Memo - Love & Comic - いしいたけるのマンガのサイト

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19042101
考え事。

pixivファンタジアLSの大きなオフ会があった。参加者合計で45人位じゃないかな。
去年刷った同人誌をほぼ全員に配った。これでだぶついていた在庫が一気に減ったぞ!


勧善懲悪のお話が実はかなり好きだということに気づいた。
私は高校生とかのかなり早い段階から「勧善懲悪みたいな単純なお話はダメだ」と言っていて、マンガのお話に対するほとんど自分の出発点的な態度がこれだったと言える。
なんだけど、どうも自分にとってのマンガのお話の型は勧善懲悪がマッチするように感じてきた。

勧善懲悪話。
昔のイメージでは、「ありふれた決まりきった話」で、そこが気に入らなかった。

しかし、ありふれた決まりきったはなしであることと勧善懲悪とは必ずしも同じではない。

勧善懲悪話のいいところ。
* 物語の構造がしっかりしている(悪という問題があり、それを打倒して解決する)
* 物語にクライマックスがある
* ちゃんと結論が出て終わる
* 何を善とし、何を悪として描くかで、作者の価値観を提示することができる

勧善懲悪話にも良い作品と悪い作品とがある。
悪い作品というのはその勧善懲悪観が陳腐でありふれていることだ。
たとえば悪役が以下のようであればそれは「お話のためにでっち上げた単純悪」でしかなくて、薄っぺらい。
* 世界征服を目論む組織
* 人類の絶滅を目論む破壊神
* 地球を侵略しに来る宇宙人

良い悪役というのは、「価値の選択」があることで、読者に選択を突きつけるようなものだと思う。
例えば人食いのモンスターがいるとする。
別に人をわざわざ食べる必要がなく、ただ人間を侮ってるからおちょくるように食べに来るというモンスターなのであれば、倒すことにジレンマは発生しない。お話としても倒す以外の選択肢はない。だから安直でつまらない。
これが例えば、人間が山を開発したことで食料と住処を失ったモンスターが手近で食べられるものが人間しかなくなり選択の余地がなく人間を襲って食べているというものであれば、読者にジレンマを突きつける。
* このモンスターを生み出したのは人間である
* しかし今目の前のこいつを倒さないとさらに人間に被害者が出る
* 倒すべきか?

例えば世界征服を目論む悪の組織がいるとして、読者にジレンマを感じさせるアレンジはできるか?
ウルトラセブンの「ノンマルトからの使者」がこれに当たるんじゃないかな。実は今の人類はかつては侵略者で、もともと地球はノンマルトという種族のものだったが侵略を受けて今は海底に住んでいる。それが地上を取り戻すために侵略してきた。どちらに肩入れすべき?

みたいな。

あれ、でも別に自分が描いてるのそういうタイプの敵じゃないな。

軌道修正。
私が強調したいポイントは、「何が善でなにが悪なのかを表明できる」というところだ。
だから別に悪役は倒されるのが当然であるような存在でもいいのか。

悪役の行う悪にもバリエーションがある。
* 人を食う
* 人を支配する
* 人を殺す
* 物品を奪う

悪役の行う行動が悪であるというメッセージを成立させることができる。
ただマンガのお話のための悪ということであれば「人を食う」みたいな現実離れしたものでもいいんだけど、現実世界に結びつけて悪を設計することが出来、私の目指す方向はこの系統だ。

たとえば「金持ちからは税金を取らずに貧乏人から搾取する」というのが現実世界に実際に存在する現象で、私はこれに悪を感じる。
なので、金持ちに媚びへつらって貧乏人から金や財産を巻き上げる悪役を描いてそれをぶっ飛ばすマンガを描くとする。
するとそのマンガはわかりやすい勧善懲悪話でありつつ、現実世界に投射するメッセージを持つ作品になる。
私にはそういうのが向いてるんじゃないか。

じゃあ結局その勧善懲悪話はお話にジレンマのない「悪しき勧善懲悪」にしかならなんじゃないのということなんだけど、わかってきた。ジレンマを感じさせるレイヤーが違うのかもしれない。
作中でジレンマを感じさせるのはもちろん出来たほうがいいけどそれにとらわれなくてもいいかもしれない。作中でジレンマを感じさせるほどお話としては複雑になるし主張も弱くなる。

人食いモンスターの例で言えば、「人間のせい(自分のせい)で人を喰うようになった=悪いのは自分である」となると、「何が善で何が悪なのかを勧善懲悪フォーマットで示す」という方向ではパワーが落ちる…
いや、いいのか。「人間こそが悪なのだ」という主張なのかこれは。勧善懲悪フォーマットからスタートして必ずしもその型に沿ってないけどメッセージ性という意味ではちゃんとしているのか。

まあいいや。

言いたかったのは、現実世界において何を善として何を悪とするのかというレイヤーでのジレンマが発生するのではないか、それを感じさせることができるといいんじゃないかということだ。
私が今持っている世界観では、善悪の軸は軸はひとつしか無い。
「競争」か「平等」かだ。

競争の善悪観:
* 弱肉強食の原理
* 弱者が弱く、貧者が貧しいのは、彼らが怠け者の無能だからで自己責任である
* 能力のあるものが無能のものに足を引っ張られるのは社会全体の損害であり、おかしい
* 怠け者、無能ものが悪である
* 強いもの、優れたものが社会を動かしているのだから、社会全体がそれに最適化されているべきだ

平等の善悪観:
* 強者・弱者・貧者・富者、それぞれはたまたまそうなっているだけで、責任は必ずしもその個人にだけあるわけではない
* たまたまのばらつきで幸不幸に大きな差が出るのは不公平なので、富の再分配や福祉などで公平に近づけるべき
* 不公平の拡大が悪である
* 金持ちと権力が結びついて、より金持ちに、より強い権力者になることが悪


大抵のマンガやアニメや映画では後者の平等の善悪観が描かれることが多いので、これがステレオタイプの陳腐な善悪感なのかとぱっと思われる。
なんだけど、自分の善悪観を考えるとやはり平等の側になる。お話としての陳腐さを避けるために自分の思想を曲げるというのは筋違いなので結局この善悪観を踏襲することになる。

ああそれにそうか、前者の善悪観で作られる作品がなかったかというとそうでもないんだ。
アメリカの昔の映画にあったヘイズ・コードという自主規制コードの思想家基本的には前者の競争の善悪感だ。例のアインランディ案の考え方だ。共産主義アレルギーの強い時代では後者の考え方がイコール共産主義・赤なので、悪となりがち。


はなしがとっちらかってきたので要点。
* 勧善懲悪物語で善悪観を表現できる
* 現実世界に対応を持つ善悪の表現を模索したい
* 競争と平等の軸があり、私は平等の側に肩入れする


一旦はこんなところ。
グラブルやるかな!
| マンガについての考えごと | 00:24 | - | - | permalink |
19041901
考え事。

pixivファンタジアLS反省会。
pixivファンタジアLSが追加イベント含めて終了した。
この前プチ反省会したな。追加で書くことあったかな…?

実は無い気がするな。アフターは私はいつものことながら興味が無いので終了という感じだし。
当初候補に挙げていたはがね人をメインキャラにしなかったのは正解だったというのくらいかな。
八房さんのキャラ・コルヌゥさんと擬似親子のような関係を作れたのは良かった。


いいや、今は反省会で書くことが特に思いつかないし別に考えたいテーマがあるのでそっちやる。またブログモードになればpixivファンタジアからの学びについて集中的に考えるべきことが思いつくだろう。


考えたいテーマ。
グランブルーファンタジーでマンガを描き始めたのでそれに役立つことを考えたい。

pixivファンタジアでは、自キャラの要素と交流相手の要素との交差点にネタを見出すことが多い。


* 自キャラは昔修行僧だった
* 相手のキャラは拳法使いのモンク

拳法という共通点を交差点とする。
過去に同じ寺で修行していたという設定にする。
久しぶりに組み手やろうというネタになる。

pixivファンタジアではキャラはフルスクラッチなので好きな設定にできる。
艦これ提督は画面に登場しないし公式なストーリーが殆ど無いのである程度好きに作れる。
グラブルではゲーム中にストーリーがあるので主人公を勝手に作り込むことが難しい。

と思っていたんだけど、特徴はいくらでも持たせられるなと気づいた。別に旅の目的とかそういう、ゲームの主人公としての既存の設定とかぶるところをあえて設定しなければいいだけだ。

私のグラブルアバターのキャラの設定を考える。
* 僧侶系のジョブが好き
* セクシーな女性が好き
* なのでエルーン女子が好き
* 騎空団(でいいんだっけ ギルドじゃなくて自分の船)の待遇改善に熱心
* 団員(つまり仲間になったキャラたち)にとって環境の良い船にしたいというポリシー

考えられるネタ。
* 好きなジョブ、好きなスキルをネタにする。
* 僧侶系のキャラに「そのスキルいいなあ」と絡む。
* エルーンの女子のキャラに…絡みたいけど下心丸出しの絡み方は嫌だな。
* 欲しいアイテムをネタにする(今ならニルヴァーナレプリカ、聖職者の証)
* 団員待遇改善のためにアイデアを考えて実行に移す。「○○なので○○しました」みたいなシュールなネタ振りで始まるような。
* 団員の喜びそうなことをしようとする。好物設定があるキャラならその好物を調達するとか。
* ゲームで使ってみての感想。たとえばネツァワルピリというSSRキャラを持ってるんだけど攻撃力が有意に高いのがわかってきた。
* メタなネタ。カタリナさんがFFTのアグリアスに似てるとか、ペンギーがスパイダーバースのペニー・パーカーに似てるとか。
* 運営についてのメタネタ。ガチャピンムックとか、別のマンガで描いてるガチャ巫女さんとのからみとか。

サーファーのキャラと絡むなら、
* 海に連れて行く
* 波乗りシミュレーターをグランサファーに増設する
* エウレカセブンみたいにボードで飛んではと提案する
* アメコミのシルバーサーファーと絡めたネタ
などの角度でネタを探す、みたいな感じ。

今の所お目当てのキャラはイルザさんなんだけど別にイルザさんでネタが思い浮かんでるわけじゃないな。

コンセプト
* 団員想いの騎空士
* 僧侶騎空士
* シュールなネタ
* メタなネタ
* 女の子をセクシーに描きたがる
このへん。


今日はここまで。
| マンガについての考えごと | 01:18 | - | - | permalink |
アニメ『ケムリクサ』感想
たつき監督の『ケムリクサ』を全話見たので感想を。つい感想や考察を書きたくなるところがたつき監督作品の特徴ですよね。
『けものフレンズ』は第一期は全話視聴済み、第二期は一話も見てないです。

ケムリクサで強く感じたのはけものフレンズと構造が驚くほど似てるということ。同じだと言っていい。
なので、ケモフレとケムリクサとの共通点を見出すことでたつき監督の作風の本質が見いだせる気がした。

似てると感じた点を列挙。


### 主人公が記憶喪失
主人公をかばんちゃんとわかばだとみなすなら、彼らは記憶がない状態でスタートする。
すぐに出会うことになる主要メンツ(サーバルちゃん/リンちゃんたち)はその世界の先輩だが彼女たちはその世界を詳しく説明できるだけの知識を持ってない。

### 謎解き構造
世界観に謎があり、お話が進むに連れて徐々に情報が開示されていく。
お話全体のクライマックスとは謎の核心の情報が開示されることである。

### のりものロードムービー
ケモフレではジャパリバスに乗って移動してく。
ケムリクサでは電車みたいなやつの車両に乗って移動していく。
箱型の乗り物が家として機能する。安心感のある拠点である。

### 序盤の強敵戦
ケモフレでは第一話のセルリアン戦。
ケムリクサでは橋を渡るときに遭遇するヌシ。
主人公の知恵で相手の注意を引く方法を見出し、注意を引いて隙を作り、攻撃力の高い仲間が攻撃して倒す。

### 最後の戦い
主人公のヒトが自己犠牲的に相棒を助けてピンチに陥る。
今まで遭遇してきた仲間たちが集結して力を合わせてラスボスを倒す。
主人公のヒトも無事。

### 敵は事故的存在であって悪意ではない
ケモフレのセルリアンはサンドスターが無機物に宿ることで登場する。なぜ襲ってくるのかはよくわからない。
ケムリクサのアカムシは本来無害な機械が赤いケムリクサに汚染されたもの。赤いケムリクサは事故的に生み出されたもので悪意はない。
つまりたつき監督の世界では悪は存在せず、敵は事故や謎によってもたらされる不具合である。


以後、私見。
たつき監督の作風、描きたいものの中央とはなにか、その願いとはなにかの考察。


### 正義についてのお話ではない
「悪」の存在しない世界なので、「何が悪で何が正義である」という作者の価値観は反映が避けられている。
なので社会的メッセージは動機としては絡んでこない。「主張のための作品」ではない。

### 「愛されたい」が動機ではないか
ケモフレではかばんちゃんがパーク内で唯一のヒトである。
ラッキービーストはお客様である人間にサービスするために作られた存在。
フレンズたちは本質的には「人間のための存在」ではないけど、パークは動物園をモデルにしていると考えられるのでパークを作った人間たちによって人間を楽しませるためとしてデザインされて配置された存在である。
つまり、かばんちゃんはかばんちゃんのための存在(かばんちゃんに尽くす存在)に囲まれている。

ケムリクサではわかばは地球にやってきた異星人みたいな超文明から派遣されてきた存在らしい。
判明している時間軸の最初では地球で拾った少女と暮らしてる。
この少女はわかばのことを好いている。
で、解決するべき困難の原因は彼女が作ることになるんだけど、その動機はもともと「わかばのため」である。意図に反して事故的にトラブルに発展してしまう。
で、わかばを助けるためにこの少女は自分をケムリクサ生物として分割し、分割された者たちがわかばと出会うという流れ。
つまり、本編においてわかばは自分のためを想うものに囲まれている。
* リンちゃんたちはわかばを想っていた少女の分割されたもの
* ルンバみたいなロボットは事故が起こる前からそもそもわかばに仕えていた召使い的存在
* 世界の脅威である赤霧やアカムシもわかばのために作られたものの失敗した姿

作中におけるたつき監督の位置をかばんちゃん/わかばだとみなすなら、その特徴は「その世界の中心で思慕を一身に集める存在」だということ。
解決すべき問題は不条理であったり事故であったりという「コントロール不可能な確率的ノイズ」であり、思想や立場の相容れない他者・競合相手ではない。

だから求められているのは以下のものではないか。
* 愛を受けること
* 安心(不運や不安を取り除くこと)



たつき監督の構造を真似してお話を作るとこんな感じじゃないかな。

主人公が目覚めると、巨大な屋敷の廃墟の中にいて、記憶がない。
メイドと出会う。メイドはご主人様を探しているという。
廃墟の出口目指して一緒に探検を開始する。メイドも記憶が完全ではなくこの屋敷について知識があるが不十分である。
途中、召使いロボットに出会い、このロボットは主人公を主人だとみなして尽くしてくれる。
屋敷内には攻撃してくる警備ロボット的存在がいて、これが主人公たちにとっての驚異となる。
序盤、強そうな警備ロボに遭遇する。主人公が注意を引き、メイドがやっつける。
道中、厨房係や掃除係や庭師など、屋敷に尽くす様々な職種の者たちと出会う。
話が進んでいくと、どうも主人公はこの屋敷の主人だったらしいことがわかる。
記憶を失った前後で姿が変化している。何らかの事故が起こり今の状態になったらしい。
メイドが探しているご主人さまとは主人公のことだったのだ!
この事故はメイドが主人公のことを想って何かを実行した結果起きてしまったものらしい。
警備ロボの暴走の原因を取り除くための最後の戦い。ふたりで挑み、主人公が自己犠牲的にピンチに陥り、それまでの道中で出会った仲間が集結して力を合わせてボスを倒す。
屋敷から脱出し、一味は自由な世界にともに出発していく。


たつき監督と同じ、または似たような構造を持つ過去の他の作者の作品、あったような… すぐには思いつかないが。

たつき監督構造でお話を作るときに工夫が必要だなと感じたのは、作中の仲間たちに昔から知られているはずの主人公がお話の核心に至るまではその過去を認知されないための工夫ですね。
ケモフレでは、過去に島にいた人間そのものではなくその名残である髪の毛がフレンズ化することでかばんちゃんが登場したというのがすぐには認知されないためのギミックになっている。
ケムリクサでは少女が自己を分割して記憶を封印したというのがそのギミックになっている。
なので変身とか記憶操作とかそういう仕掛けがたつき監督の今後の作品でも必ず絡んでくるんじゃないかな。


たつき監督の次回作が楽しみだ!
| マンガについての考えごと | 23:40 | - | - | permalink |
19040202
象と毒花のたとえ。

象がおり、体が巨大なので大きな日陰を作ってしまう。
毒花がおり、日光を必要とする。
毒花の咲く平原があり、象がやってくる。
象の作った日陰によって毒花に日が当たらなくなる。
毒花が象に、平原は広いんだからちょっとどいてくれと要求する。
象は拒絶し、毒花につきまとい、日光を遮り続ける。
毒花は毒針で象を刺し、象は死ぬ。


他者を抑圧することを選択すると、同時に、反作用としての闘争をも選択することになる。
抑圧との戦いには価値がある。

---

うーん。

追加ステージ最初の登場の所信声明、可能な限り短く要点だけ抑えたい。

論じる際の基本は「問い→答え」。

「オールンと戦うべきか。戦うべきである。」
これが最小構成。

次に足すべきなのは?
なぜなら、だな。

「戦いが価値を生み出すことはあるか。抑圧に苦しむ者を解放するために戦うとき、それには価値がある。」

「他者を抑圧すると、その反作用として、抑圧からの解放を求める闘争が生じる。他者を抑圧することと反作用としての闘争とはセットで選択しなくてはならない。」

「オールンは破壊と抑圧をあえて選択した。苦しむものが増えるだろう。戦って打倒することには価値がある。」

「戦おう。」

まあこんなものだな。象と毒花の例えは… あったほうがいいがページ数増やしたくない。うーん。

| マンガについての考えごと | 23:33 | - | - | permalink |
19040201
pixivファンタジアLS考え事。
一応3月いっぱいで本編は終わったんだけど追加イベントがあることが判明したのでまだ続く。

ここまでの振り返り。
一応毎回のpixivファンタジアの平均と同じくらいは量が描けたと思う。自らに課した課題は「たくさん描く」なので、その点は合格としたい。

今回の学びはあるかな?
* やはり僧侶はしっくり来る。動かしやすい。ジョブ選択は正解だった。
* 一方で安定しすぎていて劇的な展開はなかったが、そういうのは自創作でやればいいので別に良い。
* 保護者・師匠・メンター的ポジションを明確に意識して動かした。やはり予想通りしっくり来る。

振り返ると全般的に意外性はなくておおよそ目論見通りに推移していたようだ。発見があったということはあんまりなく、経験値が増えたというところかな。



追加ステージのための考え事。
ボスのオールンの説明にはこうある。

ファイアランドに仕える天才発明家であり武器商人。
飽くなき自己誇示欲と好奇心から、想像と破滅を求めるあまり倒錯した性格を持つ人物。
自身の創造物を用いた破壊や、物事を思い通りに動かすことを至高の喜びとしている。
ファイアランド工廠にて密かに作らせていた要塞と兵器を使いラスト大陸に破壊をもたらす。


考えるべき点。
* 万物の調和の観点に照らして、このオールンを調和の中に配置することはできないか
* オールンの選択うを尊重するべき


万物の調和というのは万物が抑圧されない状態で持続可能な世界を目指している。
オールンの求める「物事を思い通りに動かすこと」というのは、他者をそれ自身の自由によってではなくオールンの意思に従わせて動かすことだと解釈できる。つまり抑圧だと考えられる。
破壊や抑圧を自ら行うものはそれ単体で調和と矛盾する。

それ自身の自然なあり方を突き進めていった結果、調和を乱す存在がいるとする。というか全ての存在は多かれ少なかれ調和と矛盾する。
万物調和の思想はそれを「配置」によって解消しようとする思想ではなかったか。
破壊を求めるものがいるなら破壊を必要とする場所に配置する。ビルの解体現場とか。
今回のオールンを「そのままで」調和的に配置することはできないか。
仮に、外宇宙からの侵略者なんかが来て、それと戦わせるみたいなことができればいいかもしれない。
しかし、現時点で与えられた条件では調和の中に配置することはできないだろう。

調和という全体と自由な個人とのどちらを支持するのかというテーマになってくる。
調和を乱すことが即・悪判定であるのなら、それは直ちに抑圧になる。全体主義だ。
しかし一方で、じゃあアサルトライフル持って通勤時間帯の新宿駅でそれを乱射する自由も保証されるのかというとそれはおかしい。
0か100かで考えるべきではない。

条件をつけるべきだ。○○ならば許容し、○○ならば排除すると。
他人を抑圧することが無いのであれば許容する。
発明家らしく発明するだけなら許容する。
発明を使って人の財産を破壊するのなら許容しない。
自身の意見や思想を表明するのは許容する。
策略をもちいて他人を自分の思い通りに操作しようとするのなら許容しない。
ということは、私の中で優先順位があり、世界の調和>個人の自由となっている。
いや、バランスなのか? 全体の調和のために個人が犠牲になるのならそれは悪しきイデオロギーだ。
構成要素を個人のみに絞ってはどうか。あなたは他人に抑圧されるべきではなく、あなたは他人を抑圧するべきではない。抑圧しないこととされないこととがトレードオフになる。そうか!

オールンは破壊を求めることで多くの人々を抑圧しようとしている。他者に行う抑圧の分、その反作用として戦いを挑まれる。
自由でありたいのなら、抑圧を、破壊をやめれば良い。

その上で、世界から討伐対象にされようが制限なく破壊を求める生き方を選んだのなら、その選択は尊重される。選択自体は客観的な良いも悪いもない。但し、反作用として討伐対象になる。討伐対象になることも含めた選択だと解釈するべきなのだ。


ということで。
追加ステージへの参加の最初の投稿ではいつものパターンでナカヨシの所見を述べさせることになる。
今回得られた重要な所見。
* 抑圧しないこととされないこととがトレードオフになる。

オールンの選択は世界と戦うことを含んでおり、それは尊重するし、戦って阻止することは調和に近づく価値がある。


なんだけどちょっと待った。
自らの意思(選択)に関係なく周囲を抑圧しなくては生きていけない存在がいるとしたらどうなる?
他者を抑圧しない生き方を誰もが自由意志で選択可能だという世界観を前提にしている。
しかし、現実はそうではないのではないか。
例えば介護を受けねば日常生活ができない人がいるとする。介護者の時間を奪っていると解釈すれば「抑圧しなくては生きられない」。
一方で助け合いという考え方がある。
誰もが他人に助けられなくては生きていけないので助け合って生きようという態度。

* 他人を抑圧しなくては生きられない
* 他人に助けてもらわねば生きられない
* 他人を抑圧しないように生きよう
* 他人を助けて生きよう

プラス・マイナスの考え方だな。
それと意思選択の要素。


* 他人を抑圧する・マイナス評価・選択
* 他人に助けてもらう・マイナス評価・非選択
* 他人を助ける・プラス評価・選択
* 他人を抑圧しないようにする・プラス評価・選択

選択できないものに関してはしょうがない。
しかし、マイナスを選択してはならない。これは言っていいんじゃないか。
選択したのではなく、好むと好まざるとにかかわらず世界との不調和を生み出す要素があるとして、それは許されるべきだ。
一方で、世界の調和を乱す選択があり得て、それは許すべきではない。許されたいのであれば選択しなければいいのだから。


オールンは世界の破壊と他者の抑圧を選択した。その選択は許されるべきではない。撤回すれば直ちに許されるだろう。撤回しない限り戦いは挑まれる。こうだな。


一旦区切る。
| マンガについての考えごと | 21:34 | - | - | permalink |
19032301
pixivファンタジアLS考え事。

ネタ切れ。

最終章用の大きめの動きとして空飛ぶ避難所である天空船窓寺を出したが、反省点も多い。
1. ナカヨシは労せずして巨大で超常的な寺を手に入れる。デウスエクスマキナ的。
2. 設定が増えただけでなんらかの行動がされたわけではない。


天空船窓寺は価値のある施設なので、本来ならこれを手に入れるために困難を乗り越えるべきだ。テレビゲームだったら天空船窓寺を手に入れるクエストがあり、どこぞの塔に登って守護者の試練を受けてクリアして初めて開放されるようなもの。棚ぼた式にいきなり手に入っているのはご都合主義だ。
なんだけど、pixiv企画ではしょうがないところでもある。自分自身が考えた試練にナカヨシが挑むというのを数本描いても結局自作自演だし、そういうのは企画ではなく自創作でやるべき。
PFFKで魔法生物を作ったときのように段階を踏んで手に入れていくというのもいいんだけど今回はそこまできちんとした構想ではなかった。


天空船窓寺が出現したのはいいけどナカヨシが何らかのアクションをしたわけではない。
マンガはやっぱり行動が重要なので、最終章に向けた行動が本当は欲しい。
なんだけどでも別に戦いに参加したいわけではない。
戦争反対を訴えたりソレスタルビーイングみたいに戦争根絶を唱えて戦場に介入していくというのもやる気がしない。戦争回として楽しんでいる参加者さんたちに水を差すことになるので。
すると、戦争に逃避的になる。
行動するならアンチ戦争的な行動がふさわしいんだろうけどpixivファンタジアという戦争企画でそれをやるのはおかしい。
負傷者の回収・治療、孤児の保護、厭戦兵士の匿いなど、消極的な行動になる。
応援するのもやる気がしない。甲乙が戦っているとき、ゼロサムゲームだから片方を応援するのはフェアではない。価値の総量が増えない。

戦争回において価値の総量を増やすには?
国の枠を超えて友好的ネットワークの実績を積み重ねることではないか。
つまり、戦争中の段階から、戦後を見据えて、敵国を理解し垣根を取り払うのに役立つような布石を敷いておく。
戦争に注目するのではなくて戦後の調和に注目する。これか!

だから今までちょこちょこ描いてきた交流マンガも実はそういう意図があったのだとこじつければ布石として再利用できる。
戦後世界を見据えた草の根友好ネットワーク。そのハブとしての船窓寺であり竜の湖。その方向だな。

すると、エルダーグランやノーザーリアといった敵国のキャラになんらかの交流を持ちに行くことになる。できればインフルエンサーに。交流内容はいつものしょうもない感じのギャグで良い。
| マンガについての考えごと | 09:41 | - | - | permalink |
19032001
pixivファンタジアLS考え事。
ネタ切れ。

最終章に入ったんだけどアイデアがないのでなんか考えようという試み。

戦争回は私の場合戦争参加に興味が無いので後半きつい。序盤大量にキャラクターが投稿されるから前半はいろんなキャラとの交流がしやすいんだけど後半は新しいキャラクターはそんなに投稿されないので交流しにくい。
本来なら自分のキャラクターのドラマの総仕上げをやるべきなんだけど今回のナカヨシに彼自身の縦軸の物語があるわけではない。

竜の湖を三国の中立地帯にしようというのがナカヨシの運動ではある。
最終章での勢力図を見るとちょうど竜の湖はそれぞれ3つの国に面するようになった。そのへんでなにかするようかな…?

ナカヨシの船窓寺は中立地帯だから来てね、というアピールは別に第一章からやっているのであらためてやるのもおかしい。
つまりナカヨシの運動は自分の行動では完結せずに乗ってくれる人を集めなくてはならないものになっている。そこが描きにくい。
戦争に参加して戦うタイプのキャラだったら… まあこれも対戦相手がいないとうまく描けないのでそれはそれで難しいか。戦いに興味ないんだから戦わないで済む分今のポジションのほうがマシか。

着想。
私はpixivファンタジアでは戦争に興味がない。
戦争回だとネタが尽きる。
私のように戦争に疲れてる、戦争にやりにくさを感じている描き手がけっこういるんじゃないか。そういう人々を巻き込むような動きができないか。

参加者はツイッターで見てると勝敗によって自国のNPCが死んだりするのでピリピリしてしまって疲れるということも結構言っている。
ナカヨシの周辺は戦いがなくて平和で癒やされるという意見も見た。

疲れた戦士たちの憩いに場だったり逃避先だったりする役割?

船窓寺のロケーションは今回は導き出しやすい。竜の湖がいま三国に接しているのでその三国の中心部分だ。

あー

「戦いに疲れた兵隊が夢見る幻想的風景」を実演できるような装置なりお膳立て。
たとえば観覧車。船窓寺に観覧車を立てる。戦いに疲れた兵士が地平線上に観覧車を見る。戦いなんか忘れてあれに乗りたいなとぼんやり思う。すると気づいたら観覧車に乗ってる。観覧車内にはテーブル、椅子、美味しいお菓子、温かいお茶、にこやかな給仕、気になってたけど他国人だから交流を持てなかった相手…

それがいいか。観覧車が下まで来て外に出ると元いた場所に戻っている。胡蝶の夢か。
いや、個室には出口がふたつあって、元いた場所にも戻れるし船窓寺にも出られる。

他国のひとと交流しやすい場にしたいというのはあるが、仮にこの観覧車を実装したとして、自キャラと他国のキャラとをいきなりその観覧車内で出会わせるという展開は描かないと思う。あるキャラがその場にいるという描写を見た上でそこに顔を出すというのならありうるが、他人のキャラのロケーションを無理やり引っ張ってくるというような蛮勇を発揮する人はそういないだろう。それを計算に入れた上でうまく設計できないかな。

観覧車、脳内でイメージする分にはやりやすいが描く分にはやりにくい。
でも遠くに観覧車見えたらロマンが掻き立てられて乗りたくなるよねえ。

ただ観覧車描くのはかなりきつい。

あー

でもそうだな。最終章のための提案的な投稿をひとつ投げたらあとはまたゆるゆると小ネタを描いていればいいんだな。つまり次の一枚が特に難しいだけでこれを超えればなんとかなりそうではないかな。
最終章用のフックになる。
で、最終章でのナカヨシの動きもそのフックを活用できるようだといい。

ナカヨシの思想、ナカヨシの願いがあり、それに基づいて観覧車が登場する。
厭戦気分、戦争なんてやめてみんなで仲良くしようぜという気分、そういう心が息継ぎできるようにという願い。
観覧車は具体的に存在するものではなく蜃気楼や虹のように存在する幻想のものであるほうがいいかも。遠景に描けばいい。近くで見ることができない(描かないで済む)。
蜃気楼の観覧車。

あーーー


いや、まてよ!飛行船!?
空飛ぶ船窓寺。
つまり、遠くに見えたときにワクワクして乗り込みたいようなものがいい。
観覧車は描きにくいのと、室内を設定しないといけないのがめんどい。
船窓寺がパワーアップし空を飛ぶ。プロペラ回してるよりはバルーン的なもので浮くほうがかっこいいだろう。
飛行船船窓寺を遠くに眺め、厭戦的な気分になったとき、船窓寺にワープしている。ゆったりした時を過ごし、元の場所に戻ってもいいし竜の湖周辺に下船してもいい。

ナカヨシが(つまり私が)何を願いどう行動するのかが重要。どういう考えに基づいているのか。そこがかっちりすれば多少次に続く縦軸になる。

* 万物の調和
* 反戦

万物の調和と飛行船はどう関わる?
戦争というものは調和の対極にある。
調和とはやすらぎであり、そこから離れるということはひとは消耗していくということだ。戦う者はすり減っていく。
戦士たちにも憩いが必要だ。逃避であってもいい。戦争で潰れてしまうよりは戦争をやり過ごして戦後に調和に近づくほうが良い。
拙僧の思いが宝船に通じたようだ。

こんな感じか? 戦士たち、疲れてるだろ!休め!?潰れちまうぞ!戦争ってのは人間の自然の状態じゃないんだから!というポリシー。その思想を具現化したのが避難先・憩いの場としての空飛ぶ船窓寺。


疲れてきた。今日はここまで。チョコボの不思議なダンジョン買ったのでやろう。
| マンガについての考えごと | 00:06 | - | - | permalink |
19031401
pixivファンタジア考え事。

このブログでも何度も言及している八房さんの作品を見ると、やはりドラマチックというのは登場人物の葛藤や変化によってもたらされるんだなというのを感じる。
両方とも自分のキャラにはないものだ。

過去のPF自キャラでいうと、明確に変化したキャラが一人いる。PF5のナカヨシ・ブルーフロッグで、バリバリ戦うキャラとして作ったんだけど途中から戦い描くモチベーションが無くなって最終的には戦うのやめて人道活動家になった。

町山智浩さんの映画解説で聞いた話のひとつに、物語で描かれる「人の成長」というものは「そのひとが本来の姿になること」だというのがある。
未熟なものが成熟することというだけでなく、本体の自分でない状態の者が本来の自分に変わる(戻る)ことも成長であると。
この意味での成長なら自分でも描けるかもしれない。

例えば生まれてから選択の余地がなく殺し屋になった人物がおり、しかし人を殺したくないために組織を抜けて自由になろうとする話があるとする。これは本来の自分になるための闘争であり、成長が描かれているということだ。
未熟な殺し屋が凄腕の殺し屋になるという成長物語は別に描きたくないが、優しい人物が暴力を捨てるという話なら描ける気もする。



じゃあ自分のピクファンのキャラ、成長させるのを前提で本来の自分ではない姿(要するに戦うジョブ)として作って期間中に戦わないようにジョブチェンジさせればよかったのかというと、どうもそうでもないなと感じてきた。

本来の自分になることを求めて行動するというのは、つまり自分を救おうという動きだ。それが成功した時、救われるのは自分である。
私としては、自分の主人公にはひとを救わせたい。
自分の主人公には美しい行動を取らせたく、それは自分を救うことではなくひとを救うことだ。

だからやっぱり、前回(PFRD)今回(PFLS)でのナカヨシのように、彼自身に成長要素はなくて別にいいなと考えるようになった。出来上がった人物として登場する。で、その運用として、いかに美しい行動を考えつくことができるかということが勝負なのだ。
今回は八房さんのキャラ・コルヌゥくんに対して父親のような立ち位置で関わる一連のネタがあり、これは美しい行動の路線という位置づけ。そういうのがいいのだ。
| マンガについての考えごと | 00:49 | - | - | permalink |
19030202
pixivファンタジア考え事。

ナカヨシの竜化のくだりの設定が進んできたけど、これ別に描かなくていいな。ナカヨシの情報が増えるだけで別にメッセージ性があるわけではないし交流になるわけでもない。

でも見つける宝は「宝船」だろうな。で、竜の湖の守護者になった者に応じて船は姿を変える。だから駆逐艦や戦艦になるケースもあっただろう。

pixivファンタジア期間中から次のマンガのための着想を探せればいいんだが。

私は「自分の中にこういう物語があるからそれを出力する」というタイプではない。
マンガを描きたいという欲求がまずあり、そのために「描きたいと思えるような着想」を探し、見つかったらそれに従ってお話や設定を整えて、それでやっと描ける。
だから描くべき題材が見つかっていない状態だと動き出せない。題材探しは時間かかるのでPF期間中からできるといいんだけど、でもやっぱりそれは無理か。エネルギーが足りない。そこまで求めるのは理想が高すぎるな。
あー

ちょっとPFにこだわらず雑記を書いておこう。脳内整理メモ。

町山智浩氏の解説で知った言葉に「アイン・ランディアン」というのがある。(アインランダーって覚えてたけどアインランディアンの間違いだった)
小説家アイン・ランドに代表される思想で、米国で行われた赤狩りの際の理論的支柱になった考え方があり、それの信奉者がアインランディアン。
要はエリート主義で、「人間には優秀なエリートとそれに寄生して生きているだけの愚衆とがおり、社会はエリートだけで動かすべきだ」という思想。
で、映画『シックス・センス』が代表作であるシャマラン監督がその代表例として挙げられていた。最新作『Mr.ガラス』がそんな感じの内容らしい。
「突出して優秀なエリートを抹殺しようとする凡人が悪役」という筋がアインランダー作家の特徴になるのだそうだ。例えば『ミスターインクレディブル(ブラッドバード監督)』もこの路線なんだそうだ。



私が思ったのは、アインランディアン的な考え方が私にとっての悪らしいということだ。
Xメンがこの文脈では説明しやすくて、ミュータントという人間よりも進化した種族が出現したとして、
* マグニートー:ミュータントのほうが優れてるんだからミュータントが人間を支配するべき→アインランド的
* プロフェッサーX:ミュータントも人間も共存できるはずだからその道筋を探そう

私はプロフェッサーXの思想のほうが好きだ。
エリート-愚衆という人間理解は私には誤っているように見える。つまり、人間は一本の定規で測れるものではないので、超一流のエリート官僚でも農家のおばあちゃんに及ばない領域がある。一人ひとりの人間はパズルのピースに過ぎず、価値の上下があるわけではなく出っ張りと引っ込みの形が違うだけなのだ。エリートはたまたまその時代のその社会で評価されやすい形のピースであるというのに過ぎない。

なので弱肉強食的な、強いものが弱いものを支配すべき的な考え方が敵であると。


それで思い出した。
ジョジョのアニメの最新話を見て、ブチャラティの過去の話が出てきて感じたこと。
私は「生まれながらにして性質が善良なキャラ」が好きだ。きみ人間として生まれてくるの何周目!?みたいな、いきなり善性が備わっているようなキャラが良い。だから生い立ちの関係でものすごく荒れてたけどいろいろの経験を経て丸くなったという経歴のキャラよりは幼い頃から一貫して優しげな人間というのでブレずに来ているキャラのほうが良い。まあこれは、好みの話。

私のキャラにいつも過去設定がないのは、紆余曲折が念頭に置かれていないからだろうな。お話で描かれるような性質が幼い頃から継続しているというのが前提になっている。


あとなんか考えておきたい議題があった気がするんだけど忘れてしまった。
Anthemかな。Anthemを遊んでいて、ストームを使っている。戦場を俯瞰する位置に浮いて、味方が攻撃している敵にめがけて氷をばらまくプレイがとても楽しい。


一旦ここまで。
| マンガについての考えごと | 22:37 | - | - | permalink |
19030201
pixivファンタジアLS考えごと。

船窓寺の本尊は竜の湖そのもの。
竜の湖には化身的な存在がおり、その存在が「竜の湖の守護者」を作る。それが黄色い水竜。
ナカヨシが見つけた宝がその竜の湖の化身で、それとの交渉を経て竜の湖の守護者としての水竜化の能力を授かる。竜の湖を守護する役割を担う代わりに得た力で、竜の湖とその周辺では強力なパワーを得られる。

では竜の湖の化身的な宝とはなにか?
それが船窓寺? 当初は湖上に浮かんでいたわけではなく、隠れた地下洞窟湖かなにかに浮かんでいた。それを発見し、それを受け継ぎ、竜化を得る。悪くないのでは? そうしたら改めて宝のビジュアル考える必要ないし。

ナカヨシには学僧時代がある。モンクの系統。その宗教的伝説の一つに竜の湖の宝寺の話があり、鉱人族としての宝を求める本能がそこに向かわせた。それっぽくなってきたぞ。




パワーが出てきたら次のPF課題として、ゲームとして楽しむ以上のことをPFでするというのを考えたい。pixiv企画マンガ以外の創作短編漫画では私が目指しているのは「読んだ人に生きるエネルギーを補給する」という効能をもたせることだ。現状のPFマンガでそこまでは射程距離に入っていない。
ま、過大な課題かもね。カダイだけに。
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