応するような存在、巫女的な存在
* 怪獣の登場を予知した富士山の使いが警告に来る
* 主人公がだいだらぼっちに変身する?
* だいだらぼっちは変身してなるのではなく召喚して呼ぶだけ?
* 主人公がなんらかのカタチで富士山の化身を助け、恩返しの形でだいだらぼっちが力を貸す。

津波=海の怪獣の到来を予見し、人間社会にアナウンスするために山から巫女が派遣されてくる。この少女は… 精霊? 人間? 精霊的役割を持った人間?

山の巫女と主人公との交流が中心に描かれて、その展開と対応するように怪獣水準の話がつながる。世界系か?

| マンガのアイデア | 00:33 | - | - | permalink |
17042801
だいだらぼっち(富士山)VS海の怪獣(津波)。
これ、前回描いたマウンテンシーイングと連続性があるな。山を見て、山を拝む。
すると、山の化身みたいな少女がいて、主人公は彼女と交流し、彼女を助けようとすることで山に認められ、力を借りることができる、みたいな流れにしたらどうだろう。マウンテンシーイング2 海の怪獣襲来 みたいな。
| マンガについての考えごと | 07:06 | - | - | permalink |
17042701
考える。

ひらめき。

山から力を得て巨大ヒーローに変身するシステム。
山の神に力を借りて、だいだらぼっちに変身する。
遠景に見える山と対話する。東京が襲われた際は日本最強の山である富士山の力を借りることができる。天気が悪いと山が見えないので力を得られない。

すると変身者は山と対話できる人間?

なにと戦うのか。
巨大な怪獣?
山が力を貸すということは自然と対立する相手である。すると、むしろ巨大兵器と戦うのではないか。人間と戦う。地球防衛軍的な暴力的組織。

東京を防衛する。
東京を襲うのは人工の力である。人工のというか自然を破壊する力。
しかし、東京こそが人工の権化だ。山という自然が力を貸してまでして守るものではない気がする。
皇居を守る?
やはり日本人、人間を守る? 山岳信仰。
異教徒と戦う? しかし、日本の宗教観は寛容で、異教だからと言って排除するのは山的ではない。
海と戦う? 津波の権化としての海棲怪獣。津波対高台。東北の津波被害の歴史を持つ現代としては正しい対立の構図だ。太平洋から破壊がやってくる。

大きな地震があり、なにかと思ったら地殻の変動ではなく太平洋の海底から怪獣が現れたらしい。
鵠沼海岸に上陸しようとする。
主人公が富士山の力を借りてだいだらぼっちに変身して戦い、撃退する。

ふむ。

寝かせておこう。あんまりモチベーションが刺激されない。


のび太とドラえもんがいるとする。
のび太:ふつうの人間
ドラえもん:まさに「キャラクター」

つまり、「ザ・キャラクター!」という感じのキャラと、登場人物だよねという程度のキャラ度のキャラとがいる。

ザ・キャラクター
* アンパンマン
* ジャムおじさん
* きかんしゃトーマス
* ドラえもん
* 悟空
* ルフィ
* 仮面ライダー
* ウルトラマン
* シャア
* 江戸川コナン


登場人物
* アムロ
* 本郷猛
* ハヤタ隊員
* 大神一郎
* のび太


程度の問題だな。

で、「ザ・キャラクター!」を考えねばならないと常々思ってるんだけどうまく行ったことはない。
だけど、別に「ザ・キャラクター!」を考えなくてもいいんだなと感じている。
と言うかつまりは我が主人公であるナカヨシをたとえば変身ヒーローにしてキャラクター化できればいいのにみたいに空想するんだけどうまくいかないが、むしろ積極的に普通の人間であるポジションを志向した方がいいのではないか。ドラえもん的なお話を描くとして、ナカヨシはドラえもんポジションではなくのび太ポジションを目指す。

うーんどうだろ。

だいだらぼっち関連で少し脳が回転しているがモチベーションに繋がる発想になっていない。しかし脳がほぐれてくれば良い発想につながる可能性は高まる。悪くない。

現状のだいだらぼっちアイデアでモチベーションが高まらないのは、
* 女の子が出てこない
* うつくしい行動が描かれるわけではない
というのが原因だろう。


巨大な怪獣と巨人が殴り合ってどかーん!みたいな空想でもあんまり盛り上がらないみたいだな私は。パシフィック・リムは楽しめたんだけど。キングコング骸骨島の巨神はまあ普通だったから、怪獣ものが好きというほどではないのかもしれない。
| マンガのアイデア | 22:14 | - | - | permalink |
17042601
アイデア考え。

だいだらぼっちが海辺に山を作るという発想に付随するシーンがいくつか脳内で映像になっている。
いつも、マンガが描けるときはシーンの映像が脳内に生まれているときだ。だから状態としては悪くない。
ただ、モチベーションを刺激する力の弱い映像ではある今のところ。やはりナカヨシと美少女が出てこないとアガらない。

脳内にこれから描こうとしているお話のシーンが映像で浮かんでおり、その映像が喚起するモチベーションが強いというとき、マンガが描けている気がする。


アイデアがいつも枯渇しているので発想法の本をKindleで買って読み始めた。

今のところ参考になった手法は、

1. バグリスト
「不愉快な点」「改善したい点」「気に食わない点」というふうに、ネガティブな感想を抱いたものを列挙したリストを作る。
マンガのアイデア出しなのであればマンガやアニメやゲームや映画に接した時、その作品から感じた不満点を列挙していく。
すると、自分が何に不満を抱くのかというのを通じて自分が本当に求めているものがわかってくる。

2. ランダム性を活かす
何かを集中して考え続けていると、煮詰まってくる。
そういうとき、全然関係ない刺激を受け、そこから新たなひらめきが生まれやすいという。
まず煮詰まるくらいに考え続けるという準備状態を作り、そこからブレイクスルーを招くにあたって全然関係ない刺激を媒介にするというもの。
辞書をランダムに開くとかウィキペディアのランダムページアクセスを利用するとか普段行かない場所に行くとか、偶然性を活かすのがコツなのだという。


すぐに利用できそうなのは上記のふたつだ。
バグリストについては普段このブログで考えているやり方と似ているのでそんなに難しくないだろう。
偶然性を取り入れる方は習慣づいてないので難しそう。しかし、効果が高そう。習慣づけたい。

バグリストは蓄積していくのが良かろうということで、ネット上に置いておくことにした。
マークダウン記法が使えて便利だということで注目していたはてなブログを利用することにした。日々の考えごとはこのブログに書いて、静的コンテンツのようなメモはあっちにつけようかなと。
http://ishiitakeru.hatenablog.com/

こういう映像が脳内でアクティブであるとマンガが描けるというものをイメージする。
過去の経験から言うと、ナカヨシ(ないし、作者が投影する存在)がほぼ必須。
女の子が出てくると非常に高い効果があるが、戦いのシーンなどで必ずしも女の子が出てこなくてもモチベーションを高くできるケースもある。

常にそのキャラが脳内に巣食って無数の映像を喚起してくれるようであるとたくさんマンガが描ける気がする。
既存の有名キャラでそういう存在の代表格はスパイダーマンだ。街を歩いているとスパイダーマンのウェブで移動するシーンが空想に浮かぶ。

街を歩いてるときに映像が浮かぶような? それこそスパイダーマン的に真似したくなる動きを特徴として持っている?
自宅や会社で机(PC)に向かっているときに映像が浮かぶような? PCの画面の中から出てくるイメージとか、ディスプレイ周辺や机の上を活動権とするような存在。
遠くを見たときに映像が浮かぶ? 山のように大きな存在で、遠景に見える山に腰掛けているとか。
電車に乗っているときに映像が浮かぶ? 空間を押し広げる能力で車内を広くするとか。

むかし、「ああ今自分の脳はマンガで満たされていて幸せだなあ」と感じた原点の思い出では、ドラゴンボールのシーンが脳に満ちていた記憶がある。確かピッコロさんが出ていた(まだ敵だった頃じゃないか)。


だいだらぼっちと主人公が融合してウルトラマン的な巨大ヒーローになる?
山を作る材料になる山の素と言うのは重要アイテム(たとえば肉親の遺体)?
だいだらぼっちがアメリカ大陸に行ってアメリカに山を作る?

トンビのヒーローになって街を上空から見守る。
レーダーを展開して周囲の詳しい状況を地図で確認する。あんまり燃えないな。
おなかが減った時あんぱんまんが現れて顔をくれる…という空想は浮かんだことがないな知識としては知ってるけど。ということはあんぱんまんは意外とシーン映像喚起力が低い?

脳が回らなくなってきたのでこの辺で区切るか。
| マンガについての考えごと | 23:19 | - | - | permalink |
17042503
だいだらぼっちの話を考える。

だいだらぼっちの話そのものにフォーカスするのか、だいだらぼっちの話は大枠と捉えてその状況に内包される規模のところで活動するなんらかのエピソードにフォーカスするのか。

いくつか案。

だいだらぼっちは山を作りたがる。
街を壊されたくない人間が抵抗する。
地震と津波が来て、人間はだいだらぼっちに助けを求めるが、だいだらぼっちは今更何言ってやがるということで人間を見捨てる。
津波によって更地になった街のあとに山を作る。
→文明否定のメッセージなる。

安直に文明を否定してもしょうがない。

土壇場で泣きつかれてうんざりしているだいだらぼっちを動かすのが主人公の役回りではないか?

人物をランダムに。

人間至上主義者。キリスト教右派? 人間の作ったものこそ偉大=だいだらぼっちを魔のものととらえる。

自然至上主義者。修験者か? 人間の作ったものを卑しむ。だいだらぼっちに山を作ってもらいたい。街なんて潰して良い。

街の商店街復興委員長の…女子高生? 大学生? 痛ましさを感じさせる。

普段から防災の必要性を説いていた人物。それ見たことかポジション。

山…

街を潰して山にするのなら、やはり潰される街側の人間による街を惜しむ声がある。
んだけど、山によって災害を免れるなら山は救い主にもなる。

都市と山と津波になにを象徴させるのかという話。

象徴させる内容で私が好みがちなもの。
* 結局人間が最も恐ろしい(怪獣もの)
* 得にならない事業こそうつくしい
* 協力して何かを行うことはうつくしい

津波が来ると思っていたら怪獣が来る?

やはり主人公というか自分ポジションのキャラがいないとモチベーションが上がらないな。

だいだらぼっちの話を背景シチュエーションとして、人間の主人公が何かドラマをするというのが思いつけないか。
| マンガのアイデア | 23:25 | - | - | permalink |
17042502
だいだらぼっちのアイデアが多少膨らんだのでテコ入れしてみよう。

私の今の職場は藤沢の南側なのだが、あの辺は地形に起伏が乏しく、海が近い。しかも太平洋である。つまり津波が怖い。津波が来たらどこに避難すればいいんだろうという心配ばかりしている。
一方で、私は山が好きだ。ヨーロッパ旅行に行ったことで日本の山がより好きになった。

だいだらぼっちというのはおそらく山の神格化したもののうちのひとつだ。
山を作るのが好きであるというそのものづくり属性も面白い。

藤沢の海岸(鵠沼海岸)に山を作って津波からの避難場所にしようというのが発想の基本。

東京は広大な都市で、グーグルアースで見ると東京を中心に広い範囲で灰色の領域が広がっている。全て、切れ目のない都市だ。
私は都市が嫌いでうんざりしている。
山と人里との融合した環境、里山が好きだ。

日本のように狭苦しい国に新たに山を作るとする。日本は3/4くらいはすでに山なんだっけ?
ええと、ちょっと調べよう。
国土技術研究センターのページ
山地と丘陵地を含めるとおよそ7割。

狭くて貴重な平地はぎっしりと都市化されてしまっている。
都市を潰さないと新たな山は作れない。

山か都市か。
自然か人工か。
その選択ないしせめぎあいを描く話というのが本筋になるな。しかし、今時環境の話か?
いや、ま、これは普遍的なテーマなのだろう。人間が世界に生きる限り自然との力関係は常に問題になる。
津波とだいだらぼっちの山づくりと人間の交渉とを大きな物語として、ミクロな単位で自分の描きたいキャラなりモチーフなりをねじ込むということができないだろうか。しばらく検討してみよう。


それとは別に。

今日、会社帰り、最寄りの駅の踏切で、電車に飛び込もうとしている人物がいたらしく騒然となっていた。
該当の人物が周囲の人々に救出されて(もしくは取り抑えられて)連れ出されるまでの前後をしばらく見守っていた。
その時の自分の心理の動きを観察、吟味したい。

心理の手前に来ていた感情は、不快というものだった。本来、電車に飛び込もうと思い詰めるくらい追い詰められた事情を持つ人間を目にすれば同情の念が湧くべきであると思うのだけど、自分の平穏な日常を乱す存在ということで精神が防衛反応を示したのだと思う。
これはだから、普段マンガで描こうとしているような方向と矛盾している。電車に飛び込むくらい追いつめられた人間に生きる元気を供給できるようなマンガを描きたいというのが普段ここに書いている主要な目標であるはず、つまり電車に飛び込もうとしていたその人物こそが想定読者であるべきなのに、私の素の反応はネガティブなものだった。
これは私の精神が未熟だからだ。

よって、不快感が変化して次にやってきたのが罪悪感である。同情すべきなのだという言い聞かせが発生する。

また、電車の非常停止ボタンを押すべきだろうと感じはしたが実行しなかった。
これは、私が現場を通りかかったときにはすでに自体の多少の推移があったらしく見えたから、すでに誰かしら非常停止ボタンを押したのではないかという曖昧な事情認識があったのと、やはり面倒事に首を突っ込んで巻き込まれたくないという防衛本能との両方がブレーキになっていた。
しかし、人命優先ならさっさと押すべきであっただろう。一度誰かが押したあとでも対して問題にはならなかったと思う(アクティブ状態になっててさらに押しても無反応になるのではないかという予測も立つ)。
日常を逸脱した行為を取りたくないという保守的な反応に終止していたと言える。

面倒事に関わりたくない、ひとと余計な交渉を持ちたくない、という孤立主義がある。
それが自分の人間としての限界というか器の小ささだなと感じる。
最近は孤独というか寂しさを感じる度合いが強く、配偶者がほしいなという普段の願望もより強まっているのだけど、いっぽうでその目的にために普段の生活から逸脱した行動を取るのもめんどくさいし煩わしいなとも本気で感じることが多い。
矛盾だ。

なので、マンガに限らず、他者と関わるというのが私の人生の次のステージの主要な課題だなという問題意識はある。行動にはすぐには反映されないだろうけど、予感を抱いておけば何かのきっかけが訪れたときに瞬発力の効いた対応ができるかもしれないので予感しておこう。
| マンガについての考えごと | 21:53 | - | - | permalink |
17042501
海辺の街。
だいだらぼっちがやってくる。
だいだらぼっちは山を作りたい。
いい材料が手に入った(風呂敷に包んで持ち歩いてる)ので山を作る場所を探してる。
首都圏は徹底的に都市化されているので街を潰さないと山は作れない。
だいだらぼっちは街の住人に、ここを山にしていいかと尋ねる。
断る住人。
大地震が起こり津波が来る。
海辺の町は平たいので逃げる場所がない。
だいだらぼっちに山を作ってくれと頼む。
だいだらぼっちが山を作り、住民は津波から逃れる。
| マンガについての考えごと | 07:06 | - | - | permalink |
17042401
なんか考えよう。

楽しみにしていた「恋は光」最新刊を読んだ。
やはり面白い。かつて私をとりこにしただけのことはある。
北代さんが好きだなあ。

自分のマンガのことを考えよう。

さっき夕飯の支度をしていて浮上してきたキーワード。「描けるものを描く」。

描けるものを描ける範囲で描く。手の届かない天空ではなくて足元を見るのだ。
足元を見るとすると…
過去に描いたことのあるシリーズの続きを描くノリになる。


なう現在即効性のあるキーワードとして機能してくれるわけではないな。保留。

昨晩はひと様のキャラ(よその子)を描いた。




うるて先生の持ちキャラ。
キャラがきちんと存在していると描きやすい。

ナカヨシはどうも、操作キャラである以上の属性に乏しく、キャラが弱い。というかキャラが立ってない。

ナカヨシそのものでなくていいから看板キャラ的なものを作ってはどうか。
というかむしろきちんとキャラの立った存在を作るという趣旨ならばナカヨシとは切り離したほうがいい。

美少女キャラではなく男性キャラを作りたい。
私がなんかこう 面白キャラとしてプロデュースして売り出したいと思うようなキャラを考えると…

現実の人間ではないな。神とは妖精とかの、精霊的存在。
ぱっと連想したのは山だな。山の神?
保護者属性。父親であり、おかん属性?

だいだらぼっち? ちょっと妖怪の本でも紐解いてみるか。
その存在(種族)はそれなりにすでに広く知られているけどその中の特定の個人が認識されているわけではないという存在。

たとえばネコ。ニャンちゅうもニャロメもホワッツマイケルも全部ネコだけどそれぞれ個は違う。



ということでいま本でだいだらぼっちについて調べてみた。
彼ら巨人は何よりも山を作るのに情熱を燃やしたらしい。富士山もだいだらぼっちが作ったものだし、富士山作る材料を取るために掘った穴が琵琶湖になった。
山を作るのが大好きな無邪気な巨人のおっちゃん神だいだらぼっち。

うーん。

保留。

やはり女の子のキャラを考え、その子とコンビになる男性キャラを考え、ふたりセットの運用を考え、それらがしっくり来ればそれなりの量描ける、というパターンではないか。

結局自分の投影キャラが登場してしまうこと前提で考えたほうが近道なのかもね。
すると、
* ネタにしやすいような自キャラカスタマイズを考える。
* 自分が能動的に絡んでいきたいような相手キャラを考える。

結局はこういう女の子とネンゴロになりたいというのを妄想してその子と脳内会話すればいいのではないか。これは過去のパターンなら妹モノのマンガとかお嬢様と執事のやつとかが該当する。

いやーやっぱだめだな。ちょっと違うな。この角度をメインの入口にするのはよろしくない。

どういうシーンを描きたいかというと愛されるよりは愛するほうのシーンを描きたい。受動態ではなく能動態。親猫が子猫を舐めて毛並みを整えるような。無限に愛せる架空の存在(いとしいしと的な)を脳内に捏造し、描くことで愛を注ぐ。それが無限に行えれば無限にマンガを描ける。可能か?
私は飽きっぽいから不可能だろう。しかし、少しは描けるかもしれない。愛したいキャラ。我が子的な…
この方向は本来宗教に属する回路なのかもね。聖書物語やなんかの彫刻を延々と彫ってる芸術家がいるとして、神への愛を芸術で表現している。

よその子を描くとそのキャラの作者さんに喜んでもらえる確率が高い。
同様に、それが描かれることで広く一般に読者に喜んでもらえるようなものがあればいいんだけど難しい。
いっぽうで、自分が好きなキャラ(たとえばキュアマーメイドやキュアビューティ)を好きな絵師さんが描いてくれるとそれだけでうれしい。キュアマーメイドやキュアビューティは私のキャラではないけど、好きであるという繋がりによって我がことのように嬉しくなる。

だったら自分が好きなキャラを描いていればそのキャラが好きな同士が喜んでくれるかもしれない。二次創作でいいのでは?

うーん。

自分のアバターと永久に会話なり何らかのやり取りができるキャラ…

いや、そうじゃないな。ちゃんと終りがあることを見越すべきだ。だからちゃんと結論がある会話なり終わりのある展開の「一連」を考えるべきなのだ。どうせ永久を目指しても途中で飽きて尻切れトンボで終わるんだから、だったら結論のあるこじんまりとしたまとまった単位で何らかの小話が描ける方が良い。
なので、やはり着想が必要だな。お話を描くには着想が必要だ。それを探している。見つからない。
ある乞食が捨て子を拾って、育てる。しかし経済的に行き詰まり、餓死寸前。ところが捨て子は実はブッダで、乞食を天に昇らせる。仏教説話か!

今日はここまでにするか。
| マンガについての考えごと | 23:51 | - | - | permalink |
17042302
マンガモードを引き寄せるためにマンガについての考えごと。

手がかりワードを変えて別の角度から。

私が一枚絵をあんまり描きたがらず、最低でも1ページマンガを描きたがるのは、1ページマンガには最小単位で発生しているものが一枚絵にはないからだ。それは「ネタ」もしくは「ひねり」。

2コママンガだとして、1コマ目で描いた内容が次の展開へのレールを敷く。2コマ目でそれを裏切るまたはズラす。この動きがネタである。

たとえば
1コマ目:
 天気予報を見ながら「明日は雨か」とつぶやく。
2コマ目:
 示唆されている展開=翌日で、雨が降っている。
→このとき、2コマ目で「翌日で、雨が降っている」以外のものを描けばヒネリが発生し、それがネタになる。たとえば「(地球の爆発を描いて)しかし、明日は来なかったのだ…」みたいに描くとか。

つまり最低でも「次の展開を示唆する」「示唆された次の展開からズラす」の2つの絵が必要。キャッチボールをするのにふたりもしくは壁当て用の壁が必要なように。

なんだけど、私が例外的に一枚絵をモチベーション高く描かけるケースもある。
それは、たとえばpixiv企画とかの他人のキャラを描くとき。たとえばネット上の知人の誕生日にその人の持ちキャラを描いたりする。喜んでもらえる期待値が高い。その時はモチベーションが高い。

日常的に絵を描くハードルを下げるなら、ネタが発生しない一枚絵でも好んで描けるようになるといい。
新しいモチベーションを見いだせないか。
でも難しいんだよね。この間劇場版まどか☆マギカ叛逆の物語をアベマTVでやってたので見て、感動を新たにしたのでホチャムランでも描こうとしたんだけど、自分の絵柄で描いても公式に対する劣化コピーにしかならない。描く意味が見いだせなかった。

なので、やはりハードルの低いネタ要素を混ぜればいいのかな。
たとえばデビルほむらちゃんだったらデビルマンの技を使うとか。うーんサムいな。
一枚絵を描きたくないのは純粋な画力勝負になってしまうからで、自分は画力が低いしそこの向上に努めていないので勝負にならない戦いに挑みたくないという逃げの姿勢がある。
で、二次創作は基本的にやりたくない。自分のアバターキャラが出せる場合(アイマスとかゴッドイーターとか)はいいけど、そうでない場合はモチベーションを抱けない。マッチ売りの少女とデッドプールが描けたのは謎。デッドプールに感情移入できたんだろうね。

せっかくだからもうちょっと考えよう。既存のキャラクターでもこういう絵だったら描くモチベーションに繋がると言うものを探す。
ほむらちゃんを例題にして考える。

普通に描く→モチベーション上げる要素がない。
エロく描く→ほむらちゃんは別にエロい眼差しを向ける対象じゃない。
作中で印象に残ってるポーズを描く→だったら作品のスクショでいいじゃんとなる。

いや、無理だなこれは。やはり一枚絵は基本的に選択肢ではない。
お絵かき仲間のキャラを描くときや自キャラの女の子をエロく描くときなんかはモチベーションが高くなる。


やはりマンガが描けるようにネタを探すしかないのだ。

まて、ネタ以外のマンガならどうだ。
解説・説明マンガ。
実体験マンガ。ルポマンガ。

うーん。それについて考えるのがすでに面倒くさいくらいに興味が無いな。
却下!


そうだ、別のキーワードで「自分をより積極的にキャラクター化する」というのがあったな。
私のマンガの主人公は基本的に作者の投影である。しかし、私はそれを不利な属性・悪い癖だと考えている。
なので、殊勝な考え事をするときはいつも「主人公を自分から切り離す努力をする」という結論を導き出す。
しかし、ネット上で有名な漫画描きのひとつのタイプに、作者自身がマンガに登場するルポ系のマンガ家の人々がいる。カメントツさんとか、うちの妻どうでしょうのひととか。

つまり私ももっと現実での自分を表に出して、現実世界でもっと変な体験をし、それを描けばいいんじゃないかというのを検討しようと思ってたんだけど検討する前に結論は見えてるな。そういうのは趣味ではない。
ルポ系のマンガを描きたいという欲求は全然ないのだ。作り物語を描きたいのだ。
ただ、作者とキャラクターとの同一化の方でよりはっきりと開き直るというのはありな選択肢だと思う。そうすると主人公の描かれ方に作者の歪んだ自己認識や欲望がにじみ出る。それはおそらく私にとって恥となっても他人にとって興味を引く要素になるかもしれない。


うーむ しかし

何も思いつかん

才能もなく能力もない人間としてそれでもマンガを描きたいというニーズに特化した工夫が必要だな。


---
ファンアートか。

つまり、二次創作で良い。
と言うか二次創作に向き合う際のスタンスが鍛えられていない。

つまり、自分が生み出すものについて、全責任をというかなんだ メイドイン全部俺である必要はない。それはコンディションがいいときにできれば良い。

主要なところ全部他人が作った他人のコンテンツを、自分が描く。これは創作ではなく消費の延長。
消費のスタイルに描くことを発動させてもいいのではないか。

だから、まどマギで言えば、印象に残ったほむらちゃんのシーンはあるとは言え、それをそのまま描いてもトレスにしかならないので、ちょっとなんか付け足すなりポーズを変えるなりして、その上で描く気が湧けば描けば良い。これってなんにも言ってないなつまりそれで描く気がおこらないのがいつものパターンなのだから。
| マンガについての考えごと | 18:25 | - | - | permalink |
17042301
モンハンのせいなのかそうとばかりも言えないのか、全然マンガモードにならないので、マンガについての大体いつもの思考の流れをたどることでマンガモードへのアプローチを試みる。

自分が好んで読むマンガ・借りる映画・遊ぶゲーム、全てに共通するのはやはり戦いがあるということだ。

戦いを考える。
私にとっての戦いモノへのディフォルトの反射は「戦いものは苦手なので別のを考えよう」なんだけど、そうではなく、「自分らしい面白い戦いモノを考える」というアイデア出しの訓練をしたい。

最近読み返したスティール・ボール・ランで、サンドマンやマウンテン・ティムと言った敗れていった者たちを振り返るところが良いと感じた。誰が勝ってもおかしくなかったような面々。勧善懲悪のような非対称な図式なのではなく誰もが勝つ可能性のある対称の図式。
すると、仮面ライダー龍騎やフェイトゼロのようなバトルロワイヤルものが好きだということになる。たしかに好きだ。
ルールがあって、参加者は複数で、勝者はひとり。いや、必ずしもルールが必要なわけではないか。
たとえば宝の眠る迷宮に5人の盗賊が同時に入り込むとする。宝を手にできるのはひとりのみ、みたいなのでもいい。

戦いにフォーカスを当てるとそういう方向に希望が向く。

どういう人物を勝者として描きたいか。
心の高潔な者。
女性。

主人公はどういうポジションがいいか。
勝ちにこだわらない。
勝たせたい相手を見つけたらその人物を勝たせるように協力する。
→自らが戦いの当事者にならねばならないという成長物語の要素と絡んで葛藤を描けるかもしれない。

どういうライバルたちを描きたいか。

* 求道者。自らを高めるために戦いに身を投じている。
* 賞品を求めるもの。それを出発点として新しいより良い人生を歩み出したいと思っている。
* 復讐者。参加者の中に仇がいる。
* 快楽主義者。スリリングなゲームが楽しい。

そもそもどういうルールのどういう戦いか。
ちょっと前に課題としようとしたSFジャンルというのをヒントにすると?
最新技術を使った新しい競技を開発しようという活動があり、試験的に試合が行われる?
その世界ではすでに普通になっている競技があり、それに参加する?
現実世界ですでに競技になっているスポーツを題材に描く?

戦いをミクロに評価するとして、私はそこの何に惹かれている?
ブレイブリディフォルトのスマホゲームを最近少しやったんだけど、二時間くらい触ってもういいやとなった。やはり、モンハンに比べて戦いがつまらないので長続きしないなという感触。

戦いそのものが面白いゲームといえば。
* モンスターハンターシリーズ
* デステニー
* アーマードコアシリーズ
* スカイリム
* 地球防衛軍シリーズ

やはり、知的に楽しいというよりは動物的に楽しい(神経が刺激されるとかアドレナリンが出るとか)という要素のほうが強いと思う。するとゲームでの戦いの楽しさは直接はマンガに役に立たない。

ストーリーがある媒体でアクションがあって私が好きなのは?
* ガンダムシリーズ
* 仮面ライダーシリーズ
* ウルトラマンシリーズ
* アメコミ映画
* プリキュアシリーズ

動画ばかりだな。動きの楽しさを中央に置くとやはりマンガの役に立たない気がする。
戦いマンガ。
* ドラゴンボール
* ヴィンランド・サガ
* 青のエクソシスト
* アメコミヒーローコミック
* はじめの一歩
* ジョジョシリーズ
* NARUTO

うーん。
ドラゴンボールは私の青春期にとって神話みたいなものだった。
戦うだけでやはり楽しい…?

ガンダム系のコンテンツ、楽しさはアニメ>ゲーム>>>>>マンガだな。ガンダム系のコミックでハマったことはない気がする。ガンダムはマンガ向けではない。
ロボットというジャンルそのものがマンガ向けではない、アニメ向けだ。ロボットマンガでハマった覚えがない。
アメコミヒーローも、戦いを目当てにはしておらず、なんだろう?ヒーローを目当てにしている。戦いの描写に魅力があるわけではない。ヒーローたちのヒーローとしての行動や力関係の確認が面白い。
戦いの描写が面白かったのはなんといっても…
ドラゴンボールとハンターハンターかな。ああいう戦いの詳細をマニアックに描くのは日本のマンガならではなのかもしれない。

仮面ライダーやウルトラマンはマンガ向けではない?
バトルトロイヤルモノのマンガでハマった経験があるものは…

やはりジョジョか。ジョジョは面白い。描写がと言うか知的な側面が面白いんじゃないか? 駆け引き。ヴァレンタイン大統領が、無限の回転を食らって、生きてるジャイロを平行世界から連れてきてやるから回転を止めてくれと取引を持ちかける。ジョニーにとって選ぶのには葛藤が伴う。どっちを選ぶのかは読者には判らない。知的な楽しさである。

勧善懲悪といえば仮面ライダーと戦隊モノ。
最近の仮面ライダーの内容を毎週マンガで読むとして、面白いと感じられるだろうか。難しいかもしれない。倒されるためだけに出てくる怪人たち。うーん。

アマチュアが趣味で描く分にはどういうマンガでもいい。だからザコとして出てきた怪人が仮面ライダーを破ってもいい。そういうお話が描きたいのであれば。

こうか。私自身が戦いに参加するとして、どういう戦いだったらどういう反応を取るか。
ゲームとしての戦い。フィギュアヘッズみたいな試合に出るとして。それなりに楽しく、でもあんまり強くないプレイヤーとして戦うのみだろう。ドラマ性はない。
バトルロワイヤルなら? 自ら参加したものならそれはテレビゲームみたいなものだろう。ヌルゲーマーとしてだらだら楽しむ。強制的に参加させられるものであれば運営者に楯突くだろう。運営者に楯突くのであれば大抵その運営者を破って終わりという話になる。せっかくバトルロイヤルモノなのに結末のわかる退屈なものになる。

物語の基本は勧善懲悪。やはり戦わせ、勝負をはっきりつけることで作者の価値観・なにを美としなにを醜とするかの基準を表明することが必要か。

すると、ゲームやスポーツといった試合ものは候補ではない。

問題が起こり、解決する。そのプロセスで戦いが発生する。作者が支持を表明する価値観を体現する存在が勝つ。

うーん。

戦い自体をフォーカスする必要ないのでは?
たとえば宇宙賞金稼ぎのコンビがいるとする。おっさんと幼女。そのふたりがとても仲がよく、チームワークが良好で、楽しそうに仕事しているところを描写するとする。多分それだけで楽しい。彼らにつかまる賞金首の思想がどうとかいうのはどうでもいいものになってくる。彼らが喧嘩したりするとそっちのほうがドラマになる。うーん。

一方で。
ヒーローズアンドヴィランズでロードオブジャスティスというヴィランを描いた。ネット上でのヘイトの声を正義の基準とした正義執行人工知能。これは戦いとか正義とかをストレートに問題意識にしている。
そういうのは結構自分のスタンスに合ってる気がする。クソ真面目な姿勢。哲学水準に興味の焦点がある。
少なくともチームのふたりが些細な事から喧嘩してみたいな微妙な心理を関心にするよりは、なにが正義かみたいな哲学的命題をまな板に載せる作りのほうがしっくり来る気がする。

するとキーワードは「哲学的課題」。

戦いととらえずに言葉を変えて暴力としてみてはどうだろう。
暴力映画とは暴力を描く映画なのではなく暴力についての映画であると町山智浩氏も確か言っていた。
過去に接したことのある作品で暴力についての作品…
「1984年」だな。暴力=拷問によって人間の精神まで作り変えてしまうという人格改造の恐ろしさが描かれる。
マンガならホーリーランドがそうじゃないか。武とは暴力でありみたいな話になっていった。



いや、どうも暴力を描きたいわけじゃないというか暴力は嫌いだな。テーマにしたくない。
ウルトラマンの戦いを描きたくてもヤクザの暴力は描きたくないとかそういうノリ。戦いのほうが童話的というかフィクションの世界に属している度合いが強い。



いま秋★枝先生の短編集をアマゾンでポチってKindleで読んでいた。
恋愛が描かれている。
なぜ恋愛が描かれるのだろう。
おそらく秋★枝先生にとって恋愛が重要だからだ。
作者にとって重要な事が描かれる。
サッカーにしか興味がない人間がゾンビものを描いたりはしないはずだ。
すると私にとって戦いというものは重要であるはずだ。
戦いが重要なのか、大抵戦いが含まれるようなフィクションコンテンツが大切なのか。

うーん

ま いいいや 戦い。

普通の一般市民がなんらかの必要に迫られて戦う? NO。
戦うのはヒーローや能力者といった、戦士がいい。

万物流転。輪廻転生を信じるなら、すべての生命はひとつの生命の別の形である。ひとつの生命の全転生分の人生がひとつながりの動画になっているとして、再生バーの複数の箇所で再生させて見るとする。ある箇所では第二次大戦で日本と戦う中国兵をやっており、ある箇所では日本人として東京大空襲を受けている。敵味方に分かれて戦うというのはナンセンスである。

うーん

どうも戦いを描くなら既存フォーマットであるヒーローズアンドヴィランズでやれというのがいいらしいな。
正義とか悪とかについての堅苦しい考えごとをして何らかの命題を得られたらマンガにすると。

ヒラリー・クリントンをヒントにしてはどうか。
ものすごく凶悪なヴィランと名高い存在がやってくる。実際に会ってみると優秀で善良な偉大な人物である。情報操作による印象と実物との乖離。うーん。


うーむ
しかし
悩む。

悩め悩め。悩んでマンガが出てくるならそれで良い。
なにより、今はマンガ以外のことに悩みがない(具体的に言うと職業に悩みがなう現在では無い)。素晴らしいことだ。そういう人生を望んでいる。




たたかi
いったん戦いから離れてみるかい。

作者にとって重要な事が描かれる。
私にとって重要な事とは何か。
私にとって重要な事は過去に描いたマンガに表れているはずだ。
甲と乙とが仲良くすることであり、あたたかい関係であり、やさしい心使いであり、詩的な(得にならない)行動である。

きれいでないもの(=作者)がきれいなもの(=ヒロイン)に奉仕するという構造が好きだ。
アイカツで言うならアイカツおじさんが幼女様のために尽くすみたいな構造が良い。

幼児向けゲームにハマっている中年が主人公。同じゲームで遊んでいる幼女と顔見知りになる。そのゲーム機が人気低迷のために撤去されることになる。悲しむ幼女。主人公が一肌脱いで… 撤去の撤回は難しいだろうから何か思い出になるようなイベントをする?


戦い… 今脳内キーワードが戦いだから継続するか。
正義と悪が戦うのではなく複数の正義が戦い、作者が支持する正義が一旦勝利する?

犯罪都市で検挙率を競い合っているヒーローたち? タイガーアンドバニーがそういう内容だった気がする。

結局、自由と平等との戦いになる。
米国で言うと共和党と民主党との戦いになる。
弱肉強食か、万物平等か、という話になる。
うーん。

ヒロヴィラで考えるか。
ぬるい感じに活動しているナカヨシたちのチーム。
この世界ではヒーローたちが牧歌的にのびのびと自警活動をしている。
* 新しいヒーロー
* 新しいヴィラン
* 新しい要救助者
あたりが追加されればマンガになるかもしれない。

眠いな。昼寝するか。
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